日本大百科全書(ニッポニカ)

捕鯨
ほげい

大形ないし中形のクジラ類を捕獲して利用する漁業をいい、小形のクジラ類を捕獲対象とするイルカ漁業は一般には捕鯨といわない。日本では漁業法に基づく政令により、捕鯨とは動力船に装備された捕鯨砲によってクジラ類を捕獲する漁業と定義され、国の指定漁業となっている。

[大隅清治]

捕鯨の歴史

有史以前から人類がクジラ類を捕獲し、利用していたことは、世界各地の遺跡からの出土品や原始画などによって知ることができる。初めは海岸に座礁したクジラを利用し、やがて接岸したクジラを小舟と手投げ銛(もり)や弓矢で捕獲するようになったと考えられるが、それが産業にまで発達したのはヨーロッパと日本だけであり、北アメリカではヨーロッパからの植民者による捕鯨が独自の発展を遂げた。

[大隅清治]

欧米

ノルウェーでは、9世紀に捕鯨が行われていた記録が残されている。11世紀ごろからバスク人がビスケー湾でセミクジラをとり始め、捕鯨を産業規模にまで発展させた。この古代捕鯨は西ヨーロッパ各地の沿岸に漁場を拡大し、やがて遠洋へと進出し、16世紀までにグリーンランドからニューファンドランドにまで達した。17世紀にスピッツベルゲン島にクジラの好漁場が発見されると、ヨーロッパの各国が競って北極圏捕鯨に参加した。この捕鯨の最盛期は1650年から約100年間で、その後はしだいに衰え、1912年までに終止した。

 北アメリカにおいては、ニュー・イングランド地方の植民者が17世紀なかばに沿岸でヨーロッパと同様のセミクジラを対象とした捕鯨を開始したが、1712年に沖合いでマッコウクジラを捕獲し、これを契機としてアメリカ式捕鯨がおこり、しだいに世界の海洋に漁場を拡大していった。この捕鯨にはアメリカのみならず、イギリス、フランス、ポルトガルの船も加わった。アメリカ式捕鯨が生産する鯨油は灯油や機械油として大きな需要があった。この捕鯨は1820年から約30年間最盛期を誇ったが、石油の発見などにより、それ以後急速に衰えた。その終期にはマッコウクジラからホッキョククジラやセミクジラの捕獲に転換したが、1925年についに消滅した。

 1864年にノルウェーで、動力船に搭載した捕鯨砲でクジラを捕獲する近代捕鯨法(ノルウェー式捕鯨)が開発され、それまでの漁法では捕獲できなかったナガスクジラ類を利用できるようになり、急速に世界の各地に伝播(でんぱ)した。1924年から南氷洋の外洋で母船式捕鯨による操業が行われるようになって、ヨーロッパの近代捕鯨はさらに発展した。第二次世界大戦後も南氷洋捕鯨が復活したが、1960年代にヨーロッパやアメリカの主要捕鯨国は撤退し、1986年から国際捕鯨委員会(IWC=International Whaling Commission)によって商業捕鯨が中止されている。

[大隅清治]

