イノモトソウ科の夏緑性シダ。暖地では越冬することもある。根茎は分枝して長く地中をはい、まばらに3回羽状分裂の葉を出す。葉は高さ2メートルに達するものもあり、葉身は三角形で薄い革質、表面にややつやがある。裂片は先の丸い長楕円(ちょうだえん)形で、辺縁が内側に巻いて膜質の偽包膜(ぎほうまく)となり、これが縁に沿って一線に並ぶ胞子嚢(ほうしのう)群を覆う。ワラビは各地にもっとも普通にみられ、全世界に広く分布する汎(はん)分布種の一つである。
シダの若芽を「わらび巻き」というように、日本ではワラビはシダの代名詞とされることもある。外国では、中国語の「蕨」はシダを意味し、逆に英語のfern(シダ)が詩などに用いられるときは、普通、ワラビをさす。ワラビの若芽はゼンマイ同様食用となり、栽培もされるが、近年は東南アジア方面からの輸入品もある。葉に含まれるあくは、はっきりした成分解析はなされていないが、ビタミンB1を破壊するアノイリナーゼなどを含むため、多量に食べると胃壁の出血や貧血症状をおこすといわれる。放牧地では家畜が食べ残すので、しばしば大群落をつくる。
中尾佐助が提唱した照葉樹林文化の構成要素として、あく抜きの水さらし技術があり、ワラビもその対象植物とされる。ただし、ワラビは樹林下では育たず、照葉樹林を破壊したあとの明るい草原に繁茂する。わらび粉は、中国でも飢饉(ききん)の際の非常食とされた。ワラビの若芽は周・秦(しん)の時代から食用にされ、日本でも利用は古い。『続修東大寺正倉院文集』には、大仏建立のおり、人夫に雑菜としてワラビを5296把(わ)購入した記録がある。6世紀の『斉民要術(せいみんようじゅつ)』には、ワラビの粕(かす)漬けや塩酢(しおす)漬け、ゆでたあとの干しわらびが記述され、平安時代の『延喜式(えんぎしき)』(927)にも、塩漬けわらびが載る。春のわらび摘みは、古くから人々の関心が深く、『源氏物語』に「早蕨(さわらび)の巻」があり、「君にとてあまたの春をつみしかば常を忘れぬ初わらびなり」の歌が詠まれている。ワラビは食用以外に中国では織物に使い、日本でもわらび縄をなった。わらび縄は雨に強く、垣の結束に使った。中国では陶器のひび割れ防止に、ワラビの茎を焼いて灰にし、粘土に混ぜた。著名な景徳鎮の焼物はその方法がとられたと記録されている(『植物名実図考長編』)。
ワラビの発癌性(はつがんせい)は、1965年イギリスのエバンス博士I. A. Evansによって実証されたが、発癌成分の配糖体プタキロシドptaquilosideはあく抜きで消失する。