社会の経済、政治、文化、教育、環境などと関連しながら児童の生活と発達にかかわって生み出されてくるさまざまな生活上の困難や障害(児童問題)に対応し、児童のよりよい生活と発達を固有の権利として保障することを理念に、近代資本主義社会の一定の発展段階において登場し、第二次世界大戦後の福祉国家体制の成立とともに本格的な展開をみた社会的方策制度の体系である。近年は「子ども家庭福祉」「児童家庭福祉」などともよばれる。
日本において「児童福祉」という用語が初めて公の場に登場したのは、第二次世界大戦後、1947年(昭和22)1月の中央社会事業委員会小委員会による「児童保護法要綱案を中心とする児童保護に関する意見書」である。意見書は以下のような内容であった。「厚生省案の要綱をみると、保護対象の範囲は、不良少年、犯罪少年と被虐待児童が主であって、要するに特殊な問題児童の範囲を出ていない。立法にあたっては積極性を与えねばならないから、法の対象を特殊児童に限定することなく、全児童を対象とする必要がある。したがって、法の趣旨目的が一般児童の福祉の増進を図る明朗かつ積極的な意味から、法の名称も児童福祉法とするほうがよい」というものである。これを受けて中央社会事業委員会は、「不幸な浮浪児等の保護の徹底をはかり、すすんで次代のわが国の命運をその双肩に担う児童の福祉を積極的に助長するためには、児童福祉法とも称すべき児童福祉の基本法を制定することが喫緊の要務である」という趣旨の意見を、児童福祉法案に付して答申した。ここで「わが国の命運」とは、民主主義に徹底して文化国家として歩むことであり、「福祉」とは健康をはじめ生活と教育が考えられていた。
したがって、児童福祉は、前段階である特殊児童の救済や保護はもとより、すべての児童に平等に健康や生活、教育を保障するものとしてとらえられてきた。この点は、児童福祉法(昭和22年法律第164号)の総則はもとより、より具体的には、児童相談所が児童にかかわるすべての相談に応じるよう義務設置され、すべての乳幼児が保育所を、すべての少年が児童厚生施設を利用できるよう児童福祉施設が整備された経過からも明らかである。さらに、児童福祉法の理念を再度強調するために1951年に公表された「児童憲章」においても、その意味は容易に理解できよう。
端的にいえば、前述した定義のなかにある、「児童のよりよい生活と発達を固有の権利として保障する」ことが児童福祉の目的となる。
児童福祉も社会福祉の一つであるから、日本の場合、日本国憲法第13条(幸福追求権)と第25条(生存権)が法律上の目的となることは明らかである。これに加えて、福祉の対象が児童であることから、憲法第26条(教育権)が目的に加わる。つまり、憲法で定める幸福追求権を中心に生存権と教育権の3権で構成されるのが児童福祉の目的である。児童福祉の目的は、憲法に定める幸せに生きる権利、育つ権利、守られる権利を保障することであり、これを具体化したのが児童福祉法をはじめとする各種児童福祉関係法である。ただし、いま一つ付け加えなければならないのが「参加する権利」である。
1989年に国連で採択され、1994年(平成6)に日本が批准した「子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)」では、生きる権利、育つ権利、守られる権利、そして参加する権利の四つの権利を遵守するよう締約国に義務づけている。参加する権利とは、自分の思いや願いを、自由に所持し、表現し、表明し、仲間を集めることのできる権利である。現行法規において、児童の参加する権利の保障は抽象的であり、今後の児童福祉に求められる課題である。なお、児童期は人生の出発点であるがゆえに、児童福祉は社会福祉の出発点でもあり、その土台を形づくる重要な意味をもっていることを付言しておく。
児童福祉の対象は児童問題である。児童問題とは、社会の経済、政治、文化、教育、環境などと関連しながら児童の生活と発達にかかわって生み出されてくるさまざまな生活上の困難や障害のことである。児童をめぐる貧困、遺棄、虐待、堕胎、殺害、労働、障害の問題をすぐに思い浮かベることができるだろう。児童福祉の目的に照らしていえば、生きる権利、育つ権利、守られる権利、参加する権利が侵害されるあらゆる事象が児童問題といえる。さらには、これらの児童問題のなかから児童福祉の主体が「問題」と取り上げたものが、いわば狭義の児童問題といえる。児童本人が「問題」として抱えていたとしても、これを解決する術(すべ)をもたない場合、児童福祉はその児童本人にかわって「問題」としてとらえ、必要な施策を講じることができる。しかし、児童福祉の主体がその「問題」を発見できなければ、広義の児童問題ではあるものの、児童福祉が必要な施策によって解決しうる狭義の児童問題ではないことになる。
