アゼルバイジャンがかつてソビエト連邦(ソ連)の一部であった時期に同国西部のアルメニア人居住地域に置かれていた自治州の名称。面積4400平方キロメートル、人口18万9085(1989)。1991年以降、事実上、その大部分は未承認国家であるアルツァフ共和国Republic of Artsakh(アルメニア語による名称。2017年2月20日採択の改正憲法により正式名称をロシア語の「ナゴルノ・カラバフ共和国」から変更)の統治下にある。アルツァフ共和国の人口は14万8800(2019)。中心都市(アルツァフ共和国首都)はステパナケルトСтепанакерт/Stepanakert、人口5万8300(2019)。
ナゴルノ・カラバフは、1923年アゼルバイジャンに属するナゴルノ・カラバフ自治州Нагорно-Карабахская Автономная Область/Nagorno-Karabahskaya Avtonomnaya Oblast'として設立され、その地位のまま社会主義時代を過ごしてきたが、1988年以降アルメニアとアゼルバイジャンの間でその帰属が争われている。ソ連時代の1980年代後半、住民の大半を占めるアルメニア人がこの自治州のアルメニアへの帰属替えを主張し、1988年にアゼルバイジャン国内でアゼルバイジャン人とアルメニア人の民族紛争が勃発(ぼっぱつ)、これにアゼルバイジャン軍が介入、さらにアルメニア、アゼルバイジャン両国の武力衝突に発展した(ナゴルノ・カラバフ戦争)。1991年9月2日、ナゴルノ・カラバフ自治州と同州の北側に隣接するシャウミャノフスク地区との合同の人民代議員会議(議会)が「ナゴルノ・カラバフ共和国」創設を宣言、同年12月10日に住民投票を行い、1992年1月6日独立を宣言した。アゼルバイジャンはこれを認めず、アルメニアとの紛争はさらに先鋭化した。1994年に停戦協定が発効したが、その後も紛争は断続的に続き、2020年の大規模な衝突ではアルツァフ共和国の実効支配地域の多くが失われたが、その独立は維持されており、2023年現在も紛争は継続中である。
小カフカス山脈東側斜面に位置し、標高2500メートル級のカラバフ山脈から標高200~300メートルの山麓(さんろく)にかけて広がり、クラ川に注ぐ多くの支流の谷がおもな生活舞台となっている。平均気温は1月零下13℃~1℃、7月14℃~26℃。年降水量は400~900ミリメートル。低地は半砂漠で、山地は広葉樹林に覆われている。
1989年国勢調査によるナゴルノ・カラバフ自治州の主要民族構成は、アルメニア人(14万5500、76.9%)、アゼルバイジャン人(4万0700、21.5%)であったが、2015年のアルツァフ共和国の調査ではアルメニア人(13万7380人、99.7%)が圧倒的多数を占めている。
おもな工業は、食品加工、軽工業、木材加工、建築資材生産、鉱業(銅・金)などである。農業は、ブドウ、果樹、野菜、穀物、タバコ、飼料作物の栽培、ウシ、ヒツジの牧畜、養豚、生糸生産などが行われている。中心都市ステパナケルトには、軽工業(絹織物、製靴、じゅうたん製造)、食品加工(乳製品、食肉)、電気機器、農機具、家具、建築資材などの工場がある。