住宅とは、家族がその中で生活するための器である。人間が生きていくためには、まず食べる・寝るという生理的に必要な条件を満たすための場所がいる。とくに、寝ている間外界からの働きかけに対してまったく無防備であることから、寝るという行為のために身を守る覆いが必要である。また、極端な暑さ・寒さに対して人間の体は十分に順応することができないから、直接体に着ける衣服を調節し、さらに囲まれたスペースをつくらなければならない。雨が降り雪が積もる地域では、体がぬれないように、ぬれて体温を奪われることを避けるため、ぬれた体を乾かすため、冷えた体を暖めるために覆いが必要になる。したがって、住居の始めは寝るための閉鎖的な場所で、階級が生まれ昼間働かなくてもよい人々ができてくると、その周りに昼間のスペースが加わるのが普通である。
始めは、身を守るために木陰や天然の洞窟(どうくつ)などを利用した。世界中のあちこちの洞窟で、その痕跡(こんせき)がみつかっている。たとえばヨーロッパでは、もっとも古いといわれているフランスのラスコーやアルタミラの洞窟で、内部の岩肌に描かれた絵画から、洞窟を根拠地として狩猟をしていたことや、テントをつくっていたことが明らかになっている。しかし、どこででも都合のよい自然の地形があるというわけにはいかないので、身近にある材料を使って覆いをつくろうと試みている。技術をほとんどもっていなくても扱えるどこにでもある材料は土であった。そして、草や木が使われた。
通常、人間は1人で生活することはなく、集団を形成している。集団のもっとも小さいそして基本となるのが家族である。さらに、家族が形づくる家が集まって町や村ができる。その結果として、現代では都市や村のような集団にまで発達している。このような集団は、現在では近代的な生産手段のために必要なのであるが、もともと種の保存とか、敵に備えての自衛的な目的があったと考えられる。
[平井 聖]
世界中のどの地域でも、最初に住居に使われた材料は、木、竹、藁(わら)、土、石などそれぞれの地域で簡単に手に入るものである。木と藁と土は、日本をはじめ世界中でもっとも広く使われている材料である。竹やヤシが多い所ではこれらを有効に利用しているし、葉で壁を編んだりしていて、特定の材料だけで家をつくっているとは限らない。木が少ない地域では、土や石を使っている。土を水でこねたり、その中に藁を混ぜて壁をつくる。人工的に加工した材料を使うようになるのは後のことである。その最初の例として土で壁をつくるとき、持ち運びや積むのに便利なように、木の枠で土の固まりをつくり乾燥して日干しれんがをつくることを考えた。屋根は土でつくることがむずかしいので、住宅では木の下地をつくり、その上に土を塗って仕上げる地域が多い。石を積み、土などを塗って壁をつくる所もある。日干しれんがを火で焼いたれんがや、同様に焼いた瓦(かわら)も古くから使われている材料である。石も、加工できるようになると、広く使われるようになった。れんがや石は、木や藁に比べて永久的な耐用年限をもっている。材料の耐用年限の違いが、それぞれの地域における住宅に対する考え方の違いを生んだ。そのほか、古くからあったが近代になって住宅にも広く使われるようになった材料に、古代ローマ時代にすでに使われていたコンクリートと、産業革命ののち近代的な生産が始まってから重要な建築材料になった鉄がある。鉄とコンクリートそしてガラスは、20世紀の住宅にとって欠くことのできない重要な建築材料である。最近は金属材料ではアルミニウム、さらにあらゆる面でプラスチックスの占める割合が急速に増えつつある。
[平井 聖]
住まいをつくる方法には、(1)壁で内部空間を囲む形式と、(2)柱で屋根を支え内部空間を覆う形式とが考えられる。(1)の形式でも住居としては屋根がなくては実際には役にたたない。(1)の形式は住居の基本で、世界中でもっとも広く使われている形式である。この形式は、寒い地域と暑い地域でとくに普及している。酷暑の砂漠の民族や、エスキモーのような厳寒の地域に住む人々は、壁と屋根でしっかりと住空間を囲み、窓も小さくして、厳しい気候から生活の場を守ろうとしている。
材料の関係から、砂漠の人々は土の壁を築き、エスキモーは氷で壁を積んでいた。北欧、スイス、シベリアのように森林の中では、丸太を横にして積み上げ、間には毛や草などの繊維を挟んで外気が入らないようにする。石やれんがで壁をつくる所も多い。北ヨーロッパや中国のように、木の柱で骨組をつくり、その間を石、れんが、土で埋めて壁をつくる所もある。日本でも住居の基本は(1)の形式であったが、生活が複雑になるにつれて、(2)の屋根で内部空間を覆う形式の部分が付加されていった。(2)の形式は、暑くて湿度の高いオセアニア、東南アジアのような地域や、日本のように温暖であるが雨の多い地域で使われている。
[平井 聖]
