日本大百科全書(ニッポニカ)

マラソンレース
まらそんれーす
marathon race 英語

陸上競技の1種目で長距離のロードレース。

歴史

紀元前490年、来襲したペルシアの大軍をアテネ軍がマラトンの野で打ち破った(マラトンの戦い)。その勝利を知らせるため1人の兵士が約40キロメートル走ってアテネの城門にたどり着き、「わが軍勝てり」と告げてそのまま息絶えたという。史実より伝説に近いが、1896年アテネで近代オリンピックの第1回大会が開かれる際、フランスの言語学者ミシェル・ブレアルMichel Bréal(1832―1915)がこの故事に倣ってオリンピック種目にマラソンを入れることを提唱し、採用された。
 そのときの距離はマラトンからアテネまでの40キロメートルとされる(のちの計測でコースの距離は36.750キロメートルだったことが判明)。以後第7回大会まで距離は一定せず40キロメートル前後でまちまちだった。1921年、国際陸上競技連盟(以下「国際陸連」と略称。ワールドアスレティックス(世界陸連)の前身)は距離の統一を検討し、1908年ロンドンで行われた第4回大会の42.195キロメートル(ウィンザー城―ロンドン市内のホワイトシティー・スタジアム)を以後マラソンの正式距離とすることを決め、第8回大会(1924年パリ)から現行の42.195キロメートルとなっている。第1回アテネ・オリンピックでのマラソン採用の新機軸は大きな反響をよび、アメリカでも翌1897年4月の愛国記念日の行事としてマラソン競技を開催することになった。これがオリンピック以外では世界最古の歴史を誇る「ボストン・マラソン」の始まりである。
[加藤博夫][中西利夫]2020年4月17日

コース

コースは大別して(1)片道コース、(2)発着点を同じとするコースの二つに分かれる。片道コースは、スタートとゴールが異なる1本コースで、例としてはマラトンの野からアテネの競技場まで走った第1回オリンピックのコースや、ボストン・マラソンのコース、あるいは東京都庁を出発、東京の名所を回り東京駅前・行幸通りをゴールとする東京マラソンなどがある。一方、発着点を同じとするコースは、一般的にはスタンドに観衆が集まる競技場が発着点となる。これには、1964年(昭和39)の東京オリンピックのコースや、福岡国際マラソンのコースなどがある。
[加藤博夫][中西利夫]2020年4月17日

記録

マラソンはコースによって記録が大きく変わるため、これまで記録は公認せず「世界最高記録」「日本最高記録」と表現してきた。しかし国際陸連は2004年以降、コースの高低差などに一定の条件を決め、それをクリアしたコースの記録だけを公認することに変更し、以後は「世界記録」「日本記録」と呼称されるようになった。公認条件の一例で「スタート地点とゴール地点との標高差はレース距離の1000分の1(約42メートル)を超えてはならない」などがあるが、ボストン・マラソンは高低差が基準を超える下りの多い片道コースのため記録は非公認となる。
 マラソンの男子の世界最高記録は第二次世界大戦前は2時間26分42秒(1935年)であったが、第二次世界大戦後はオリンピック2連勝のアベベ・ビキラ(エチオピア)などの出現でレベルアップしたうえに、最近ではレースにペースメーカー(ペースを上げるため、途中まで先導役を果たす走者)などが用意されるようになり、記録は飛躍的に短縮された。
 趨勢(すうせい)としては、アベベの登場以来、普段薄い酸素のもとで練習を続け心肺機能に優れているエチオピア、ケニアなどの高地育ちの選手が強く、世界ランクの上位を占めている。2020年3月の時点で、男子の世界記録はエリウド・キプチョゲEliud Kipchoge(ケニア。1984― )の2時間1分39秒(2018年)となっている。キプチョゲは、2019年10月には非公認ながらウィーンで行われた特別レースで、マラソン史上初の2時間切りとなる1時間59分40秒をマークした。
 マラソンは、かつては女性にはとても無理な競技であるといわれた。しかし1960年代の後半からアメリカを中心にジョギングブームが始まると、当時女子の参加が許されていなかったボストン・マラソンにも、しばしば女子選手が紛れ込むようになった。ボストン体育協会は摘発を繰り返したが、1972年ついに女性の正式参加が認められ、1974年に優勝したのが日本出身のゴーマン美智子(1935―2015)で2時間47分11秒だった。以来、各国に女性のマラソンブームが広がり、1984年のロサンゼルス大会では女子マラソンがついにオリンピック種目として登場した。
 2020年3月時点での女子の世界記録は、ブリジット・コスゲイBrigid Kosgei(ケニア。1994― )の2時間14分4秒(2019年、男女混合)で、第二次世界大戦前の男子の世界最高記録を大幅に上回っている。なお、国際陸連は2012年以降、男女混合レースでつくられた女子の記録は、男子がペースメーカーの役目を果たすとの理由で、男女混合で達成された記録と女子単独で達成された記録の2通りの世界記録を公認することにした。ただし、男女が参加する大会でも男女別に時間差をつけてスタートするレースは女子単独に含め、女子単独の世界記録はメアリー・ケイタニーMary Keitany(ケニア。1982― )の2時間17分1秒(2017年)である。
[加藤博夫][中西利夫]2020年4月17日

