医学者。大阪府出身。1987年(昭和62)に神戸大学医学部卒業、1993年(平成5)に大阪市立大学で博士号取得後、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)グラッドストーン研究所に博士研究員(postdoctoral fellow、略してポスドクともいう)として留学。1996年に大阪市立大学助手、1999年に奈良先端科学技術大学院大学助教授、2003年(平成15)同大学教授、2004年に京都大学再生医科学研究所教授、2010年京都大学iPS細胞研究所所長となった。人工多能性幹細胞(iPS細胞:induced pluripotent stem cell)の研究で多大な業績を築く。
iPS細胞研究所では、多くのボランティアから集めた血液をもとにつくったiPS細胞を蓄積し、臨床研究や創薬につなげる「iPSストックプロジェクト」をはじめ、2015年8月から出荷を開始した。2020年(令和2)には、iPSストックプロジェクトなどを推進する公益財団法人「京都大学iPS細胞研究財団」の理事長にも就任した。2007年8月からグラッドストーン研究所上席研究員を務め、現在も日米を行き来して研究を続けている。
山中は、整形外科医としてキャリアを積んだが、病気の治療に役だつ、すべての臓器に分化することのできる幹細胞「万能細胞」に興味をいだき、基礎研究の道に転換した。最初に取り組んだのは、なぜ「胚(はい)性幹細胞」(ES細胞:embryonic stem cell)が、万能性を獲得するのか、であった。ES細胞は、卵子と精子が結合した胚(受精卵)が分割した後にでき、人体のすべての細胞や器官を形づくるための大もとになる万能細胞である。このES細胞をうまく誘導すれば、目的とする臓器や細胞をつくりだし、さまざまな病気の治療に応用することが可能になる。しかし、人間のES細胞を作製するには、生命の根源となる「受精卵」を破壊しなくてはならないため、初期の胎児を殺してしまうことになるとして、倫理上の問題が指摘されていた。
奈良先端科技大学院大学にいた山中は、弟子の高橋和利(かずとし)(1977― )(現、京都大学iPS細胞研究所特定拠点准教授)らと、ES細胞で活発に発現し、ES細胞に必要だと考えられる遺伝子を100種類に絞り、その働きを調べて、さらに24の遺伝子に絞り込んだ。この24遺伝子を一つずつ、マウスの胚性線維芽細胞(皮膚細胞)に入れて、ES細胞に似た細胞ができるか調べたが、できなかった。そこで、どの遺伝子がES細胞に不可欠かを調べるために、24遺伝子のうち1遺伝子を減らした23遺伝子を皮膚細胞に挿入することを24回繰り返した。その結果、最終的に体細胞を初期化するのに重要な四つの遺伝子(Oct3/4、Sox2、c-Myc、Klf4)を特定した。「山中4因子」とよばれるこの四つの遺伝子を導入すると、マウスの皮膚細胞が、ES細胞と同じように分化していくことを世界で初めて確認した。こうしてできた万能細胞を「iPS細胞」と命名し、2006年アメリカの科学誌「Cell(セル)」に発表した。さらに、2007年には、人間の皮膚に4種類の遺伝子を挿入するだけでES細胞と同様のヒトのiPS細胞を樹立することにも成功し、これも「Cell」に論文を掲載して世界的に注目を集めた。
iPS細胞は、ほぼ無限に増殖して人間の神経、筋肉、骨などあらゆる臓器や皮膚などの細胞になりうるため、再生医療への道を大きく切り開くことになった。とくに自分の細胞を使えば、免疫拒絶反応のない治療として期待される。
iPSストックプロジェクトは、拒絶反応の少ないタイプのHLA(ヒト白血球抗原human leukocyte antigen)をもつボランティア数百人の血液細胞から作製したiPS細胞をストック化したものである。その出荷が始まった2015年以降、iPSによる臨床応用や創薬研究が本格化した。国内でも、滲出(しんしゅつ)型加齢黄斑(おうはん)変性症、パーキンソン病、角膜上皮幹細胞疲弊症、虚血性心疾患などの心疾患の治療が始まり、一部成果も出ている。難病患者から作製したiPS細胞を使って、新薬の探索だけでなく、既存薬の新たな効用なども調べられている。
2008年に紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受章、2010年に文化功労者に選ばれる。2008年にロベルト・コッホ賞、2009年にガードナー国際賞、アルバート・ラスカー基礎医学研究賞、2010年に京都賞を受賞。さらに2012年には、体細胞の核移植によって細胞の初期化に成功した、イギリスのジョン・ガードンとともに「体細胞のリプログラミング(初期化)による多能性獲得の発見」の業績でノーベル医学生理学賞を受賞した。同年、文化勲章を受章。2013年に日本学士院会員、2015年アメリカ医学アカデミー国際会員、フランス科学アカデミー外国人会員にも選出されている。