太陽系に属し、太陽を海王星よりも外側(ときに内側になるときもある)で周回する天体。長らく太陽系第9惑星とされてきたが、現在は太陽系外縁天体のなかの準惑星に分類されている。
冥王星発見の経緯は天王星の発見にまでさかのぼる。天王星は1781年に発見されたが、やがてその軌道運動が計算された位置からわずかにずれることが問題となった。未知惑星の重力が天王星をふらつかせていると考えた天文学者らが、天王星のふらつきから未知惑星の軌道を推測し、1846年に発見されたのが海王星であった。ところが、海王星からの重力の影響を考慮しても天王星のふらつきの一部が未解明として残った。そこで、さらなる未知惑星を海王星の外側に探す試みが始まった。
アメリカのP・ローウェルは未知惑星を惑星Xとよび、背景の星々に対し位置を変える天体を写真乾板から探そうとした。ローウェルの死後、ローウェル天文台に雇われたトンボーが海王星よりも遠い軌道を回る新天体を1930年に発見した。予想にとらわれず範囲を拡大して観測したトンボーの粘り強い捜索の結果であった。ローウェル天文台には新惑星の名前の提案が多数寄せられ、そのなかから選ばれたのは「プルートー」(ローマ神話の冥界の神)であった。名づけ親はイギリスの11歳の少女ベネシア・バーニーVenetia Burney(1918―2009)と発表されたが、同じ名前の提案は約150件もあったという。星の民俗学者で随筆家・英文学者の野尻抱影(のじりほうえい)は和名として冥王星を提案し、これが急速に広まり、中国でも採用された。
発見前は地球質量の数倍程度の惑星が予想されていたが、冥王星は点にしか見えず予想以上に暗い天体であった。発見直後の推定では、火星程度かもしれないといわれた。
1950年には当時世界最大の、口径5メートルのパロマ天文台の望遠鏡で冥王星が観測され、直径は地球の半分以下で質量も1割と見積もられた。1950年代には冥王星の明るさが周期的に変わっていることから、自転周期は約6.39日と求められた。1976年には赤外線観測から、冥王星はメタンの氷で覆われているらしいとわかった。
1978年、アメリカ海軍天文台のクリスティJames Walter Christy(1938― )は写真乾板の冥王星像に突起があり、その位置が変化していることから衛星を発見した。彼はその衛星にカロンCharon(ギリシア神話に登場する冥界の川の渡し守)の名を提案し、正式に命名された。カロンの公転周期は冥王星の自転周期と一致していた。なお、互いの潮汐力の影響で、冥王星とカロンは同じ面を向けて公転している。また、衛星の軌道運動から、冥王星の質量が地球の約0.2%しかないこともわかった。幸運にも1985年から1990年にかけて、地球からみてカロンの軌道をほぼ真横から見る状況(次回は2110年前後)になり、冥王星とカロンが互いを隠しあう相互食が観測できた。これにより、それぞれの正確な大きさや冥王星表面に明暗模様があること、カロン表面に水の氷があることなどもわかった。なお、カロンの直径は冥王星のほぼ半分であった。また、1990年にスペースシャトルで軌道に上げられたハッブル宇宙望遠鏡によって、冥王星表面の明暗模様がより鮮明にわかり、新たなカメラがそれに取りつけられると2005年には新衛星も二つ発見され、2011~2012年にはさらに二つの衛星が発見された(2021年現在、冥王星に確認されている衛星は合計5個)。1980年代以降、写真乾板にかわって望遠鏡に取りつけられたCCDカメラの性能向上や、データ処理にコンピュータが使われるようになったことにより、1992年からは海王星以遠の領域に直径数百キロメートルの新たな天体(太陽系外縁天体)が次々に発見されるようになった。冥王星は大型の太陽系外縁天体だったのである。1989年のボイジャー2号の海王星接近時に測定された海王星の正確な質量を採用して天王星の軌道運動を計算した結果、冥王星発見へのきっかけとなった天王星のふらつきとみられたものもなくなり、理論どおりの動きをしていることが1993年に判明した。
冥王星の太陽からの平均距離は約39.5天文単位(約59億キロメートル)、公転周期は約248年だが、軌道の離心率が約0.25と大きい。このため、遠日点と近日点では太陽からの距離が約73億8000万キロメートルから約44億4000万キロメートルまで大きく変化し、地球から見た平均の明るさは15.1等級だが、近日点付近での極大光度は13.65等級にもなる。軌道傾斜角も約17.1度で、他の惑星に比べて大きい。冥王星の軌道は、かなりの楕円(だえん)であるため、ときには海王星軌道の内側に入ってくる(最近では1979年2月から1999年2月)。ところが、冥王星と海王星は16.7天文単位を超えて決して接近しない。海王星が3周公転する間に冥王星はちょうど2周公転するという特殊な関係にあることで、互いの接近が妨げられている。1993年にアメリカのマルホトラRenu Malhotra(1961― )は、いまより内側で誕生した海王星がなんらかの理由で外側に移動し、途中で冥王星を特殊な軌道周期関係の位置に取り込み外側へ引きずっていったという説を発表した。この説は現在広く支持されている。
2006年1月、冥王星を調査するアメリカの「ニュー・ホライズンズ探査機」が打ち上げられた。一般から募集された約43万4000人の名前を記録したCD-ROMや、遺族から提供された冥王星発見者トンボーの遺灰の一部がおさめられたアルミ製容器も探査機内部に取りつけられていた。皮肉にも、冥王星が惑星ではなくなる決議がなされた国際天文学連合(IAU)総会の7か月前であった。大型のグランドピアノほどの大きさの探査機は、アポロ宇宙船が3日以上かかった月までの距離をたった9時間で横断して、13か月後には木星に接近し、その重力を利用して加速した。そしてついに2015年7月14日、探査機は冥王星に約1万2500キロメートルまで、カロンには約2万7000キロメートルまでの接近通過をした。
分光観測により、冥王星の表面は凍った窒素、メタン、一酸化炭素、水の氷に覆われており、カロンは水の氷に覆われていた。冥王星の直径は2376キロメートル、密度は1立方センチメートル当り1.854グラムであり、岩石と氷を主成分とする天体と思われる。冥王星にみつかったハート型地形の左半分に位置するスプートニク平原は凍った窒素に覆われており、この平原には衝突クレーターがみられない。内部の熱エネルギーで対流が生まれ、表面にできた衝突クレーターが消し去られているらしい。周囲の「陸」部分は、窒素より密度の低い水やメタンの氷であると思われる。また、地下には液状の海があると考えられている。冥王星には窒素主体のきわめて希薄な大気も確認された。
カロンの直径は1212キロメートル。密度は1立方センチメートル当り約1.7グラム。衛星というよりも、カロンは冥王星との二重天体とみたほうがよいのかもしれない。