日本

日本人が古くから鯨肉を食べる習慣を身につけていたことは、多くの縄文遺跡から鯨骨が出土している事例からうかがえる。弥生(やよい)時代の土器や骨器に捕鯨の模様が描かれ、貝塚から出土する鯨骨は1貝塚につき1頭分でなく、その一部であることは、いくつかの村落がこの時代に協力して捕鯨を行っていたことを意味する。アイヌは古くから19世紀まで、小舟と弓矢を用いて集団で捕鯨を営んでいた。仏教が興隆し、狩猟が禁忌された奈良時代にも捕鯨は許され、人々にとって鯨肉は重要な動物タンパク源であった。室町時代に入ると、食礼式の正式メニューに鯨肉が入っている。これは、当時すでに鯨肉の供給が安定して行われていた証拠である。この時代には尾張(おわり)・三河(愛知県)から伊勢(いせ)(三重県)にかけて、鉾(ほこ)を用いて捕鯨が行われ、やがて手投げ銛へと技術革新がなされ、捕鯨の効率は向上した。1594年(文禄3)に紀州(和歌山県)から九州の小川島(おがわしま)へこの技術が導入された。1606年(慶長11)には紀州の太地(たいじ)において突取(つきとり)式捕鯨法による組織的な操業が開始された。1675年(延宝3)には日本独特の網取(あみとり)式捕鯨法が太地において開発され、この漁法は急速に西日本の各地に普及し、江戸中期に日本の捕鯨は大いに繁栄した。この時代の捕鯨場のおもな所は、紀州(和歌山県)の太地・古座(こざ)、土佐(高知県)の津呂(つろ)・久保津(くぼつ)、肥前(長崎・佐賀県)の生月(いきつき)・小川島、壱岐(いき)(長崎県)の勝本(かつもと)、五島(ごとう)(長崎県)の魚目(うおのめ)、対馬(つしま)(長崎県)の鰐浦(わにうら)、長門(ながと)(山口県)の通(かよい)・見島(みしま)・川尻(かわじり)、丹後(たんご)(京都府)の伊根(いね)、能登(のと)(石川県)の小木浦などがあげられる。なお、安房(あわ)(千葉県)の勝山においては17世紀から捕鯨が行われてきたが、対象鯨種がツチクジラであったため、網取式は有効でなく、突取式のまま推移した。網取式捕鯨法は、海岸の丘の上に見張りを置き、クジラを発見すると旗やのろしによって通報し、多数の捕鯨船を出漁させる。捕鯨船団の構成の一例をあげれば、勢子(せこ)船15隻、網船(双海(そうかい)船)13隻、引船(持双(もっそう)船)4隻、親船1隻、計33隻に達する。親船の指揮の下に勢子船は集団でクジラを追い立て、あらかじめ双海船が幾重にも張り巡らせた網にクジラを絡ませて行動を鈍らせ、手投げ銛を投げて体を弱らせ、最後に鼻孔(びこう)に綱を通して持双船によって鯨体をつり下げて捕鯨場まで曳行(えいこう)する。クジラの解体は海岸で、ろくろなどの機具を活用して解体し、納屋(なや)と称する工場で漁獲物の処理を行う。これらの一連の組織を鯨組(くじらぐみ)とよび、従業員は陸上・海上部門をあわせて500~800人を擁した。網取式捕鯨の対象鯨種はセミクジラを主として、コククジラやザトウクジラなど種々の鯨種が捕獲された。1820年(文政3)からアメリカ式捕鯨船が日本周辺で操業を始め、そのためにクジラの漁場への来遊数が大きく減少し、さらに1899年(明治32)に日本に導入された近代捕鯨に追い討ちをかけられ、網取式捕鯨は1907年(明治40)に終止した。

 日本の近代捕鯨は、朝鮮半島近海で操業を開始したロシアの捕鯨に強く刺激を受けて導入されて以後急速に発展し、東北地方や北海道から千島列島、小笠原(おがさわら)諸島、台湾、朝鮮半島にまで捕鯨基地が設けられた。1934年(昭和9)には日本で最初の母船式捕鯨船団が南氷洋に出漁し、1940年には北洋でも母船式捕鯨が開始された。太平洋戦争によって壊滅的打撃を受けた日本の捕鯨業は戦後いち早く復興し、敗戦後の食糧危機を救うとともに、大型、小型の沿岸捕鯨はもとより、母船式捕鯨が南氷洋と北洋で戦前に勝る発展をみせた。しかしながら、1960年代後半から国際的捕鯨規制が強化され、日本では1988年(昭和63)春から商業捕鯨は停止された。

[大隅清治]

捕鯨の現況

現代の捕鯨は商業捕鯨と先住民生存捕鯨とに分けられる。商業捕鯨はすべて近代捕鯨法によって営まれており、捕鯨国と捕鯨漁場は1960年代までは世界に広く分布していたが、その後イギリス、オランダ、カナダ、アメリカ、南アフリカ、オーストラリア、チリなどが次々と捕鯨を中止し、1982年には、日本、ソ連(当時)、スペイン、アイスランド、ノルウェー、韓国、ペルー、ブラジルの8か国となった。このなかで日本とソ連が南氷洋で母船式捕鯨を行い、その他の国と日本とが沿岸捕鯨を営んでいた。先住民生存捕鯨とは、先住民の生存に欠くことができず、その民族の捕鯨文化を守るために特別に許される捕鯨と定義されるが、現実的には商業捕鯨との差異は明確でない。アラスカの先住民(エスキモー)による捕鯨がその典型とされ、ボートと手投げ銛による捕鯨法が行われている。グリーンランドにおける捕鯨も先住民生存捕鯨とみなされているが、近代捕鯨による操業が行われている。ロシアのチュコト海では先住民のための捕鯨が先住民生存捕鯨として認められている。また、IWCに加盟していないインドネシアの一部の村落で小規模な捕鯨が行われている。

