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小説家。明治31年2月5日、愛知県生まれ。早稲田(わせだ)大学政治経済学科中退。愛知二中(現岡崎高校)時代から政治に関心を寄せ、早大に進んで雄弁家として活躍する一方、堺利彦(さかいとしひこ)の売文社に出入りして社会主義運動にも身を投じたが、やがて『逃避行(とうひこう)』(1921)を著して離脱し、文学に転じた。当初は不遇であったが、1935年(昭和10)川端康成(やすなり)が『人生劇場――青春篇(へん)』(1935)を絶賛して脚光を浴びる。伝統的な日本人的心情の反映した人柄と文学は、庶民大衆の共感をよび、第二次大戦下にあった人々の民族心を喚起して、一躍花形作家となり、従軍作家として戦地に赴き、『石田三成(みつなり)』(1938)や『高杉晋作(しんさく)』(1941)を新聞に連載した。戦後は、戦時下の活動が華やかであったがゆえに、戦争責任追及の指弾は免れえなかったが、時代の風潮に動揺せず節を守り、『天皇機関説』(1951)によって文芸春秋読者賞を受賞して文壇に復帰した。相撲(すもう)好きで横綱審議会委員を終生務めた。昭和39年2月19日没。文化功労者(没後追贈)。