政治家。東京都生まれ。父親は元外務大臣安倍晋太郎(1924―1991)、祖父が元首相岸信介(きしのぶすけ)、大叔父が元首相佐藤栄作(さとうえいさく)という政治家一族に生まれる。小学校から大学までを東京都武蔵野市にある成蹊(せいけい)学園で学び、1977年(昭和52)3月、成蹊大学法学部政治学科卒業。神戸製鋼所に入社しニューヨーク、兵庫県加古川(かこがわ)市、東京で勤務するが1982年11月、父親の安倍晋太郎外務大臣秘書官となり退社。1987年松崎昭恵(あきえ)(1962― 。森永製菓社長長女)と結婚。安倍晋太郎の死去後の1993年(平成5)7月の総選挙で旧山口1区から自由民主党(自民党)公認で立候補しトップ当選。小選挙区制導入により1996年の第41回総選挙からは山口4区に移り以後連続8期当選。「清和政策研究会」(三塚(みつづか)派、のちに細田派)に所属する。2000年(平成12)7月、第二次森喜朗(もりよしろう)内閣の官房副長官(政務担当)に就任、2002年10月の第一次小泉純一郎改造内閣でも官房副長官(政務担当)に就任した。2003年9月に山崎拓(やまさきたく)(1936― )にかわり自民党幹事長に就任。閣僚や党の要職経験のない幹事長誕生は「サプライズ人事」といわれた。同年11月の総選挙で自民党は改選議席から10議席減らしたものの与党全体(自民党、公明党、保守新党)では安定過半数を確保したため幹事長に留任した。しかし翌2004年7月の参議院議員選挙では49議席の獲得にとどまり、50議席を獲得した民主党に改選第一党の座を許したため幹事長を辞任した。後任幹事長の武部勤(たけべつとむ)(1941― )の下で幹事長代理となったが、幹事長経験者が幹事長代理となるのも異例の人事であった。2005年10月、第三次小泉純一郎内閣の官房長官として初入閣。2006年9月小泉総裁の退陣を受けて自民党総裁選挙に出馬、464票を獲得し麻生太郎(あそうたろう)、谷垣禎一(たにがきさだかず)(1945― )に圧勝した。9月26日に召集された第165回国会の首班指名選挙で内閣総理大臣に指名され、第90代内閣総理大臣に就任した。第二次世界大戦後生まれとして初の首相で、52歳での首相就任は戦後最年少。また閣僚経験が官房長官1期のみでの首相就任は異例である。2007年7月の参議院議員選挙で大敗し、同年9月11日に臨時国会で所信表明演説を行ったものの、翌日辞任を表明した。
その後、2009年8月の総選挙敗北により野党となった自民党内では「安倍待望論」が高まり、2012年9月の総裁選では第1回投票では2位だったものの、国会議員による第2回投票では1位の石破茂(いしばしげる)(1957― )を逆転し総裁に再任された。12月の総選挙で圧勝し、12月26日に第182回国会で首班指名を受け、第96代内閣総理大臣に就任した。一度辞任した首相の再就任は戦後では吉田茂以来。2020年(令和2)8月28日、記者会見で病気(潰瘍(かいよう)性大腸炎)を理由に辞任を表明し、9月16日首相を退任した。連続在職日数は2822日で佐藤栄作の2798日を、通算在職日数は3188日で桂太郎の2886日をいずれも上回り歴代1位であった。
政権復帰後の安倍は国政選挙に強く、それが政権基盤を強くし長期政権を可能としたといえる。2014年と2017年に行われた総選挙ではともに自民党と公明党で3分の2の安定多数を確保した。参議院議員選挙でも2013年に自民党と公明党で過半数を回復して「衆参ねじれ状態」を解消し、2016年と2019年でも勝利した。とくに2016年の選挙後には自民・公明両党に憲法改正に前向きな諸派・無所属を合わせ参議院でも3分の2を超す議席数となった。政治的立場としては岸信介、福田赳夫(ふくだたけお)の流れを継ぐとともに、改憲推進勢力を支持母体とし自民党右派に位置する。第一次内閣では「保守の再構築」や「戦後レジーム(体制)からの脱却」により「美しい国」をめざすとし、2006年12月には教育基本法を改正して教育の目標に「愛国心」ということばを盛り込むなどした。2007年5月には憲法改正のための国民投票法(「日本国憲法の改正手続に関する法律」平成19年法律第51号)を成立させた。安定勢力を得た第二次内閣以降は改憲推進勢力からの期待が高まり、自身も「2020年を新憲法施行の年としたい」との趣旨の発言を行い改憲に前のめりであったが、結局強い指導力を発揮できず改憲は実現しなかった。その一方で2015年には「平和安全法制整備法」(安全保障関連法。「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」平成27年法律第76号)を制定し、集団的自衛権の行使を可能とし自衛隊の海外派兵をより拡大した。改憲反対派はこれが従来の政府の憲法解釈を大きく変えるものと批判したが、改憲派もこれが憲法改正の機運をそいでしまったと指摘している。また2013年には安全保障情報などを「特定秘密」に指定する特定秘密保護法(「特定秘密の保護に関する法律」平成25年法律第108号)を制定したが、国連を含め内外からさまざまな批判が寄せられた。外交面では、北朝鮮の核開発や中国の海洋進出を日本の安全保障への重大な脅威として安全保障関連法の必要を強く訴えた。北朝鮮による拉致(らち)事件については首相就任以前から深くかかわり、在任中の全面解決を公約したが経済制裁措置などもあって解決のめどは立たなかった。ロシアの大統領プーチンとは親密な個人的関係を強調し、北方領土問題の解決・国交正常化への期待を高めたが交渉はまったく進展しなかった。アメリカ大統領トランプとも親密さをアピールしたが、アメリカ合衆国のTPP(環太平洋経済連携協定)離脱にはとくに影響力を発揮できなかった。政権後半には妻の安倍昭恵もかかわる「森友(もりとも)学園」や「加計(かけ)学園」さらに「桜を見る会」などの疑惑への関与が指摘されたが、一貫して否定し続けている。「桜を見る会」疑惑では2020年12月に国会に参考人として出席し、首相時代の100回以上にわたる答弁が「虚偽」であったことは認めたが、資料の提出などを拒否し真相は明らかになっていない。
2021年4月16日