 日本の捕鯨業は母船式捕鯨、大型捕鯨および小型捕鯨に分類される。母船式捕鯨業は、捕獲したクジラの処理や捕鯨船への補給を役目とする捕鯨母船を中心に、捕鯨船、冷凍工船、油送船、運搬船が付属して船団を構成して、遠洋漁場において基地に限定されずに操業できる能率的な捕鯨である。日本は最盛期に南氷洋に7船団、北洋に3船団が出漁したが、1980年から北洋の母船式捕鯨が停止され、ついで1987年から南氷洋での母船式捕鯨が停止している。

 大型捕鯨は、日本の沿岸にクジラの処理と捕鯨船への補給のための基地を設け、これを中心として近海で操業する捕鯨の形態であり、母船式捕鯨に比べて捕鯨船の操業範囲は限定される。大型捕鯨の対象鯨種はミンククジラを除くヒゲクジラ類とマッコウクジラであった。捕鯨船は数100トンの大型船で、捕鯨船数は第二次世界大戦前の30隻から1982年には7隻に減少し、基地数も戦前の外地を含めた60か所から1982年には5か所に減少し、それらは山田(岩手県)、鮎川(あゆかわ)(宮城県)、和田浦(千葉県)、母島(東京都)および太地(和歌山県)に存在したが、1988年3月で操業を停止している。

 小型捕鯨は、大型捕鯨と同様に沿岸捕鯨であるが、捕鯨船は50トン未満の小型であり、対象鯨種もマッコウクジラを除くハクジラ類とミンククジラに制限されていたが、1988年からはIWCの管理対象種であるミンククジラの捕獲は禁止されている。小型捕鯨は第二次世界大戦前から存在したが、戦後急速に拡大した。一時70隻以上の捕鯨船が乱立したが、1947年に国の指定漁業となってから業界の整理統合が進み、2001年(平成13)現在5隻が稼働している。また、かつては小型捕鯨の処理場は全国に広がっていたが、2001年時点で太地、和田浦、鮎川、網走(あばしり)(北海道)、函館(はこだて)(北海道)に限定されている。

[大隅清治]

捕鯨操業と処理

捕鯨船は船体の大きさに比して強力な機関を備え、高速を出せ、曳鯨力に優れている。高いマストの上に見張り台があり、操業中は乗組員が交替でクジラの発見に努める。噴気などによってクジラを発見すると全速力で追いかけ、鯨探知機によって水面下のクジラの行動をとらえて船を近づけ、浮上する瞬間に捕鯨砲で銛を打ち込む。銛には長い綱がついていて船とクジラとを結び付け、逃亡や沈下を防ぐ。死んだ鯨体をブイでつるし、これにラジオブイ、標識旗、方向探知機の反射板とをつけて海上に放置し、操業を続ける。操業が終了すると集鯨をし、舷側(げんそく)に抱いて母船または基地まで曳鯨する。解剖甲板に引き上げられた鯨体はウィンチのような機械力と解剖刀で解体され、皮、肉、骨、内臓に分けられる。それらは細割され、骨、皮、内臓はボイラーに投入して鯨油をとり、肉、皮、内臓の一部は冷凍、冷蔵または塩蔵される。このようにして生産された鯨製品はそのまま市場に出荷されるか、あるいは加工のために工場へ送られる。

[大隅清治]

