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女行商人の一種。平安中期、11世紀ころから、京へ近郊から日常の食品や雑貨を行商にくる女性、つまり販婦(ひさぎめ)(販女(ひさめ))が多くなってきた。その一つに京の北部の大原(おおはら)(京都市左京区)から炭、薪(たきぎ)、柴(しば)などを頭にのせて売りにくる者があった。これを大原女(小原女)とよぶようになったのは13世紀からのことである。近世では黒木(くろき)売りともいった。黒木は、生木(なまき)を1尺(約30センチメートル)ばかりの長さに切って竈(かま)で蒸して黒くしたもので、薪として使った。売り歩く品は、古代では炭、中世からは薪、柴となり、近代では家庭燃料の変化によって、山菜、野菜、花などとなったが、山村での貨幣取得の手段であった。その服装は、基本的には村の労働着であるが、しだいに装飾性が加えられてきた。中世では紺の筒袖(つつそで)に前結びの帯であったが、近世では両肩に白手拭(しろてぬぐい)を垂らしたり、のちには島田髷(まげ)、色糸で刺しゅうした手拭をかぶり、鉄漿(かね)をつけ、紺木綿の黒衿(くろえり)の筒袖に三幅(みの)の前垂れ、白の腰巻、脚絆(はばき)、足袋(たび)で二本鼻緒の草鞋(わらじ)を履いていた。その伝統は近年まで、前垂れは、二幅(ふたの)半の下を三つに割って三幅前垂れになるなど多少の変化はあるものの、京の風物詩として今日でもわずかながら残っている。