日本の場合、児童福祉の主体は、保護者および国と地方公共団体で、保護者は自明のことである。児童福祉法では、国および地方公共団体は保護者「とともに」児童の育成責任を負うことが定められている。ここで注意すべきは、保護者の養育責任を公的責任に優先させて、これができない場合に事後処理的に公的責任を発揮するというものではないことである。保護者に責任があるからこそ、これが十分に果たせるように必要な条件を積極的に援助する公的責任が重要である。また、児童福祉法の第2条で、すべての国民が児童に対して心身ともに健やかに生まれ、育成されるよう努めることが定められている。その点では、すべての国民もまた児童福祉の主体といえる。
児童福祉は、法律や制度によって児童問題を解決することが中心である。日本においてその法律とは、児童福祉法をはじめ、児童手当法、児童扶養手当法、特別児童扶養手当等の支給に関する法律、母子保健法、母子及び父子並びに寡婦福祉法、児童虐待の防止等に関する法律など、児童および保護者の福祉を保障する諸法律をさす。それとともに、社会福祉法、生活保護法、障害者基本法、身体障害者福祉法、知的障害者福祉法など社会福祉関係の法律が制定・整備され、さらに、教育基本法、学校教育法をはじめとする教育関係の法律や労働基準法、少年法などの関連法律も制定・整備され、法制面の充実が図られてきた。なお、こども基本法(令和4年法律第77号)が児童福祉法等こどもに関する諸法律を包括的に保障するものとして、2022年(令和4)6月に成立し、翌2023年4月から施行された。
児童福祉を担当する機関としては、こども家庭庁、地方公共団体の民生部あるいは福祉部が行政上の責任を果たすとともに、児童相談所、福祉事務所、保健所などが専門機関として、調査判定、入所措置などの重要な役割を果たしている。さらに、児童福祉法に基づいて各種児童福祉施設が設置されるとともに、児童指導員、児童自立支援専門員、児童の遊びを指導する者(児童厚生員)、保育士・児童生活支援員、母子支援員、医師、セラピスト(理学療法士、作業療法士など)、保健師・助産師・看護師、栄養士、調理員、事務員などが必要に応じて配置されている。また、児童委員、主任児童委員、保護司、スクールソーシャルワーカーなども児童福祉の重要な役割を担う。
1990年代以降、児童福祉を「子ども福祉」「児童家庭福祉」「子ども家庭福祉」といいかえて使用するものが多くみられるようになった。この理由として第一に、「児童」は年齢規定が不統一であり(「子ども」は「子どもの権利条約」第1条で「18歳未満のすべての者をいう」と定義されている)、子どもの権利保障を実現するためには、いままで保護される者という受動的な意味で用いられてきた「児童」より、権利行使の主体であるという福祉観を反映した「子ども」という用語で統一したほうがよいためといわれている。第二に、現代社会においては「児童」だけでなくその「家庭」もあわせて福祉の対象とすべきといわれている。第三には、「児童福祉」には救貧的・慈恵的・恩恵的性格が色濃く残されており、親が子どもの養育に責任をもつことを第一義的にしているが、現代においては子どもの人権の尊重・自己実現を保障するという視点も加わってきているという背景がある。今後は、これまでの歴史的経緯を踏まえた、子どもの権利保障を実現するための児童福祉概念の発展とそのもとで具体化される法制度が求められる。
2016年(平成28)6月、児童福祉法が施行されて初めて第1条~第2条の「基本原理」が改正された。すなわち、第1条は「全て児童は、児童の権利に関する条約の精神にのつとり、適切に養育されること、その生活を保障されること、愛され、保護されること、その心身の健やかな成長及び発達並びにその自立が図られることその他の福祉を等しく保障される権利を有する」と、児童の権利に関する条約(通称・子どもの権利条約)の精神にのっとることが明文化された。続く第2条第1項では「全て国民は、児童が良好な環境において生まれ、かつ、社会のあらゆる分野において、児童の年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮され、心身ともに健やかに育成されるよう努めなければならない」と、権利条約の精神である子どもの意見の尊重や最善の利益の優先も明文化された。しかし、旧2条で定めていた「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う」という文言を同条第3項として残しつつ、「児童の保護者は、児童を心身ともに健やかに育成することについて第一義的責任を負う」を同条第2項に新たに規定した点は、国および地方公共団体は保護者「とともに」児童の育成責任を負うとした旧法の趣旨とは矛盾していると思われる。