「人間と性」に関する教育の総称。
古くから人類社会においては、性交・妊娠・出産・避妊・人工妊娠中絶などに関する知見が、人から人へと伝えられてきた。それを原初的な性教育ということも可能であろう。
近代に成立した国民国家は、労働力・兵力となりうる健康な国民を「国力」の基本的な資源と位置づけ、人口増を追求してきた。そのためには、婚姻内で生殖(再生産)に貢献する異性愛規範を備えた道徳的人格をもつ国民を大量に育成する必要があった。その手段の一つとして、学校において性にかかわる教育が重視されるようになる。
その後、国家の要求する内容に加えて、多様な思想をもった市民も性教育に対する要求を掲げ、教育内容を提起してきた。その結果、現在行われている「性教育」は、さまざまな内容をもつに至っている。福永玄弥(げんや)(1983― )は、次のように概括している。「実際に東アジアで用いられてきたフレームを列挙すると、『純潔教育』、『道徳教育』、『性教育』、『人権教育』、『包括的セクシュアリティ教育』、『男女平等教育』、『ジェンダー教育』、『ジェンダー平等教育』などがあり、こうしたフレームに基づいて多様な『性教育』がおこなわれてきました。(略)このようなフレームの多様性は、『性教育』のあり方が決して固定的でも単一的でもないということを示しています」(『季刊セクシュアリティ』第110号所収の「東アジアにおける『性教育』をめぐる闘争」2023)。
性に関する知識は、家族においては、親から子、あるいは親以外の年長者から年少者に伝えられた。「春画」とよばれる性愛を描いた絵画も、性知識伝達の一端を担っていた。また、村落共同体においては「若者組」や「娘組」などの集団を通じて、性知識や恋愛・性愛に関する知識が伝えられた。
大衆的出版物を通じても、性交(および健康術)、生殖、避妊、中絶、間引き、性感染症などに関する知見が伝えられてきた。代表的なものとして艸田寸木子(くさだすんぼくし)(1674―1748)の『女(おんな)重宝記』(1692)、『男(なん)重宝記』(1693)、貝原益軒(かいばらえきけん)の『養生訓(ようじょうくん)』(1713)、渓斎英泉(けいさいえいせん)の『枕(まくら)文庫』(1822)などがある。
文明開化期に諸外国から流入してきたさまざまな学問のなかには、性に関するものも含まれていた。それらは現在「開化セクソロジー」とよばれているが、そこで紹介された「衛生」の一環として、学校における「性欲教育」「性道徳教育」の必要性が主張されるようになった。その内容や方法については、次のように要約されよう。「男女別にみると、男子校は性欲を起こさせないよう衛生博覧会で性病に冒された患部を視覚的に見せて恐怖感をあおるなどの方法が採られ、女子校では、貞操を守るという女子の心構えを養うこと、そして月経教育という大きな課題があり、性教育は男子校よりは女子校で熱心に取り組まれたと言える」(首都大学東京『社会学論考』第33号所収の太田恭子「明治・大正・昭和前期における性教育の女性化」2012年)。
生物学者、山本宣治(せんじ)は「純科学的性教育」の必要性を唱え、1923年(大正12)に『性教育』を出版した。また、従弟(いとこ)の安田徳太郎の協力を得て、自らの「人生生物学」の受講者であった京都大学、同志社大学、東京大学、早稲田大学の学生約500人に対して、日本初の青年の性生活調査も行っている(「日本人男子学生の性生活の統計的研究」)。
山本は、性を科学的に、両性の平等のうえにたった自立的なものとしてとらえ、性欲予防教育から脱却し、性教育を科学と自立の性教育へと進化させようとした。山本の性教育理念は、現代の性教育に匹敵する先駆的なものであったが、当時は学界や大学当局などから強い非難を浴びた。山本のほかにも金沢医科大学の星野鐵男(てつお)(1890―1931)や、産婦人科医の太田典礼(てんれい)(1900―1985)が性教育や性科学の提唱を試みたが、時代の風潮のもとで抑圧され、発展させられなかった。
一方、1923年前後、大正デモクラシーの気運にのって自由恋愛が叫ばれ、自由主義的な風潮が若者たちの間に浸透してきたことを憂えて、性の純潔を強調する動きが生まれてきた。たとえば女子教育の実践者であった市川源三(1874―1940)は純潔教育の必要性を説き、『婦人公論』に自説を連載すると同時に、鴎友(おうゆう)学園高等女学校(現、鴎友学園)校長として自ら教壇で純潔教育の実践を試みた。
また、日本キリスト教婦人矯風(きょうふう)会がオールズGenevieve Davis Olds(1870―1939)の『正しい性教育』を翻訳、出版した。いずれも自由恋愛の誘惑から若い女性を守り、一夫一婦制の秩序を維持する貞淑な女性を育てる教育をねらいとするものであった。これらの流れは、第二次世界大戦後、性道徳の高揚や性の純潔性の強調という形でその影響を残した。
