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琵琶を弾奏しながら物語などを語った僧形(そうぎょう)の芸能者。ほとんどが盲人であったが、なかには晴眼者もあった。平安中期に、中国から渡来した琵琶を用いて経文を読唱する琵琶法師があり、平安末期には寺社縁起譚(たん)や合戦物語を語り歩いた。鎌倉時代に入ると『平家物語』を生仏(しょうぶつ)という盲僧が語ったといわれ、その系譜は平曲(へいきょく)とよばれて進展した。一方(いちかた)流、八坂(やさか)流(城方流)の平曲は15世紀に全盛時代を迎えた。その後、流派が多発したが、江戸時代に入ると三味線に圧倒されてしだいに衰微していった。そのため琵琶法師の流れをくむ盲僧たちは箏曲(そうきょく)のほうに移り、いまでは箏曲を指導する老検校(けんぎょう)のなかに平家琵琶を語る者が残存し、後継者が出始めている。薩摩(さつま)琵琶など平曲以外の琵琶法師は九州などにわずかに残っている。
[関山和夫]