ジャパンナレッジ
北海道大学の前身。開拓使顧問ケプロンらの建策により北海道開拓の指導者養成を目的として、1872年(明治5)東京・芝(しば)増上寺(ぞうじょうじ)に開拓使仮学校として開設された。1875年札幌に移転し札幌学校と称し、翌1876年札幌農学校と改称。アメリカのマサチューセッツ農科大学学長クラークを教頭として招き、日本最初の高等農業教育機関としての基礎が置かれた。本科修業年限4年、全学定員50名、官費生を原則とし、卒業後5年間開拓使に勤務する義務を有した。このほか、予科も併設した。カリキュラムは、農学をはじめ自然科学全般、人文・社会科学、兵学教育にわたり、学理と実習との調和を重視し、農学教育のみならず、近代的な人格教育を目ざしたものであった。クラークの感化により、内村鑑三(うちむらかんぞう)、新渡戸稲造(にとべいなぞう)らの人材を輩出。クラークの残した“Boys, be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.”(青年よ、人間の本分をなすべく大望を抱け)のことばは有名である。1907年(明治40)東北帝国大学農科大学、1918年(大正7)北海道帝国大学、1949年(昭和24)北海道大学となる。札幌市を象徴する建物として知られる札幌時計台は、1878年(1881年改築)に落成した札幌農学校演武場を移転したものである。
2018年9月19日