トルコの政治家。イスタンブール生まれ。宗教指導者養成校(イスタンブール・イマーム・ハティブ校)を卒業後、マルマラ大学経済商学部卒。商社勤務などを経て、1975年にイスラム色の強い国家救済党の青年局長につき、政治活動を始めた。1994年にイスタンブール市長、2001年にイスラム教を重視する公正発展党(AKP:Adalet ve Kalknma Partisi)を自ら創設して初代党首となり、2003年から国会議員、同年から首相を3期務めた。AKPは国会議員の4選を禁じていたため、2014年に初の国民投票による大統領選挙に出馬、第12代大統領に就任した。2016年の軍によるクーデターを制圧すると、2017年には国民投票で憲法を改正し、建国(1923)以来の議会制民主主義を廃し、儀礼的存在だった大統領に権限を集中する実権型大統領制への移行を断行。2018年と2023年の大統領選でも勝利し、独裁体制を確立した。
イスタンブール市長時代(1997)に国是の政教分離(世俗主義)に反した演説で服役した経験をもつなど、イスラム教を重視する施策を進め、イスラム保守派、低所得者層、地方在住者からの支持が厚い。外交では、欧米志向の強かった同国を全方位外交に転換し、シリア紛争でシリア難民の半数(約340万人)をイスラム教徒の同胞として受け入れ、ロシアによるウクライナ侵攻では欧米とロシアとの仲介役を務め、スウェーデンの北大西洋条約機構(NATO(ナトー))加盟に対して、クルド人武装組織への支援をやめるよう条件をつけるなど、国際社会で存在感を示している。一方で、和解を模索してきた少数民族クルド勢力に対し、その姿勢を転換して軍事作戦を展開したほか、政教分離を唱える反政府勢力や報道機関を弾圧して、「スルタン(イスラム帝国の皇帝)」「絶対的指導者」「独裁者」などの異名をとる。内政面では、空港、モスク、運河など大規模インフラ整備に積極的で、トルコの1人当り名目国内総生産(GDP)を10年で3倍に増やす経済成長を実現した。一方で、高インフレ、通貨リラ安、資金の海外流出などを招き、都市部で反支持派が盛り返し、2023年の大統領選は決戦投票に持ち込まれる僅差(きんさ)の勝利(エルドアンの得票率52.18%)であった。大統領任期(2期10年)は2028年まであるが、憲法を改正したことで任期中に国会が解散されれば3期目を目ざすことも認められており、首相時代をあわせて30年に及ぶ長期政権を握るとの見方もある。