ジャパンナレッジ
江戸後期の国学者。安永(あんえい)4年12月1日生まれ。江戸・下谷(したや)池之端仲町の本屋青裳堂(せいしょうどう)高橋高敏の子。初名真末(まさやす)。25歳、湯島の津軽藩御用商人狩谷家を嗣(つ)ぎ、名を望之(もちゆき)と改め、津軽屋三右衛門を称す。棭斎は号(41歳隠居後通称とする)。別号を求古楼。20歳ごろから上代の制度の研究を志し、度量衡に関する考証『本朝度量権衡考』(成立年未詳)や、史書の記載を補う金石文を集めて考証した『古京遺文』(1818年序成立)などを著す。また、吉田篁墩(こうとん)が提唱した校勘学を継承し、清朝(しんちょう)考証学の方法を取り入れて、『日本国現報善悪霊異記考証』(1821年刊)、『和名類聚抄箋注(わみょうるいじゅしょうせんちゅう)』(『箋注倭名類聚抄』とも。1827年序成立)など、校勘(本文研究)の分野でとくに優れた業績を残す。また、屋代弘賢(やしろひろかた)らと求古楼展観(貴重書を持ち寄って調査・検討する会)を催し、書誌学の進歩に貢献したほか、書家、古銭など古器物の蒐集(しゅうしゅう)家としても知られる。天保(てんぽう)6年閏(うるう)7月4日没。61歳。墓碑は東京都豊島(としま)区巣鴨(すがも)の法福寺に現存。稿本類は静嘉堂(せいかどう)文庫、大東急記念文庫、国立国会図書館、国立公文書館などに所蔵。