法律や労働協約などによって賃金の最低限度を定め、その遵守を使用者に強制する制度。低賃金労働者の保護、公正な競争秩序の確保および、労使関係の安定化などを目的としている。
契約の自由を基本原則とする資本主義社会においては、理念上、使用者と労働者は対等な契約当事者であるとされる。しかし、実際上は、使用者の圧倒的な経済的優位性を前にして、労働者は、著しい低賃金での長時間・過重労働に従事せざるをえなかった。このような状況下において、労働者は団結し、労働運動を展開することで、使用者に対抗するようになった。これに対しては、団結すること自体が刑罰をもって禁止されるなど、厳しい弾圧が加えられた。それでもなお、労働運動は精力的に展開され、最終的には団結権、団体交渉権、争議権を法的に承認させるに至った。これにより、労働者は、争議行為を背景とする労働組合の団体交渉を通じて労働条件の向上などを図り、自らの利益を自律的に保護するようになった。
しかし、雇用コストを削減したい使用者の側からすれば、労働組合の賃上げ要求を受け入れることはかならずしも容易ではなかった。そのため、賃金額をめぐって労使の対立が深まり、労使関係が不安定なものとなってしまうという事態が生じた。そこで、国家の介入によって賃金額の最低限度を決定することで、労使の対立的関係を緩和し、労使関係を安定化させることが要求された。他方で、未組織労働者は、労働組合を通じた保護を享受することができないため、依然として低賃金での労働に従事せざるをえなかった。そのため、国家が賃金額の最低限度を定めることによって、これら未組織労働者についても保護することが要請された。
このような未組織労働者の保護は、賃金の低廉性を用いた不公正な競争を防止するという観点からも、重要な意義を有する。そもそも、労働組合が労働条件の向上を実現することは、使用者の側からみれば雇用コストの増大を意味する。それゆえ、労働組合を有する(対峙(たいじ)する)使用者は、これを有しない使用者と比べて、競争上不利な立場に置かれることになる。この状況を放置するならば、労働組合を有する使用者には、より低廉な労働力を求めて、未組織労働者を優先して雇用するインセンティブ(誘因)が生じることになる。未組織労働者の相当部分は非熟練労働者であったとされているが、資本主義が発達すると、生産過程のオートメーション化などによって熟練の技術が必要となる場面が減少することから、未組織労働者を雇用するメリットはより強調されうることになる。労働組合による労働者保護が、かえって組織化された労働者の労働市場における価値を低下させる結果を招くことになりうるのである。このように、労働者が組織化の有無によって分断されると、労働組合を通じた労働者保護が十分に機能しなくなってしまうとともに、賃金の低廉性を用いた競争が誘発されて労働者全体の賃金水準を低下させることが懸念される。そこで、最低賃金制度を設け、これを組織化の有無にかかわらず一律的に適用することで、低賃金を利用した不公正な競争を規制することが求められた。
以上のように、最低賃金制度は、労使関係の安定化、低賃金労働者の保護、公正な競争秩序の維持などの趣旨から、導入が要請されてきた制度であるということができる。
最低賃金制度の内容は、各国の歴史的・具体的条件によりさまざまである。それらは、国家による強行的な最低基準の導入という点で共通するものの、その具体的金額をいかなる方法で決定するかという基本的な点についても多様性がみられる。
最低賃金制度は、最低賃金の決定方式に着目すると、(1)審議会方式、(2)労働協約の拡張適用方式、(3)労働裁判所方式、(4)法定方式という四つの類型がおもに想定される。これらの具体的内容については一概に定義することはできないが、大略、次のような内容となっている。
(1)は、公労使などから構成される審議会が、最低賃金を職権で決定する方式のことをいう。(2)は、労使が最低賃金について労働協約を締結した場合などで、同様の内容を定める協約が一定地域の大部分の労働者に適用されるに至ったときなどに、それを協約当事者以外についても強制的に拡張適用する方式のことをいう。(3)は、労働裁判所などの労使関係の調整を担当する機関の裁定などによって最低賃金を定め、これに法的拘束力を付与する方式のことをいう。(4)は、国家が法律などによって最低賃金を直接的に定める方式のことをいう。
