放送は、放送法において「公衆によって直接受信されることを目的とする電気通信の送信」と定義されている(放送法第2条1)。
ここでいう「公衆」とは、放送を直接受信できる受信機(テレビ、ラジオ、その他受信チューナー)を所有するすべての人というほどの意味で、「不特定多数」の人々である。つまり送信される信号を受け取ることのできる受信機さえ手元にあれば、基本的にだれもが自由に受け取り、その内容を享受できるのが放送である。放送では「送り手」と「受け手」の関係性は「1対N(不特定多数)」であり、書簡や電話といった伝統的な通信が「1対1」であるのとは対照的である。
なお、この定義は、2010年(平成22)12月に改正された放送法(2011年6月施行)によるもので、従来は「公衆によって直接受信されることを目的とする無線通信の送信」とされていた。つまり、放送が「無線通信」から「電気通信」を含むものへと意味内容が拡大されたことになる。これはケーブルテレビやラジオなどの有線放送や、インターネットを伝送路として用いる番組配信サービスが登場、普及するなか、「無線通信」のみに限定する形では「放送」概念を正確に説明できなくなったことに対応したものである。この改正では、放送は「基幹放送」と「一般放送」の二種類に大別された。「基幹放送」は無線によるもので、地上波、BS・CS放送をさし、「一般放送」は基幹放送以外の放送、すなわちCS124、128度等の無線放送とCATV、インターネットを利用するIPマルチキャスト放送等を含む有線放送をさす。なお、「基幹放送」は、「電波法の規定により放送をする無線局に専ら又は優先的に割り当てるものとされた周波数の電波を使用する放送」と定義されている(放送法第2条2)。
broadcastingということばが、日本語で「放送」とよばれるようになった最初は、第一次世界大戦中の1917年(大正6)1月とされる。日本船三島丸がコロンボを経て南回りでヨーロッパに向けてインド洋を航行中、発信者不明の無線電報を受け、宛名(あてな)のない「送りっ放し」の電報であったことから、逓信省(現、総務省)に提出する通信日誌に「“放送”を受信した」と記したという。「放送」の二文字が成文の規定に用いられたのは、その2年後の1919年に逓信省が定めた無線電信制度の要綱であった。
放送は、基本的にラジオとテレビに分けられる。ラジオはさらに標準放送ないし中波放送(AM放送)、短波放送、超短波放送ないしFM放送に分けられる。テレビは、地上放送、衛星放送、ケーブルテレビ、インターネットを利用するIPマルチキャスト放送などに分けられる。衛星放送は放送衛星によるBS放送と通信衛星によるCS放送とに分かれている。なお、テレビは1990年代以降、地上放送、衛星放送およびケーブルテレビでデジタル化が進み、日本を含め世界の多くの国でアナログ放送は終了している。これは放送の完全デジタル化とよばれる。放送のデジタル化は、高画質・高音質・多チャンネル化などに加え、双方向サービスやデータ放送、ワンセグ放送など、従来のアナログ放送ではできなかったサービスを可能にし、放送を高機能・高性能化させた。
技術上の分類のほかに、放送をどのような社会的仕組みとするかという制度ないし経営面の違いに着目した分け方もある。すなわち、利潤を追求する民間企業によって運営される「商業放送」、公共的な事業体によって運営される「公共放送」、国家組織もしくは国有企業などによって運営される「国営放送」である。これらは運営組織が異なるとともに財源も異なる。すなわち「商業放送」は広告収入によって、「公共放送」は主として公的な財源によって、また「国営放送」は主として国の予算によって運営されている。
世界の多くの国においては、上記のいずれかの放送事業者しか存在しないということはなく、なんらかの形での併存体制となっている場合がほとんどである。ただし、どのタイプの放送事業者が中心的な存在であるかによって国ごとに特色があり、大別すると、(1)歴史的に商業放送中心に発展し、公共放送は存在したとしても存在感や影響力が小さいアメリカ、メキシコ、ブラジルのような放送体制(=自由競争主義モデル)、(2)歴史的・文化的に公共放送が強い影響力を保持してきたイギリス、ドイツ、フランス、イタリア、北欧諸国などの放送体制(=家父長主義モデル)、(3)政治権力のプロパガンダを担うことも多い国営放送が大きな影響力をもつ中国、ロシア、北朝鮮をはじめとするアジア・アフリカ諸国に多くみられる放送体制(=権威主義モデル)の三種類に分類される。日本の場合は、受信料によって運営されている公共放送のNHK、私企業による民間放送すなわち商業放送、それに国家予算に支えられる放送大学放送の三つの併存体制である。
