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桃山末期から江戸初期の京(きょう)狩野派を代表する画人。初め狩野山楽の門人であったが、のちにその娘婿となり、家督を相続した。名は初め彦三、のちに平四郎、また縫殿助(ぬいのすけ)と称した。山雪のほかに桃源子、蛇足軒(だそくけん)の号がある。山楽の装飾的画風を受け継ぎつつも、これをいっそう徹底させ、理知的で明快な画面構成に、ときに奇矯とも評される独自の造形性をみせている。妙心寺天球院障壁画(しょうへきが)制作(1631)に指導的役割を果たしたほか、代表作に『雪汀水禽図屏風(せっていすいきんびょうぶ)』、旧天祥院襖絵(ふすまえ)『老梅図』(ニューヨーク、メトロポリタン美術館)などがある。また、わが国最初の本格的画伝『本朝画史』は、山雪の草稿をその息子永納(えいのう)(1634―1700)がまとめたもので、画業とは別に山雪の特筆すべき業績である。慶安(けいあん)4年3月12日没。泉涌寺(せんにゅうじ)に葬られた。