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中国、清(しん)初の画家。俗名朱若極。石濤は字(あざな)。出家して法名を道済(どうさい)または原(げん)(元)済(さい)。号は清湘陳人(せいしょうちんじん)、大滌子(だいてきし)など、晩年には苦瓜和尚(くがおしょう)、瞎(かつ)尊者とも号した。手がけた画(え)は広く、道釈、四君子(しくんし)、花鳥、山水にわたったが、とくに山水に優れ、既成の方法にとらわれない独自の個性的画風を創出し、格調ある作品を描いた。明(みん)王室出身の遺民画家であるが、康煕(こうき)帝に二回謁見して画作を奉上している。靖江王朱亨嘉(しゅこうか)の子として王府(桂林(けいりん))に生まれ、幼年期に明朝の滅亡に遭遇、武昌(ぶしょう)(湖北省)に逃れ、出家して書画を学ぶ。21歳、松江(しょうこう)で旅菴本月について禅を修め、25歳から39歳まで宣城(安徽(あんき)省)の寺に住して梅清(ばいせい)ら名士と交わり、また黄山の景勝に親しむ。次の10年を南京(ナンキン)長干寺一枝閣に過ごしたのち、北京(ペキン)に上り古画を学び王原祁(おうげんき)と共作を行った。51歳(1693)以降、揚州に定住して画作で生計をたてた。代表作は『細雨虬松(きゅうしょう)図』(1687・上海(シャンハイ)美術館)、『黄山図巻』『廬山観瀑(ろざんかんばく)図』(いずれも京都・泉屋博古(せんおくはくこ)館)など、著作に『画語録』がある。