なお、商業放送は広告料収入によって運営されているが、国営および公共放送でも、イタリア、オーストラリア、ドイツ、フランス、カナダ、韓国などにみられるように、その運営財源の一部に広告収入をあてているところが多く、公共放送の財源のほとんどが受信料によってまかなわれるイギリスや日本のようなケースはむしろ例外的である。このように、いずれの国をみても、放送制度や放送事業の経営形態は、それぞれの国の政治的、文化的、経済的背景によって定められてきているといえる。
放送はラジオから始まり、そのあとに白黒のテレビが登場、さらにそれがカラーテレビとなって大衆的普及を実現した。放送はさらに進化を続けており、前述したように衛星放送やケーブルテレビ、デジタル放送、インターネットを利用するIPマルチキャスト放送など、多様な形態が出現するとともに制度や産業構造、サービス内容や利用の形態など、さまざまな局面で急激な変化が生じている。
世界の放送は、1920年代にラジオによって開始された。アメリカ初の商業放送局として、電機メーカーのウェスティングハウスが免許を取得してつくったラジオ局、KDKA局(ピッツバーグ)の正式放送開始は、1920年11月2日とされる。1922年にはイギリス、フランス、ソ連で本放送あるいは定時放送が始まっている。日本でのスタートは1925年(大正14)である。日本では1923年の関東大震災によって、新聞社が大きな被害を受け、被災地の情報収集や伝達機能が失われた結果、デマや流言が拡散してパニックが引き起こされ、多数の朝鮮人が自警団によって殺されるなどの事件が起きた。これを受けて、当時すでに準備が進められていたラジオ放送スタートに向けての機運が高まった。そして、当初は民間の手にゆだねられる予定だった放送事業は、公益性の高い事業として公共放送によって運営されることになった。
テレビはラジオの開始からまもなく先進諸国で実験が始められ、ドイツが1935年に定時放送、イギリスが翌1936年に本放送を開始している。しかし、やがて第二次世界大戦によりこれらの動きは中断ないし中止され、本格化したのは戦後、それも1950年代からである。日本のテレビ放送の開始は1953年(昭和28)である。
1980年代に入って、いわゆるニューメディアが登場してきた。放送衛星、通信衛星のほか、ホームビデオ、パソコン通信、ファクシミリなどの登場が喧伝(けんでん)され、放送も番組制作や編成などの側面で、多メディア、多チャンネル時代への対応の必要性が説かれた。
2010年代以降、放送は日本を含めた世界の主要国の多くで完全デジタル化が進められてきた。さらにインターネットや携帯電話の急速な普及などによってメディア環境が大きく変化し、人々のテレビ離れや広告を主軸とした従来型ビジネスモデルの限界が指摘されるようになっている。そうした結果、放送、とくにテレビがメディアの中心的存在であった時代の終焉(しゅうえん)も指摘されるようになった。
日本の放送は1925年(大正14)3月22日、受信料を財源とする社団法人東京放送局(JOAK)の仮放送開始に始まる。現在の放送記念日3月22日は、この日を記念して定められたものである。同じ年に大阪、名古屋にそれぞれ独自に社団法人の放送局が誕生し放送を開始した。なお、この年の7月12日に東京放送局は本放送を開始したが、その放送局の所在地である東京都港区の愛宕(あたご)山には放送博物館がある。翌1926年の8月にこれら3放送局は合同で新しい社団法人日本放送協会を設立、その後の日本の放送の統合的発展の基盤がつくられた。日本放送協会は、聴取者が支払う聴取料によって運営される公共放送で、発足当初の聴取料は月額1円であった。以来、1951年(昭和26)9月1日、日本初の商業放送局が大阪(新日本放送。現、毎日放送)と名古屋(中部日本放送)で放送を開始するまで、25年にわたって日本の放送は独占的な公共事業体である日本放送協会によって担われていた。第二次世界大戦中、日本の放送は国策推進のためのメディアとして機能したが、国論統合的機能がもっともよく発揮されたのは戦争を終結させ、それによる混乱を回避するための天皇の玉音放送(1945年8月15日)であったといえる。
戦後、新しい放送体制が確立したのは1950年6月1日の、いわゆる電波三法(電波法、放送法、電波監理委員会設置法)施行以降である。旧来の社団法人日本放送協会は解散し、放送法によって設置される特殊法人の公共放送事業体、日本放送協会(NHK)が生まれた。同時に広告収入を財源とする商業放送が認められ、ラジオは1951年9月から初の民間ラジオ局の本放送が始まった。NHKは1953年2月1日にテレビの本放送を開始、続いて日本テレビ放送網が同年8月28日に日本で最初の商業テレビを発足させた。以来、日本の戦後経済の復興、さらに高度成長へと発展するのに歩調をあわせて、日本の放送、ことにテレビは急速に発達していくことになった。
