ジャパンナレッジ
詩人、評論家、英文学者。東京生まれ。号柳村(りゅうそん)。第一高等中学在学中から文学サークル「無名会」でその早熟な文才を発揮、1894年(明治27)に平田禿木(ひらたとくぼく)の紹介で『文学界』同人となり、学芸の世界に目を注ぐ美的傾向を示した。同じ同人の島崎藤村(しまざきとうそん)の人生凝視の姿勢と違い、芸術のための芸術を志向する敏の活動は、東京帝国大学英文学科の学生時代にも顕著で、『帝国文学』の編集委員を務め、ケーベルや小泉八雲(こいずみやくも)に学び学識を深めた。1897年大学卒業後は高等師範学校(現、筑波(つくば)大学)で英語を教え、『耶蘇(やそ)』(1899)を処女刊行、『文芸論集』『詩聖ダンテ』『最近海外文学』(ともに1901)と多彩な西欧文学紹介の著作をまとめた。1902年(明治35)に雑誌『芸苑(げいえん)』を出すが1号で廃刊、森鴎外(もりおうがい)と合流する形で『芸文』『万年艸(まんねんぐさ)』を出し、訳詩の試みも増えた。それらの訳詩は、フランス高踏派、象徴派のみごとな紹介ともなった訳詩集『海潮音』(1905)にまとめられている。その間、29歳の若さで夏目漱石(なつめそうせき)とともに東京帝国大学講師となったが、1907年に外遊、翌1908年京都帝国大学に迎えられ、のち教授となった。L・N・アンドレーエフの小説『心』の翻訳もあるが、1910年に『国民新聞』に連載した唯一の小説『うづまき』は、敏の到達した享楽主義を示す思想的自伝ともなっている。没後『現代の芸術』や訳詩集『牧羊神』が出た。