「水域に囲まれた一片の陸地」というのが、もっとも明快な島の定義である。しかし、この定義は明快ではあるものの問題となる点も多々あって、すぐに疑問符がつく。「一片の」とはすなわち島の大きさ、大陸と島との大きさの比較ということであるが、世界中でこの点にはほとんど異論がなく、面積およそ769万平方キロメートルのオーストラリアとおよそ217万平方キロメートルのグリーンランドとの間を境に、前者より大きいものを大陸とよび、後者より小さなものを島とすることが大方の了解になっている。
問題は小さな「一片の陸地」のほうで、こちらには誰をも納得させる基準は存在しない。「岩と島はどう区別するのか」とか、「潮位の変化によって水面から出たり沈んだりするものはどうか」などという形で、このことはいつも問題視されてきた。日本はよく「島国である」などといわれ、それだけに日本人の間では「島はいくつあるか」などという問いが注目されてきたのだが、日本以外の国では、そういう問いは現在ではほとんど意味をもたなくなっている。
島は、基本的におもな二つの理由で形成される。一つは、大陸の縁辺に付属した島で、その起源や形成は地域的なスケールの形成要因、たとえば氷河作用やそれに伴うアイソスタシー(地殻均衡)あるいはユースタシー(海面変化)に関係する。大陸縁辺の島々は、局地的な浸食や風化、堆積などの作用によってもできる。もう一つは、大陸から遠く離れた海洋上の島で、これらはプレートテクトニクスやそれに付随する火山活動によって生じたものである。また、これらに当てはまらない例としては、ハワイ諸島のように火山のホットスポットに島が生ずるケースがある。
島のあり方は多様で、複数の島々が集まっていることもあり、これらは諸島、群島、列島、孤島などとよばれる。一般に島の数が多く分布して面積も広いものを諸島、島々の分布面積が比較的狭いものを群島、島々が列状に配列されている場合には列島、一つの島が孤立して存在しているときは孤島という。しかし、これらはいずれも相対的な違いを示すだけの区分であり、多分に慣習的な呼称であることが多い。私たちは日本列島という呼び方に慣れ親しんできたが、その呼び名のもつさまざまな語感にあらがって、奄美(あまみ)・沖縄から東アジアへと連なる島々をヤポネシアとよんだのは作家の島尾敏雄だった。そこには、列島より広範な地域を表す適当な呼称を生み出したいとの願望が見て取れる。なお、島の集合体は島嶼(とうしょ)とよばれることもあるが、これは島々という意味である。
洋の東西を問わず、島はこれまでさまざまなイメージを喚起させるものとして受け取られてきた。島であること(islandness)の根幹は、土地の隔絶性と境界の明瞭さであるが、ヨーロッパ世界では、水域を越境することは、政治的境界を越えて「異なる現実」に出会うことと同じ冒険であると考えられた。境界の明瞭さは島の完結性の根源でもあり、それが作家や芸術家らに島を舞台とする作品の制作を促してきた。
島が明瞭な境界に閉ざされていることは、生物に独自の進化をもたらし、その結果として、島の動物相や植物相それ自体の固有性を生み出すことになった。ダーウィンのガラパゴス島を持ち出すまでもないであろう。また、知られているように、トマス・モアの『ユートピア』やシェイクスピアの『テンペスト』は島を舞台とする著作である。さらに、島は本土からみたときの逃避地であり、別世界でもある。事実であれ創作であれ、政治的にも宗教的にもそうした多様なイメージと現実とが大量に生み出され、それをもとに島はある特異な性格や特徴を有するものだと考えられてきた。
日本の場合さしずめそのイメージの代表例は「流謫(るたく)の島」という概念であろう。またときに実際の島とは無縁の、水のない陸上の土地に対しても勢力圏(縄張り)の意味で用いられることがある。
こうした島のもつ特性は、一般に島嶼性と名づけられ、個別には隔絶性、環海性、辺境性、狭小性、後進性などと表現されてきた。それらは概して、そこで生活を営む場合には障害であり負の要件でもあった。
島のありようや陸地としての島の意味などを、文字通り劇的に改めさせたのは、1982年に採択され1994年に発効した国連海洋法条約(正式名称は「海洋法に関する国際連合条約」)の存在である。日本では同条約を1996年(平成8)に批准し、同年から発効した。ちなみに発効の日7月20日は「海の日」とよばれ、国民の祝日となった(現在は7月の第3月曜日)が、こうした経緯は人々にはほとんど知られていない。
国連海洋法条約は、海洋に関する諸事項を包括的に定めたものである。2023年時点で世界の169か国(EUも含む)がこれを批准している(ただしアメリカなど未承認国もある。また内陸国にとってはもちろん基本的に批准の対象とはならない)。その過程で、島の存在と海洋のあり方とが密接にかかわっていることが明瞭にされたのである。
