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女子教育者。嘉永(かえい)7年8月8日美濃(みの)国岩村藩士の平尾家に生まれる。幼名鉐(せき)。1872年(明治5)宮中女官となり皇后より歌子の名を賜ったが、1879年辞官して旧丸亀藩士下田猛雄(?―1884)と結婚。1881年伊藤博文(ひろぶみ)らの勧めで良妻賢母主義による上流子女教育を目的とした桃夭女塾(とうようじょじゅく)を開いた。夫と死別後、1885年華族女学校開設と同時にその学監兼教授となる。1906年(明治39)同校が学習院女子部となったとき部長に就任したが翌1907年辞職。なお1899年に実践女学校(現、実践女子大学)を創立、校長となったほか、帝国婦人協会会長(1898)、愛国婦人会会長(1920)として女性運動にも活躍。著書に『女子の心得』(1905)、『女子の修養』(1906)、『日本の女性』(1913)、『香雲叢書(そうしょ)』(1918)など多数がある。