1947年(昭和22)1月、文部省(現、文部科学省)社会教育局長から「純潔教育の実施について」という通達が出された。この通達の出発点は前年11月に決定された「私娼(ししょう)の取締」という文書である。同文書にある「『闇の女』の発生防止及び保護対策」の二本柱は、「子女の教育指導に依(よ)って正しい男女間の交際の指導・性道徳の昂揚(こうよう)を図る」こと、「正しい文化活動を助成して青年男女の健全な思想を涵養(かんよう)する」ことであり、具体策の一つとして「純潔教育」が位置づけられたのである。
1960年代から1970年代にかけて、性に関する研究が活発になり、諸外国の知見が数多く紹介されるなかで、「純潔教育」ということばに対する批判も強まり、社会的には「性教育」という用語が一般化していく。1972年には文部大臣の認可のもとに「財団法人日本性教育協会」(現、一般財団法人日本児童教育振興財団内日本性教育協会。JASE)が設立された。
同年、文部省は局長裁定文書「純潔教育と性教育の関係について」を発表する。そこには「今後は、純潔教育と性教育とが同義語であるとの見解に立って、事務をすすめる」とあり、「純潔教育=性教育」とすることによって実質的には性教育という用語を忌避する文部省の立場が表れている。
その後文部省は、1970年代の終わりごろには、理由を明確には示さないまま「純潔教育」から「性に関する指導」という用語に切り替える。
1970年代に紹介された諸外国の性に関する知見のなかで特筆すべきは、「セクシュアリティ」という概念である。この概念は、1964年に設立された「アメリカ性情報・教育評議会」(SIECUS)の創立者である、L・カーケンダールLester Allen Kirkendall(1903―1991)らによって提唱されたものである。カーケンダールは、「セクシュアリティでは(略)性器や性行動のほかに、他人との人間的なつながりや愛情・友情・融和感・思いやり・包容力など、およそ人間関係における社会的・心理的側面や、その背景にある生育環境などをもすべて含むべき」(『季刊現代性教育研究』創刊号所収の波多野義郎(はたのよしろう)訳「現代社会における性の役割」1972)と述べている。この「セクシュアリティ」の概念は、現代の包括的な性教育の根幹をなしている。
前出の「日本性教育協会」は、定期刊行誌を通してSIECUS関連の著作物なども紹介した。1981年、文部省や教育委員会のバックアップのもと、「全国性教育研究団体連絡協議会(全性連)」が結成され、翌1982年には「“人間と性”教育研究協議会(性教協)」が設立された。性教協は「科学・人権・自立・共生」の4本の柱に立脚し、「日本の社会に人間性豊かな性文化を創造していく」ことを目標に掲げた。
1987年、神戸で日本人女性では初のエイズ患者が発生し、その後死亡したことが発表され、パニックを引き起こした。性感染症の増加、若年層の性行動の活発化、性の商品化の広がりなどを前に、学校における性教育を求める声が広がった。
こうしたなか、1989年(平成1)、小学校学習指導要領が改訂された。小学校5・6年生の「保健」の改訂は思春期の体の変化についての記述を「初潮、変声など」から「初経、精通など」に変え、「思春期になると異性への関心が芽生える」という記述を新たに設ける程度のものだったが、教育現場には大きな波紋を生んだ。さらに、1992年から「保健」の教科書が初めて導入されることとなり、マスメディアはこの年を「性教育元年」と喧伝(けんでん)した。全国各地で盛んに性教育の研修や学習会が行われ、また1999年、文部省は、「学校における性教育の考え方・進め方」という冊子(105ページ)を発行する。これ以降、文部省および文科省は性教育に関する類書を発行していない。
1990年代初め、男女共同参画条例制定などの動きがある一方で、南京(ナンキン)事件や日本軍「慰安婦」問題など日本の戦争責任検証の取り組みが激しく攻撃(バッシング)された。これらの攻撃は、一部右派宗教団体やダミー組織・議員・一部メディア・学者などの協同した勢力や、世界基督(キリスト)教統一神霊協会(略称、統一協会。現、世界平和統一家庭連合)などによって大規模に行われ、男女共同参画事業の停止・縮小、戦争責任検証の後退、韓国・中国に対する排外・差別主義やヘイトスピーチの横行などをもたらした。それと前後して、性教育とジェンダー平等教育に対しても「過激性教育」などとするバッシングが始まった。
なかでも、2003年(平成15)に起きた東京の七生(ななお)養護学校(現、東京都立七生特別支援学校)へのバッシングは、性教育の実践に大きな否定的影響を与えた。それまで校長会や教育委員会から高く評価されていた同校の性教育の実践(「こころとからだの学習」)を、一部の都議会議員が都議会本会議において非難し、東京都教育委員会(以下、都教委)職員とともに学校に押しかけて威圧し、都教委が教材を回収、実質的には没収したのである。さらに都教委は教員に対する処分を行った。教員たちは都議や都教委を被告として提訴し、2013年の最高裁判所の判決で教員らの勝訴が確定したが、性教育の実践にもたらした萎縮(いしゅく)と後退は大きなものだった。
