太陽系惑星の一つ。直径・質量ともに太陽系の惑星のなかでもっとも小さく、直径は4880キロメートルで地球の約38%、月の約1.4倍である。質量は地球の5.5%しかない。地球軌道に対する軌道の傾きは他の惑星よりも大きく7.0度もある。軌道離心率も他の惑星より大きく0.206である。惑星のなかでは太陽にもっとも近い軌道を約88日で回っているため、地球から見るとつねに太陽の近くにあり、太陽から28度より離れて見えない。肉眼で見えるが、薄明時の低空にしか見ることができないため、実際に見たことがある人は少ないかもしれない。
1543年に出版されたコペルニクスの『天球の回転について』のなかで、水星観測のむずかしさへの言及があったため、コペルニクスは生涯、水星を見ることがなかったという説が生まれたようである。しかし、コペルニクスは彼が住んでいたポーランド北部よりも天候のよいイタリアへ約10年間留学していたので、おそらく水星をみつけられたはずである。
水星の昼の表面温度は鉛も溶ける約430℃に達するが、分厚い大気をもっていないため夜間は熱が宇宙空間に逃げ、マイナス170℃まで冷えてしまう。
水星の軌道面と地球の軌道面が7度傾いて交わる方向で地球と水星が並ぶと、地球から見て太陽を背景に水星がシルエットになって見える。この「水星の太陽面通過(日面通過)」が21世紀中に見られるのは14回である。
私設の天文台をもっていたドイツのヨハン・シュレーターJohann Hieronymus Schroeter(1745―1816)は、水星のようすが翌日になっても同じように見えていたため、水星の自転周期はほぼ24時間ではないかと考えた。彼の助手をつとめていたカール・ハーディングKarl Ludwig Harding(1765―1834)やフリードリヒ・ベッセルも同様の結論を出した。火星の自転周期が24時間に近かったことも水星の自転周期の推定に影響したかもしれない。
イタリアのスキャパレリは、薄明時ではなく、水星が空高くに見える昼間に観測を行った。1882年から7年にわたり観測が行われ、水星がかなりゆっくりした自転をしていることは間違いなく、公転周期と同じかもしれないことを示唆した。1879年にはイギリスのジョージ・ダーウィン(チャールズ・ダーウィンの息子)が地球の潮汐(ちょうせき)によって月の自転が遅くなっていき、公転周期と一致するに至ったことを示していたが、水星でも同様のことが起きている可能性があった。1889年、スキャパレリは著作のなかで水星の自転周期が公転周期と一致していると結論づけた。このことはその後、多くの人によって確かめられ、疑いのない事実として長く受け入れられていた。
1965年4月、アレシボ天文台のレーダー観測により、水星の自転周期が59±5日であることが明らかになった。その後のレーダー観測から1971年には58.65±0.25日と特定され、探査機マリナー10号による観測から1975~1976年には58.646±0.005日と求められた。1965年イタリアの天体力学研究者、ジュゼッペ・コロンボGiuseppe Colombo(1920―1984。愛称はベピ)が指摘したように、それは公転周期87.969日のちょうど3分の2である58.646日と一致していた。太陽の周りを1周する間に水星は1回半自転する。水星の自転周期は潮汐摩擦で長くなり、近日点付近で太陽の重力がとくに強く働くため、公転周期の3分の2の状態で安定したとみられる。
大きな離心率のため、近日点では平均の1.5倍で公転運動する。このため、水星上に立ってみると、ふだんは東から西へゆっくり動く太陽が近日点付近では8日間ほど西から東への動きに転じる。
自転周期、公転周期、会合周期はそれぞれ58.646日、87.969日、115.88日で2:3:4に近い。太陽から離れた角度で水星が見える最大離角になる間隔は会合周期であり、太陽からとくに離れる遠日点付近での観測となると、4公転周期(≒3会合周期)で観測しやすくなる。この間に水星は6回自転しているため、観測時には水星の同じ面が地球を向いていることになる。これまでの観測者が水星は常時同じ面を太陽に向けて公転していると勘違いしたのも無理からぬことだった。
19世紀、水星軌道に奇妙な点があることが明らかになっていた。もっとも太陽に近づく近日点での位置に説明のつかないずれ(移動)が生じていたのである。100年間に43秒角というわずかなものだったが、1859年にフランスのルベリエは、水星軌道の内側に未知の惑星があり、その重力が原因であるという説を発表した。彼はその未知惑星にバルカン(ローマ神話の「火の神」)という名をつけた。皆既日食時の太陽近傍や太陽面の観測が何度も行われたが、バルカンは確認できなかった。20世紀になり、1915年にアインシュタインの一般相対性理論が登場すると、水星の近日点移動の謎はただちに解決された。
金星スイングバイで探査機を水星に向かわせるというジュゼッペ・コロンボの軌道プランに基づき、1973年に打ち上げられたアメリカのマリナー10号は1974年から1975年にかけて3回の水星への接近通過を行い、水星表面の約45%、写真2800枚以上を撮影した。多くのクレーターや長く大きな崖(がけ)がみつかった。この大きな崖は、水星の内部が冷えて水星全体が収縮する際にできたと考えられている。弱いながらも地球と同じように磁場があることも判明。2004年に打ち上げられたアメリカのメッセンジャー探査機は、地球に一度、金星に二度、そして水星に三度接近して軌道変更を行い、2011年には水星を回る軌道に入り、水星初の人工衛星になった。北極や南極にはまったく太陽光が当たらない領域がみつかった。赤外レーザーの反射率の高さから北極域に水の氷があると考えられ、中性子スペクトロメーターでもレーザー反射率の高い場所に水の氷の成分とみられる水素の存在が示された。メッセンジャーの軌道高度は南極域から離れていたため、南極域の詳しい観測はできていないが、北極域と同様な状況とみられている。燃料が尽きたメッセンジャーは2015年に水星に落下した。
水星探査における功績からジュゼッペ・コロンボの愛称がつけられたベピ・コロンボ計画は、宇宙航空研究開発機構(JAXA(ジャクサ))とESA(イーサ)(ヨーロッパ宇宙機関)の共同で進められているもので、水星磁気圏探査機(MMO:Mercury Magnetospheric Orbiter)と水星表面探査機(MPO:Mercury Planetaly Orbiter)の2機による総合的観測で水星に残された謎に挑む。MMOの愛称が一般から募集され、「みお」と名づけられた。2機が結合したベピ・コロンボ探査機は2018年に打ち上げられ、地球に1回、金星に2回、水星に6回接近後、2025年12月に水星周回軌道に入る予定。その後2機は分離し、それぞれの観測を行う。