ジャパンナレッジ
鉱物学者。若狭(わかさ)国(福井県)小浜(おばま)の生まれ。1873年(明治6)東京開成学校に入学して鉱物学を学ぶ。1877年東京大学創設とともに、ナウマンのもとで助教を務めた。のちナウマンと地質調査所設立を建議し、1882年その初代所長となった。1883年ドイツへ留学。翌1884年帰国後、東京大学教授を兼任し、初めて日本人による鉱物学の講義を行った。1891年教授を辞し、鉱山局長、製鉄所(官営、後の八幡(やはた)製鉄所)長官を歴任し、1917年(大正6)貴族院議員に勅撰(ちょくせん)された。幼少のころから鉱物に興味をもち、鉱物標本の収集に努め、世界第一級のコレクションを残した。この「和田標本」は現在三菱(みつびし)マテリアルの所有となっている。1993年(平成5)に福島県郡山(こおりやま)市から発見された含塩素カルシウム‐アルミニウムのネソ珪酸(けいさん)塩鉱物が和田石wadaliteと命名された。鉱物学の業績は、『金石識別表』(1877)、『本邦金石略誌』(1878)などの著作を経て、『日本鉱物誌』(1904)で集大成された。