住空間の性質としてまず考えられるのが閉鎖性と開放性である。住宅の基本的な性格はその構造からくる閉鎖性にあるが、日本人からみれば開放性は住宅の大きな特質である。日本の住宅が木造であることが開放性をもつようになった原因と考えられがちであるが、北欧の校倉(あぜくら)造のように、木造でも閉鎖的な構造があり、中国北部の住宅のように柱より厚くれんがを積んだ閉鎖的な例もある。
日本では支配階級が形成されていくとともに、その住宅も開放的になったと考えられ、彼らの昼間の生活の場が住宅の中に設けられるようになると、開放的な住宅様式が成立した。上層階級にとって生活のなかで大きな部分を占める儀式や行事は、庭と屋内の開放的な部分を一体に使って繰り広げられた。また、開放性は高温多湿の気候に対処する構造であったから、中世以降になって庭と屋内が機能的に結び付かなくなってからもその性格は失われなかった。日本住宅のもつ水平方向に広がる空間の性格は、近世住宅の障壁に金地に極彩色であるいは水墨で連続する風景画を描いても、天井には格子を組んで写実的な絵を描かないことにも現れている。
一方、ヨーロッパのバロック期の住宅にみられるように、天井に好んでどこまでも深い空を描き、あたかも天井や屋根を忘れさせるような表現は、ヨーロッパの住宅のもつ閉鎖的な空間の性格が、周囲を囲むことにあったことを示していると解することができよう。
[平井 聖]
日本の住宅のなかで、平城京の内裏や寝殿造の基本型など、古代の住宅には強い対称性が現れている。古墳時代の埴輪(はにわ)屋の構成や平城京内の官吏の住宅、あるいは発掘された平安時代の始めの住宅遺跡は、1棟の主屋と2ないし4棟の副屋から構成されていて、対称的に配置されていたと考えられる。しかし、平安時代の後半になると、寝殿造の住宅も左右対称の配置をみせるものはなくなる。このことは、対称性が中国の影響によったもので、その後現れる非対称性が、日本の住宅が本来もっていた性格であることを示していると考えられる。日本では中世以降にも住宅は基本的に非対称的である。室内の装飾要素としての座敷飾りをみると、初めは主室正面の全面を床(とこ)だけで飾り、その上の床飾りも正式の三幅対・五具足では対称性が強かったが、書院造が定型化すると、座敷飾りや床飾りには非対称的な配置の調和が求められた。
明治維新になって導入された洋風住宅が対称性の強いものであったことからわかるように、ヨーロッパやアメリカの住宅は対称性を強く示している。とくに記念性の強い宮殿では対称性が明確で、このような性格はヨーロッパやアメリカだけではなく、中国大陸その他世界中のあらゆる地域、あらゆる時代に広くみられる性格である。
[平井 聖]
花や茶をはじめ日本の芸術には型が存在する。これと同じように住宅にも型の概念が存在している。平安時代の人々は寝殿造に規準型を想定してこれを法(のり)と考えていた。また、桃山時代にも、武家住宅の基本的な型として室町時代に存在したとされる主殿の形式が木割書(きわりしょ)(仏殿・神殿・塔・門・住宅など建築の基本形を書き記した書物)に描かれ、幕末に至るまで伝えられている。また、床、違い棚、付書院(つけしょいん)、帳台構(ちょうだいがまえ)はそれぞれ別個に生まれ、近世に入って座敷飾りを構成することになるが、座敷飾りの要素に組み入れられる過程で、自由であった組合せや設けられる場所は、床を中心とした違い棚、付書院、帳台構の一定の配置をとるようになり、そこに型の概念が存在するようになったことがわかる。
[平井 聖]
欄間(らんま)は、日本の住宅における独特の手法である。部屋を二分するとき、襖(ふすま)を用いて区画するが、その上を壁にしないで欄間にすることがある。欄間という手法がいつから用いられているかは明らかでないが、欄間は単に装飾というだけでなく、その両側の部屋がつながっているという印象を与えている。とくに襖が開いているときにはその感が強い。すなわち、欄間は、その両側の2部屋を一体に使うときには壁がないものとして認識され、別々に使う場合には2部屋の間を区画する壁として意識されることが期待されている。
逆に、落掛(おとしがけ)は、天井からわずかに下がる小壁の下の横材で、下には壁も建具もないが、その下で部屋が二つにくぎられていることを印象づけている。対面の場では、身分に上下のある主従が床の高さの違いによってそれぞれの場を占めることになるが、床が一段上がるところには上段框(かまち)があり、このような関係が広い御殿の中で発展すると、上段框の上には落掛が設けられて、天井からわずかに下がる小壁と落掛および床に段差をつける上段框によって、厳然と格差がつけられることになった。
そのほか、二条城や京都御所など近世の上層住宅では、周囲の襖や障子に室内から鍵(かぎ)をかけている。紙張りの障子に鍵をかけても意味がないと思われるが、鍵はその中にプライバシーが存在することを示していて、それを尊重する約束があって初めて有効だったのである。簡単に越えることのできる垣根なども、敷地への出入口は門であるという約束があってのことになる。
[平井 聖]
(略)
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