日本のマラソン

オリンピックなどのマラソンで行われている正式距離を採用した日本最初のマラソンレースは、1911年(明治44)に開催された。このレースは、翌1912年のストックホルム・オリンピックの予選として行われ、金栗四三(かなくりしそう)が優勝した。金栗はオリンピックでは暑さのため途中棄権したが、以来マラソンは駅伝とともに日本の人気種目の一つとなり、数々の国際レースが日本で行われている。国内の大きな大会としては、男子では福岡国際マラソン、東京マラソン、びわ湖毎日マラソン、別府大分毎日マラソンなどがある。東京マラソンは、2013年(平成25)から世界の有名都市マラソンで構成する世界最高峰シリーズの「ワールド・マラソン・メジャーズWorld Marathon Majors(WMM)」の仲間入りをし、競技選手、車いすランナー、一般市民など約3万7500人が東京都庁をスタートし、新宿、浅草、銀座などを回る。ボストン・マラソンにも似て、アジア最大規模の市民参加型のマラソンレースである。
 オリンピックでは1964年(昭和39)の東京大会で円谷幸吉(つぶらやこうきち)(1940―1968)が銅メダル(3位)を獲得したのをはじめ、1968年のメキシコ大会で君原健二(1941― )、1992年のバルセロナ大会で森下広一(1967― )がそれぞれ銀メダル(2位)を獲得した。世界選手権では1991年の第3回大会で谷口浩美(ひろみ)(1960― )が優勝している。
 また、女子も1979年には世界に先駆けて初の国際陸連公認女子マラソンである第1回東京国際女子マラソン(のちに横浜国際女子マラソンが継承)が開催され、その後、大阪国際女子マラソン(1982年)、名古屋国際女子マラソン(1984年。2012年以降は名古屋ウィメンズマラソンが継承)などのハイレベルな国際大会が生まれた。その結果、日本女子マラソンのレベルも飛躍的に向上し、オリンピックでは有森裕子(1966― )が1992年バルセロナ大会で2位、1996年アトランタ大会で3位と連続してメダリストになったほか、高橋尚子(なおこ)が2000年シドニー大会で日本陸上女子初の金メダルを獲得。続く2004年のアテネ大会でも野口みずき(1978― )が勝ち、日本選手の連続優勝となった。世界選手権でも1993年の第4回大会で浅利純子(1969― )、1997年の第6回大会で鈴木博美(ひろみ)(1968― )が優勝している。
 海外で有名なマラソンとしては、100年以上の歴史をもつボストン・マラソンのほか、ベルリン、ニューヨーク、シカゴ、ロンドン、パリ、ソウル、北京(ペキン)などの大都市での大会が多数行われている。
[加藤博夫][中西利夫]2020年4月17日

パラ陸上(障害者陸上競技)

パラリンピックで行われているマラソンは、視覚障害、上肢切断・上肢機能障害、車いすの3種類があり、最初に実施されたのは男女の車いすで、1984年のイギリスにおけるストーク・マンデビル大会とニューヨーク大会であった。視覚障害が採用されたのは1988年のソウル大会、上肢切断・上肢機能障害は1996年のアトランタ大会からだが、いずれも参加は男子のみで、車いす以外で女子の出場が認められたのは2016年リオ・デ・ジャネイロ大会の視覚障害と、ごく最近のことである。日本の金メダリストは過去4人で、第1号は1996年のアトランタ大会で、男子視覚障害T10クラスの柳川春巳(やながわはるみ)(佐賀県。1956― )であった。2004年アテネ大会では同T11クラスの高橋勇市(ゆういち)(東京都。1965― )ほか、車いすで男子T52クラスの高田稔浩(としひろ)(福井県。1965― )、女子T54クラスの畑中和(かず)(兵庫県。1969― )が優勝した。
 パラリンピックに先立ち、「国際障害者年」の1981年には大分国際車いすマラソン大会が始まり、海外トップ選手が多数参加し、車いすマラソンの発展に貢献した。第13回から男子で大会10連覇を達成したハインツ・フライHeinz Frei(スイス。1958― )が1999年につくった1時間20分14秒の世界記録はいまだに破られていない。下りコースの記録としては2012年にジョシュ・キャシディJosh Cassidy(カナダ。1984― )がボストン・マラソンでマークした1時間18分25秒がある。
 視覚障害者マラソンは、ブラインドマラソンともいわれ、日本では1983年に第1回全日本盲人健康マラソン大会がスタート、翌年に日本盲人マラソン協会(現、日本ブラインドマラソン協会)が設立され、普及のきっかけとなった。全盲、それに近い選手はガイドランナーとよばれる伴走者が必要で、選手の実力だけでなく、伴走者の技量が競技者の安全や記録に大きな影響を与えるため、伴走者養成の研修会も開かれている。
 近年は東京をはじめ、ボストン、ロンドン、ニューヨークなど、世界の大都市マラソンでも車いすや視覚障害者の部が設けられ、障害のあるアスリートたちには活躍の場が広がっている。
[中西利夫]2020年4月17日