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冠(かんむり)状をした磨製石器。形状が冠に類似したため、明治時代の研究者によりいつしかこの名称でよばれ一般化した。この種の石器は1801年(享和1)刊の木内石亭(きうちせきてい)の『雲根志(うんこんし)』三にも「神代石」の名称で図示され、江戸時代の好事家にも注意されていた。
1922年(大正11)大山柏(かしわ)らが愛知県福江(ふくえ)町保美(ほみ)(田原(たはら)市)の平城(ひらき)貝塚(縄文晩期)を発掘のとき、頭頂部から石冠が出土した例があり、副葬用の冠とも考えられたが、類例はほかになく、いちおう冠状石製品とよぶほうが妥当性が強いものと思われる。中部地方以東の縄文文化後期、晩期の遺跡から発見され、後期から晩期初頭にわたるものと、晩期末のものとは形態が異なる。これらは実用品ではなく、宗教的な儀仗(ぎじょう)用具であろうか。また北海道内浦湾沿岸地方では縄文前期の遺跡から多孔質安山岩製の石皿として使用したと思われる粗製の冠状石製品が多数出土しているが、これは磨石(すりいし)とセットをなす実用品で、前者とは形態上に類似点があるだけのまったく異なった用途の石製品である。近年、鹿児島県種子島(たねがしま)の西之表(にしのおもて)市の縄文文化後期の遺跡からも発見された。