クジラの利用

日本には鯨食文化が古くから存在し、鯨体は食用を主として余すところなく利用されてきた。鯨肉は刺身やステーキとして食べるか、缶詰などに加工されるかして食用となる。ヨーロッパやアメリカではかつては皮から鯨油を生産し、骨や鯨肉は捨てるかミールなどに加工して家畜の餌料(じりょう)として利用していた。鯨類の皮は煮物やみそ汁の具として食用になる。マッコウクジラの採油したかすは煎(い)り皮といっておでんの材料となる。尾びれの皮はさらしくじらとして食べる。畝(うね)といわれる腹部の皮と肉はクジラベーコンの原料である。蕪骨(かぶらぼね)と称する鼻部の軟骨は松浦漬けの原料となる。百尋(ひゃくひろ)といわれる小腸や、豆臓(まめわた)といわれる腎臓(じんぞう)も美味である。鯨油は、ヒゲクジラ類から採取されるナガス鯨油と、ハクジラ類から得られるマッコウ鯨油とに分かれ、前者はマーガリンやショートニングなどの食用油に加工され、分解してグリセリンや高級脂肪酸などの工業医薬原料になる。後者からは潤滑油、乳化剤、洗剤、化粧品などがつくられる。マッコウクジラの歯や下顎骨(かがくこつ)、ヒゲクジラ類のくじらひげ板は工芸材料として用いられる。マッコウクジラからまれに得られる竜涎香(りゅうぜんこう)は保香剤や媚薬(びやく)として珍重された。採油液からはエキスやミールが製造されて食料や餌料となり、採油かすは肥料に用いられる。

[大隅清治]

捕鯨の管理とクジラの資源保護

クジラ類は哺乳(ほにゅう)類に属するので、魚のように自然環境によって資源が直接影響されることは少ないが、繁殖力が低いので、とりすぎると資源の回復が遅い。また、経済的価値が高いので乱獲されやすい。古代捕鯨やアメリカ式捕鯨によってホッキョククジラ、セミクジラ、コククジラの資源が著しく減少し、近代捕鯨時代に入ってからザトウクジラやシロナガスクジラの資源が減り、クジラ資源の保護と捕鯨の管理の必要性がしだいに認識されるようになった。クジラ類の生活圏は広く、同一漁場で複数の国の捕鯨船が操業するために、捕鯨の取締りと資源の管理のためには国際的取極(とりきめ)が必要である。そこで国際連盟は1920年代からその実現に努め、1931年に「国際捕鯨条約」が締結され、1936年に発効した。1937年には別に「国際捕鯨協定」が署名された。これらの国際条約が効力を発揮する前に第二次世界大戦が始まった。大戦終結後まもなく、1946年に現行の「国際捕鯨取締条約」がワシントンで締結され、1948年に発効し、1949年からこの条約の下で規制に関する具体的事項を検討し定める機関としてのIWCが活動を開始した。日本は1951年にこの条約に加盟した。この条約は、資源の減少した鯨種系統群の捕獲禁止、捕獲割当て量の設定、捕獲体長の制限、子連れの母クジラの捕獲禁止、操業海域および漁期の制限、鯨体の完全利用の義務など多くの条項を定め、IWCは年次会議の際にそれらの条項の修正を行っている。

 1960年代後半から捕鯨反対運動がアメリカを中心として高まり、1972年に開かれた「国連人間環境会議」で「商業捕鯨の10年間禁止」の決議が採択されるに至った。IWCはこの決議は科学的に正当化されないと退けたが、捕鯨反対運動はその後も衰えをみせずに活発に活動を続け、捕鯨操業妨害などの過激行動も行った。加盟国は現行条約の締結時においては15か国であり、そのなかの14か国が捕鯨国であった。しかし、1969年には、加盟国は16か国であまり変わらないが、捕鯨国は9か国に減少し、捕鯨国の立場は弱体化した。さらに1982年には加盟国は39か国に急増し、そのなかで捕鯨国は8か国になり、付表の改訂案を阻止するに足る4分の1の票数を確保できなくなった。このような状況の下で、IWCは1982年の年次会議で1986年までに商業捕鯨を中止することを決議した。日本は規約に基づいてこの決議に対して直ちに「異議申し立て」を行ったが、1986年(昭和61)日本の北洋漁業を守るためにこれを撤回し、1988年4月以後IWCの権限内の鯨種を対象とする捕鯨を停止している。しかし、アイスランドは1992年にIWCを脱退し、同年に北大西洋海獣類委員会(NAMMCO(ナムコ))を設立して捕鯨再開の準備を進め、ノルウェーは付表修正決議に対して異議の申し立てをした国には効力を生じないとする、国際捕鯨取締条約第5条の規定に従って、1993年に捕鯨を再開した。IWCは先住民生存捕鯨の名で一部の国の捕鯨を許可している。そのため日本政府は日本の沿岸小型捕鯨がこの型の捕鯨に近似しているとして、ミンククジラの緊急捕獲枠の設定を1988年以来要求し続けているが、IWCによってそれが阻止されている。

