日本大百科全書(ニッポニカ)

フォン・ヒッペル・リンドウ病
ふぉんひっぺるりんどうびょう
von Hippel-Lindau disease 英語

多臓器にわたって嚢胞(のうほう)(液体を含む袋状の構造)や血管腫(しゅ)(血管が拡張したり増殖して生じる腫瘍(しゅよう))、腫瘍を発症する常染色体優性遺伝性疾患。発症するおもな嚢胞や腫瘍には、脳や脊髄(せきずい)、網膜の血管腫、腎(じん)嚢胞や淡明細胞型腎細胞がん、褐色細胞腫、膵(すい)嚢胞および神経内分泌腫瘍などがある。20世紀初頭にドイツの眼科医オイゲン・フォン・ヒッペルEugen von Hippel(1867―1939)とスウェーデンの神経病理医アルビド・リンドウArvid Lindau(1892―1958)が血管腫や嚢胞が多発する特徴的な疾患をそれぞれ報告し、この研究者二人の名前をもとに病名が付された。VHL病と略称される。日本国内には約1000人の患者がおり、繰り返してさまざまな部位に腫瘍が発生することから、治療法の開発がむずかしい、難治がんかつ希少がんの一つといえる。
[渡邊清高]2020年2月17日

病態・病因

肝臓や腎臓に嚢胞や血管腫ができることはけっして珍しいことではなく、その多くは良性で、転移や増大などの悪性の経過を示さないことが多いが、本症の患者では若年のうちから多くの嚢胞や血管腫を発症し、それが脳、脊髄、腎臓、網膜、膵臓、副腎などあらゆる臓器におこるという経過をたどる。前述のとおり、常染色体優性遺伝(両親のどちらかが変異をもっていると、子供に50%の確率で遺伝形質が受け継がれる)の形式をとる。
[渡邊清高]2020年2月17日

治療・検査

発症を予防するための根本的な治療法はなく、脳や脊髄、網膜などの神経病変に対する治療、腎細胞がんに対する手術療法(切除や腎移植)、膵嚢胞や膵内分泌腫瘍に対する治療など、症状の発現状況やリスクに応じた治療が検討される。また、同一家系に遺伝子の病的バリアント(疾患の原因となる遺伝子変化)保有者がいると考えられる場合には、遺伝子検査により、病的バリアントを保有しているかどうか、定期検査の必要性があるかどうかを調べることができる。一方で、遺伝子検査によって、検査をしなければ知り得なかった情報を得ることにもなるため、検査の目的や意義、結果の受け止め方や対応について、事前に臨床遺伝専門医や認定遺伝カウンセラーなどによる専門家のカウンセリングが受けられるなど、十分な情報提供と意思決定支援の体制が整った医療機関で検査を受けることが望ましい。
[渡邊清高]2020年2月17日

病因解明と応用研究

2019年のノーベル医学生理学賞の受賞理由「細胞の低酸素応答の仕組みの解明」は、がんが全身に多発する本症の研究がきっかけとなっている。
 かねてより、本症の原因を遺伝子レベルで詳しく調べることで、その発症のメカニズムを解明する研究がなされてきた。その結果、本症の患者では、VHL遺伝子の突然変異がおこっていることがわかり、また生殖細胞系列変異(がん細胞だけでなく、もともと身体を構成するすべての細胞の遺伝子にこの遺伝子異常が引き継がれている)であることも明らかになった。すなわち本症は、がん化を防ぐ働きをもつ「がん抑制遺伝子」であるVHL遺伝子の異常によって、多臓器においてがん化が引き起こされやすくなるために、腫瘍や血管腫が全身に多発するものと考えられた。
 さらに研究が進み、VHL遺伝子が欠損したがん細胞においては、細胞が低酸素の環境において活性化する遺伝子が多く発現することが示された。細胞が周囲の酸素レベルを感知し、それに対して応答する因子(低酸素誘導因子、HIF-1)を誘導することで、赤血球を増やして酸素の運搬能力を増したり、周囲の血管形成を活性化させて低酸素状態の解除を図るメカニズムも解明された。一方でVHL遺伝子は、HIF-1の分解や不活性化に関与することによって、低酸素状態から改善した場合の制御を行っていることも明らかになった。
 VHL遺伝子に異常があると、体のあらゆる組織において低酸素シグナルが活性化しやすい状態になり、血管内皮増殖因子(VEGF)や血小板由来成長因子(PDGF)、トランスフォーミング増殖因子(TGF)などの血管や細胞の増殖にかかわる遺伝子が誘導される。これらのことが細胞の恒常的な増殖=がん化に関与していると考えられた。すなわちVHL遺伝子は本来、細胞が低酸素状態に陥ったときにだけ働くべき因子をコントロールすることでがん化を防ぐ役割をもつ遺伝子であるといえる。
 こうしたVHL遺伝子の働きの解明から、これを応用したがん治療薬の研究開発が世界中で精力的に進められているが、これに先駆けて、VHL遺伝子がもつ別の作用(赤血球の増多作用など)を応用した薬剤が、透析患者の慢性腎臓病に伴う貧血に対する治療薬として開発され、2019年(令和1)9月には治療薬の一つロキサデュスタット(商品名:エベレンゾ)が日本でも承認された。
 本症の研究に端を発し、がん治療の新たな標的の発見や理解につながる可能性を提示したこれら一連の研究は、がんの領域にとどまらず、低酸素をきっかけにして発症するさまざまな疾患についても治療の可能性を示したといえ、今後いっそうの幅広い研究や治療薬の開発が期待される。
[渡邊清高]2020年2月17日