文科省は「学校における性に関する指導は、学習指導要領に基づき、児童生徒が性に関して正しく理解し、適切に行動を取れるようにすることを目的に実施されており、(略)学校教育活動全体を通じて指導することとしている」(「学校における性に関する指導及び関連する取組の状況について」令和4年3月10日)と説明している。
学習指導要領には(ヒトの)「受精に至る過程は取り扱わない」(小学校5年理科)、「妊娠の経過は取り扱わない」(中学校1年保健体育科)という「はどめ規定」が存在する。文科省は「いわゆる『はどめ規定』は、これらの発展的な内容を教えてはならないという趣旨ではない」(参議院議員川田龍平(かわだりゅうへい)の質問主意書に対する答弁書。2018年)としているが、教育現場では性交については教えてはならないものという理解が一般的である。
「はどめ規定」に対しては、性教協などの性教育にかかわる団体はもちろん、日本財団や日本弁護士連合会などからも撤廃すべきという声があがっている。
2009年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)、国連児童基金(ユニセフ)、世界保健機関(WHO)などが協同し、性教育にかかわる世界各国の専門家の研究と実践を踏まえて「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」(以下「ガイダンス」)を発表した(2018年改訂)。
「ガイダンス(改訂版)」が提起しているのは「包括的性教育comprehensive sexual education」である。包括的性教育とは、「科学的に正確で、年齢・成長に即して徐々に進展し、カリキュラムベースで、包括的で、人権的アプローチに基づき、ジェンダー平等を基盤にし、文化的関係と状況に適応させ、学習者に変化をもたらし、学習者の健康的な選択のためのライフスキルを発達させる」性教育である。
また、八つの鍵(かぎ)となる学習の構想(キーコンセプト)を提示している。それは、(1)人間関係、(2)価値観、人権、文化、セクシュアリティ、(3)ジェンダーの理解、(4)暴力と安全確保、(5)健康とウェルビーイング(幸福)のためのスキル、(6)人間のからだと発達、(7)セクシュアリティと性的行動、(8)性と生殖に関する健康、である。
包括的性教育は、ヨーロッパにおいては、「ヨーロッパにおけるセクシュアリティ教育のための標準(スタンダード)――政策決定者、教育・健康関係当局および専門家のための枠組み」として実践されている。この「ヨーロッパ標準」は、2010年秋、WHOヨーロッパ地域事務局とドイツの連邦健康教育センターが共同して医学、心理学、社会科学など、さまざまな学域的背景をもち、国の機関や国際研究機関、NGO等で活躍しているセクシュアリティ教育の専門家、9か国・19人の協力を得て開発されたものである。イギリス、オランダ、スウェーデン、ドイツ、フィンランド、フランスなどでは、包括的性教育が必修の学習内容とされている。また、スウェーデンでは、若者が無料で医師・看護師やカウンセラーに性の問題を相談できる「ユースクリニック」が全国に250か所以上あり、学校以外でも若者をサポートする体制が整備されている。
日本の学校における性教育は、量質ともに十分とはいえない。全国の生徒数330人以上の中学校724校における性教育実施状況調査(「日本の中~大規模中学校における性教育の実態調査」2017年。茂木輝順(もてぎてるのり)、橋本紀子(のりこ)、池谷壽夫(いけやひさお)、関口久志らによる。『現代性教育ジャーナル』第136号参照)によると、性教育の授業数は、平均して3年間で8.62時間であり、1年間では3時間にも満たない。東京都教育委員会が2018年に都内全中学校624校を対象に行った調査結果でも、第2学年の性教育の年間授業時間数は、「1時間から10時間」が67%となっている。また、橋本らの調査によると、「性教育で扱う内容」は、「身体」「妊娠」「性感染症」「月経」「射精」などが80%を超える学校で教えられているのに対し、「避妊」「自慰」などは50%以下であり、包括的な内容とはいえないことがわかる。
性教育が量質ともに十分ではないために、大人も子どもも、性に関する包括的で科学的な知見を得る機会に恵まれず、インターネットなどによる不正確、営利主義的、暴力肯定的、ポルノ的な性情報の氾濫(はんらん)にさらされているのが現状である。
前述の「ガイダンス」に学び、日本の性の現実を踏まえた包括的性教育プログラムを衆知を集めてつくり、すべての学校において実践できる条件と体制を整備すること、学校以外でも若者が低価格または無料で気軽に性の問題を医師や看護師など専門家に相談できるユースクリニックのような施設を整備すること、ネット情報の検索上位に正確な情報が現れるよう官民一体で努力することなど、総合的な施策が今日の日本に求められている。