放送は新聞・雑誌と共通してもつマス・メディアとしての特質・機能に加えて、電波メディアであるところからくる特質を備えている。まず、放送は音声あるいは音声と動く映像によるメディアという特質をもっている。活字で印刷された新聞や雑誌と違って放送の情報は、具体的な人や物の姿、音声などによって構成され伝達される。放送の表現は直接的であり感覚的であり情緒的である。たとえば印刷メディアでは文字言語によって人間という抽象概念を定義づけることはできるが、テレビで抽象的な人間という概念を表現するのはむずかしい。しかし、その具象性ゆえに印刷物の場合に比べて、だれでも容易に、自分なりに放送から情報を得ることができるという特性がある。
次に、放送を利用するには受信機が必要である。印刷物の場合には機械は不要だが、識字能力が要求される。放送は受信機さえあれば、あとは水道やガスのように連続的に供給される放送サービスを、自分で選んで手軽に享受することができる。
放送番組は、その放送局の1日の放送時間に沿って配置される。いわゆる番組編成である。受け取る視聴者は、原則としてその番組が放送される時刻でなければ、特定の番組に接触できない。情報が提示される順序や速度は、放送を送り出す側によって決められる。1980年代以降のビデオデッキの普及、2000年代以降のDVDレコーダーやHDD(ハードディスクドライブ)レコーダーなどの普及、そしてネット配信サービスの広がりなどによって視聴者の利便性は向上しているが、それでも放送は時間メディアであり、時刻に拘束されたメディアであるという特質は失われてはいない。
この放送の時間メディアとしての特質に関連して、放送の同時性ということがしばしば指摘される。これには二つの意味がある。一つは、送信と受信の同時性である。生(なま)中継の場合、事態の進行と放送の進行と視聴者の視聴行動の進行が、ぴったりと時間的に同時進行する。事態の進展に立ち会っているということで、視聴者は迫力を感じる。生中継でなくても、送信と受信がほとんど同時であるということは放送の大きな特質である。もう一つは、同じ放送の情報を同時に多数の人々が受け取っている、という意味での同時性である。放送、とくにテレビでは、多くの世帯に普及しているがゆえに、一つの番組を数百万、数千万以上という人々が同時に視聴することがある。これは活字メディアやラジオ、映画など、ほかのマス・メディアではみられないメディア特性である。それゆえにテレビ放送においては、人々が視聴者という集団を形成し、自分と同じように、いま多数の人たちがこの放送を視聴している、という共感をもちうる。ただし、このように時間的に形成される集団は、放送局やチャンネルが増加し、番組が多様になるにしたがって分散する。商業放送の場合、広告媒体としての価値は、その放送局のその時間の番組が、どれだけの規模の視聴者を形成しうるか、という同時性の強さによって定まってきた。視聴率というのは、まさにこうした放送の同時性というメディア特性を前提にしたものである。
放送が、どのような社会的機能を果たしているかについては、これまでにもさまざまな調査が行われ、議論が重ねられてきた。そうした機能なり影響なりが問題となる要因は、放送が同時に広範な人々に感覚的な視聴覚情報を送っていること、また、多くの放送局がより大きな規模の視聴者を獲得しようと競争していること、さらに、放送の影響力を利用しようとさまざまな勢力が働きかけること、などに求められる。具体的な放送の影響についての論議は、番組内容からくる幼児・青少年への影響、商業主義的な広告からくる消費行動への影響、政策の論理よりも情緒的なアピールに依存する政治的情報の投票行動への好ましからざる影響、大衆への迎合に陥りやすい娯楽・芸能的番組内容が一国の文化全般に及ぼす影響など、さまざまな領域に及んでいる。こうした影響についての指摘や批判に対しては、放送事業者ならびに関係業界の自主的な規制が期待されているのが現在の日本における制度上の考え方である。悪影響が懸念され、社会的な批判があるからといって、ただちに国家的な規制が番組内容面に及ぶことは、放送がほかのマス・メディアとともにもっている言論の自由への国家権力の介入を招くものとなるおそれが十分にあるからである。放送界が秩序を保ちつつ、事業としての健全な発展を遂げ、報道から娯楽まで幅広い情報内容を提供し続け、いっそう国民一般の向上に役だつものとなるためには、慎重な放送行政と放送事業者の責任ある自律と、批判力を備えた賢明な視聴者のいずれをも欠かすことはできない。