2011年(平成23)3月11日午後2時46分に三陸沖で発生した東北地方太平洋沖地震によってもたらされた大災害。地震の規模はM(マグニチュード)9.0で国内観測史上最大。宮城県北部で震度7を記録したほか福島、茨城、栃木県で震度6強を観測。高さ10メートル超の大津波が東北沿岸部などを襲い甚大な被害をもたらした。死者1万5899人、行方不明者2526人、震災関連死3775人、住宅全半壊40万戸超(2021年3月10日時点)と、阪神・淡路大震災を上回る戦後最悪の災害である。津波で浸水した東京電力福島第一原子力発電所(福島県大熊(おおくま)町・双葉(ふたば)町)は放射性物質を漏出する重大事故を起こし、住民の強制避難は震災後10年以上続く。仮設住宅は最大12万3700戸に達し、被災後10年たっても約2000人が仮設住宅で暮らす。東日本大震災は日本の防災・減災対策、救助・支援・復興政策、ボランティア活動、街づくり、エネルギー・原子力政策などに多大な影響を与えた。
震源は三陸沖130キロメートルの海底(深さ24キロメートル)である。地震の揺れや津波のほか、道路・鉄道・電力・ガス・水道・ダムなどの崩壊、地盤の液状化、地盤沈下で被害は北海道から四国まで及び、大阪でも長周期地震動を観測した。発電施設の被災などで東電管内だけで最大405万戸が停電し、新幹線はじめ鉄道網は広範囲で麻痺(まひ)した。首都圏の
は約515万人(内閣府推計)に達した。東電管内では電力不足となり、突発的停電を防ぐため、地域と時間を限定して行う計画停電を実施した。
津波で電源喪失した東電福島第一原子力発電所(1~3号機)は核燃料冷却が不能となり、炉心溶融(メルトダウン)が発生。1号機と3号機は水素爆発を起こし、原子炉建屋(たてや)の屋根が吹き飛んだ。同事故は世界に衝撃を与え、国際原子力事象評価尺度(INES(イネス):International Nuclear Event Scale)は旧ソ連のチェルノブイリ原発事故と並ぶ最悪の「レベル7」である。政府は原子力災害対策特別措置法(平成11年法律第156号)に基づいて原子力緊急事態を宣言し、避難指示区域(最大1150平方キロメートル)を設け、住民の強制避難を実施。福島県では最大16万人を超す住民が避難を余儀なくされた。その後、除染やインフラ整備が進み、避難指示区域は徐々に縮小したが、被災後10年たっても帰還困難区域が残る。事故後、福島第一原発と第二原発の廃炉が決まったが、廃炉作業は40年以上かかるとされている。
被災地の救助・支援のため、自衛隊、警察、消防、海上保安庁のほか、全国の自治体から救助・支援要員が派遣され、全国からボランティアが集まった。「トモダチ作戦」を展開したアメリカ軍はじめ世界108の国・地域、国際機関が救援・支援の手を差し伸べた。政府は復興関連予算として2019年度(令和1)までに35兆円超を投じ、財源として復興債発行、政府資産売却のほか、復興特別税(法人税2年間、所得税25年間、個人住民税10年間の上乗せ課税)で国民に広く負担を求めた。