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中国、明(みん)代中期の文人、書画家。初名は璧(へき)、徴明は字(あざな)。のち字をもって行われ、さらに徴仲(ちょうちゅう)と字を改めた。号は衡山(こうざん)。長洲(江蘇(こうそ)省蘇州)の人。科挙の試験に数度失敗したが、1523年(嘉靖2)翰林待詔(かんりんたいしょう)を授かる。ほどなく致仕して帰郷、詩書画の世界に没入した。彼の人徳とその才を慕って多くの文人が集まり、詩書画に華を咲かせることとなった。祝允明(しゅくいんめい)、徐禎卿(じょていけい)、唐寅(とういん)、王寵(おうちょう)らがその仲間となる。これは蘇州文人サークルの形成といってよく、これをもとに明代呉派の南宗画風が発展していった。書は李応禎(りおうてい)に学ぶも、王羲之(おうぎし)、黄庭堅(こうていけん)、趙孟頫(ちょうもうふ)の長所をよくとり、評判高かった。彼に唐寅、祝允明、徐禎卿をあわせて「呉中四才子」とよぶ。詩文を呉寛(ごかん)に学ぶ。画(え)は沈周(しんしゅう)の影響を受けたがさらに独自に発展させ、淡彩・淡墨による細やかで秀麗な画風をつくりあげた。子の文彭(ぶんぽう)(1498―1573)、文嘉(ぶんか)(1499―1582)も書画をよくした。画の代表作に『春深高樹図』(上海(シャンハイ)博物館)がある。