国連海洋法条約では、島の定義として、簡潔にまとめると次の3点を打ち出している(条約121条1~3項)。まず、水域に囲まれた、高潮時にも水面上にある、自然に形成された陸地であること。次に、島は、領海や接続水域、排他的経済水域(EEZ)、大陸棚といった、法的に定義された海域を設定する基準となること。そして三つ目に、人間が居住したり独自の経済的活動の場として活用されたりしていないものは、島ではなく岩であり、排他的経済水域や大陸棚を設定できる根拠とはならないこと。
これらには、いずれも時代や世界情勢に即した意味がある。まず1点目。これはいうまでもなく、人工的につくられる島が出現してきたことによるもので、一国が湾内にゴミなどを埋め立てて陸地を造成するようなスケールのものから、巨大なスケールで埋め立てた地を軍事基地として出現させるという剣呑(けんのん)なものまで、規模はさまざまである。後者についてはとくに、2016年に中国が東シナ海に軍事目的の人工島を出現させて、南沙諸島の領有権を主張した例がある。そしてハーグの常設仲裁裁判所が、法的根拠に乏しく国際法に違反するとしてこれを認めなかったものの、中国は、国連海洋法条約の締結国であるのにこの裁定を無視し続け諸島の軍事化を進めていることが、記憶に新しい。
2点目は、島が新たに意味づけられた海洋という政治的・経済的空間を、認識し、評価し、秤量(ひょうりょう)する重要な基準となったことを意味する。この時点で島は、単なるノスタルジーの対象ではなくなり、現実的な政治性を色濃く帯びた存在となった。島の意味が変わったということでいえば、この点がもっとも重要である。たとえば排他的経済水域とは、その水域の海上や海中、海底などに存在する水産資源や鉱物資源および海水や海流、海風などから得られる自然エネルギーについて、探査、開発、保全および管理を排他的に行うことができる「主権的権利」とされ、沿岸国は自国の基線から200海里(1海里は1.852キロメートル)以内の範囲に排他的経済水域を設定できるとしている。その際、主たる国土だけでなく、そこから離れたところに領土として島を所有している場合にも、その島の周辺海域を自国の排他的経済水域と宣言することができるとされた。この結果、たとえば世界最大の排他的経済水域保有国はフランスであるといわれ、日本は約405万平方キロメートル(『日本国勢図会2023/24』)のEEZを有する「大国」となった。つまり、島は単なる存在ではなく、そこに存在することがもつ多様な意味によってその価値が測られるものとなってきたのである。
最後の3点目は、島と岩との違いについての論争に、人間の居住または独自の経済的生活を維持することのできない岩は島ではなく、排他的経済水域や大陸棚を有しないという形で決着をつけたことになる。
こうした変化は、たとえばもともと湖沼中にある島でもそれを島と数えないといった方針も生み出している。
日本の国土地理院は、日本の島の数を6852(1978年、海上保安庁公表)としていたのを改め、電子国土基本図を用いて島のありようを数え直し、2014年(平成26)に新しい数値を発表した。2022年(令和4)の発表では、日本の島の数は1万4125となっている。数が2倍以上に増えたのは、測量技術の進歩と地図表現の精緻化、および国連海洋法条約が発効したことで、それまで満潮時高水位1メートル以上で周囲海岸線長100メートル以上としていた日本の島の基準が、有意な意味をもたなくなったためである。とはいえ、後述のように日本にとっては保有保護すべき島を明確にしておくという必要性があるのだとも考えられる。
また、日本の島には新たに、現代の防人(さきもり)としての役割も付加された。2016年(平成28)に制定・公布された「有人国境離島特措法」(正称「有人国境離島地域の保全及び特定有人国境離島地域に係る地域社会の維持に関する特別措置法」)は、近年追加された島のもつ新しい役割の存在を示している。そもそも「国境離島」という聞きなれない用語が示すのは、国境を構成する島嶼との意味であるが、こうした用語が注目を浴びたのは、国境を構成する島、たとえば長崎県や沖縄県の島の土地が特定の外国人や外国勢力に買い占められているという現実を目の当たりにしたことによる。考えてみれば、日本の場合、周辺諸国とじかに接するのは島であることが多い。東アジアや南アジアの安全保障環境の雲行きが怪しくなってきたことへの対処策として、国境離島の重要性を再認識し、ありていにいえば実効支配の具体的証拠にしようというのがこの法律の真の目的なのだが、その目的を露骨に示すわけにもいかないため、特定有人国境離島地域(全71島で構成)を設定し、保全施策や社会維持政策を実施するとしている。また、これがさしあたりの大目的である定住人口の維持のため、雇用機会の拡充も目ざすことになっている。
とはいえ、日本の数多くの島が直面している定住人口の流出傾向は依然続いており、そうした施策の効果のほどは見通せない。それでも、国土を防衛することの重要さは増している。現代の島は、季節を問わず観光客で世界的にもにぎわう一部の島を除いては、人口の流出が止まらない地となってきている。島はさまざまなイマジネーションをかきたてる場から、水面下でさまざまな国々の利権が争われる場へと変貌しているのである。