 IWCの加盟国は2000年現在41か国であるが、非加盟のいくつかの国では、IWCの管轄下の鯨類の捕獲利用がなされており、またIWCの権限外の鯨種の捕獲による利用も加盟国を含む多くの国でなされている。日本では政府の管理下で沿岸小型捕鯨がツチクジラ、ゴンドウクジラ、ハナゴンドウの捕獲を続け、小型鯨類である数種のイルカ類を対象とする突(つき)ん棒漁、追い込み漁などのイルカ漁業も、強い鯨肉需要に支えられて、政府の指導の下で捕獲枠が定められて操業している。また、日本は科学調査のためにすべての規定を除外することが許される、条約第8条第1項に従って、南極海におけるミンククジラの科学研究目的のための捕獲調査(調査捕鯨)を1987年から継続して実施し、1994年からは北西太平洋でミンククジラの捕獲調査を開始し、2000年からはニタリクジラとマッコウクジラが捕獲調査の対象種として加えられた。そして調査副産物の利用を義務づけている条約第8条第2項にしたがって、調査後できる限り加工して利用してきた。

 IWCの科学小委員会はいくつかの主要鯨種資源の包括的資源評価作業を実施し、鯨類資源の安全な管理方法である改訂管理方式を完成させた。それらによって南極海、北太平洋および北大西洋産のミンククジラなどの捕鯨再開の科学的条件は、1992年までに整った。しかしながら、IWCで多数を占める反捕鯨国は、南緯40度以南の海域におけるクジラの聖域を1994年に設定し、改訂管理制度の整備、人道的捕殺方法の強化などの決議案を次々に提出して、捕鯨の再開を遅延させており、2001年現在、IWCによる商業捕鯨の中止決議が解除されないままでいる。

[大隅清治]

その後の動き

反捕鯨国のオーストラリアは2010年、日本の南極海での調査捕鯨の中止を求めて国際司法裁判所に提訴。国際司法裁判所は2014年、日本の南極海での調査捕鯨の中止を命じる判決を出した。これを受けIWCも調査捕鯨を再開しないよう求める決議を採択した。このため日本は、南極海での調査捕鯨から撤退し、北西太平洋での調査捕鯨も縮小を余儀なくされたが、2015年12月に捕獲数を削減して南極海での調査捕鯨を再開し、商業捕鯨再開をIWCに提案した。しかしIWC(2019年9月時点の加盟国88か国)の議決には加盟国の4分の3以上が必要であり、反捕鯨国数(48か国)と容認国数(40か国)とが拮抗(きっこう)する状況では打開が見込めないと判断し、日本は2019年(令和1)6月末にIWCを脱退した。同年7月から、調査捕鯨にかえて、31年ぶりに商業捕鯨を再開し、日本近海(日本領海と排他的経済水域)でミンククジラ、イワシクジラ、ニタリクジラの商業捕鯨を始めた。

 2020年時点で、IWC加盟国では、ノルウェーとアイスランド(1992年脱退後2002年再加盟)が中止決議に科学的根拠がないとして商業捕鯨を続けている。非加盟国ではカナダ(1982年脱退)とインドネシアが商業捕鯨を行っており、先住民生存捕鯨をアメリカ(イヌイットとマカ・インディアン)、ロシア(チュクチ先住民)、デンマーク領グリーンランド(イヌイット)、セント・ビンセント・グレナディーンズ(先住民)が実施している。IWC管理対象外では、日本のほか、アラスカ、カナダの極北地域、グリーンランド、デンマーク領フェロー諸島、カリブ海諸国、ソロモン諸島などで小型鯨類やイルカ漁がなされている。

[矢野 武]2020年8月20日

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