ほとんどすべての近代国家において、言論・表現の自由は、基本的人権のなかでもとくに重要なものと位置づけられ、保障されている(言論・表現の自由の優越的地位)。日本国憲法第21条は、「(1)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。(2)検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と定めている。同条が保障する「言論・表現の自由」は、特定の思想を表明する個人の自由をその中核としているが、そのなかには新聞や放送など、マス・メディアによる報道の自由も含まれると理解されている。
報道の自由について明確に言及したものとして知られるのが、1969年(昭和44)11月の、アメリカの原子力空母寄港阻止デモに参加した学生と機動隊の衝突を撮影したテレビ・フィルムに関するもので、その提出を拒否したテレビ局に対する、いわゆる博多駅テレビ・フィルム提出命令事件の最高裁判所決定である。この決定において最高裁は、報道機関の報道は、民主主義社会において国民が国政に関与するうえで必要な判断材料となる情報を提供し、国民の知る権利に奉仕することから、「報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにある」と述べている。また、最高裁は、アメリカとの沖縄返還交渉における密約を暴いた毎日新聞記者による、いわゆる西山事件(外務省機密漏洩(ろうえい)事件、沖縄密約暴露事件)において、報道の自由は「憲法21条が保障する表現の自由のうちでも特に重要なもの」とする判断を示している。
他方で、報道の自由は、個人の言論・表現の自由とまったく同じ性格をもつものではない。今日、確かにマス・メディアは、人々が社会生活を送るうえで必要な情報や言論を日々伝え、民主主義社会を維持する重要な役割を果たしているが、ときとして個人の名誉やプライバシーを侵害したり、過度な商業主義やメディア所有の集中などにより言論の多様性を損ね、少数意見を反映しない傾向を生み出したりすることがある。こうしたことから、受け手としての市民や社会の公共的利益を擁護する観点に基づき、個別事例での具体的な利益衡量により、報道の自由を一定程度制約することが正当化され得る。ただし、近年、個人情報や外交・安全保障に関わる機密等の保護を強化する立法が相次いでおり(個人情報保護法、特定秘密保護法など)、これらについては取材活動に萎縮(いしゅく)効果を生み出し、国民の知る権利が侵害されるという懸念もある。
また、放送においては、電波(周波数)の有限希少性や社会的影響力の強さなどを根拠として、新聞、出版など活字メディアにはない免許制や、政治的公平や公序良俗の維持などを定めた番組編集準則(放送法第4条)のように、表現内容にまで立ち入った規制が存在する。後者の番組編集準則について、学説の多くはそれを破ったからといって法的にとがめられることはない「倫理規定」と解釈してきた。しかし、テレビ局役員が反自由民主党的な報道を扇動したとされる椿(つばき)発言事件(1993)や、番組内容が捏造(ねつぞう)されていた「発掘!あるある大事典Ⅱ」事件(2007)などを機に、近年では番組編集準則違反を理由とする行政指導が繰り返されるようになっている。また、2016年(平成28)2月には放送法第4条に定める「政治的公平」について、一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体をみて判断するが、番組編集が極端な場合には、一つの番組だけでも評価することがあり得るとの政府統一見解が出されるなど、放送の自由に対する政治的圧力が強まる傾向がみられる。
なお、報道の自由については、国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(本部・パリ)が、世界の報道自由度ランキングを発表している。このランキングで、2010年に12位だった日本は、2012年の第2次安倍政権の発足以降、順位が急速に下落、近年は主要7か国(G7)のなかで最下位が続いている(2023年は対象180国中68位)。