これらのうち、国家による介入がもっとも端的に現れるのが最低賃金を直接法定する(4)の法定方式であり、他方で、国家による介入がもっとも謙抑的に現れるのが(2)の労働協約の拡張適用方式である(労使自治の尊重)。これらの制度は互いにかならずしも排他的なものではなく、一つの国・地域において複数の制度を組み合わせた立法がなされる例も存在する。また、全国レベル・地域レベルのいずれで導入するかという地域的範囲についても一様ではなく、双方を同時に導入する場合や、どちらか一方のみを導入する場合も想定される。
日本においては、第二次世界大戦後の1947年(昭和22)に成立した労働基準法(昭和22年法律第49号)によって、最低賃金制が導入された(旧法28~31条で規定)。しかしそれは、行政官庁(当時は労働大臣または都道府県労働基準局長)が必要と認めた場合に最低賃金を決定するというものであったため、敗戦後の経済情勢のなかで、最低賃金制はほとんど機能しないという状態が続いた。
このような状況下において、全国一律の最低賃金制の確立を強く要求する労働組合運動が展開され、政府としての対応が必要となった。これを受けて1959年に最低賃金法(昭和34年法律第137号)が制定され、労働基準法の最低賃金に関する規定は分離発展を遂げることになった。
最低賃金法は、当初、最低賃金の決定方式として、(1)業者間協定に基づく最低賃金(9条)、(2)業者間協定に基づく地域的最低賃金(10条)、(3)労働協約に基づく地域的最低賃金(11条)、(4)最低賃金審議会の調査審議に基づく最低賃金(16条)、の4方式を定めていた(以上、旧法の条文番号)。これらのうち、(4)の審議会方式は(1)~(3)の方式が困難な場合にのみ採用される副次的なものとして位置づけられた。
1960年以降、この法律に基づき、最低賃金制がしだいに普及するが、企業別組合を中心とする日本においては、(3)の協約の拡張適用方式が用いられる例はほとんどなかった。他方で、日本において広く普及したのは(1)または(2)の業者間協定に基づく最低賃金である。これは、同一業種に属する業者が互いに協定を締結することにより、最低賃金額を決定する方式をいう。このような使用者側主導の最低賃金決定に対しては、労働者側の最低賃金決定過程への関与を要求している国際労働機関(ILO)の第26号条約(最低賃金決定制度の創設に関する条約)に抵触するのではないかとの指摘がなされた。また、業者間協定の普及状況に不均衡がみられたり、そこで決定される賃金額がかならずしも十分な水準になかったりすることが露呈するにつれ、強い批判を受けるようになった。
このため、1968年に最低賃金法が改正された。改正の重点は、(1)の業者間協定に基づく最低賃金と、(2)の業者間協定に基づく地域的最低賃金の2方式を廃止したことにある。したがって、同改正の後は、(3)労働協約に基づく地域的最低賃金と、(4)最低賃金審議会の調査審議に基づく最低賃金とによって法律が運用されることになった。
ところが、企業別組合を中心とする日本においては産業別・業種別に最低賃金を協約化する実態があまりなく、(3)の協約方式による最低賃金の適用例はほとんどみられなかった。そのため、2007年(平成19)の改正によってこの方式は廃止されることとなり、現在では、もっぱら(4)の審議会方式によって最低賃金が決定されている。
2007年改正を経た現在の審議会方式において、最低賃金は、地域別最低賃金と特定最低賃金に大別される(両者とも時間当りで決定される。最低賃金法3条。以下の条文番号は、とくに補足のない限りすべて2007年改正後の条文をさす)。各地域の特性を反映する必要性から、最低賃金の決定にあたって基本となるのは前者であり、後者はこれを補足する制度として位置づけられる。
第一に、地域別最低賃金は、一定の地域ごと(都道府県ごと)に決定される最低賃金のことをいう。地域別最低賃金は、厚生労働大臣または都道府県労働局長が、最低賃金審議会(中央最低賃金審議会・地方最低賃金審議会)の調査審議を求め、その意見を聴いて決定される(10条1項)。具体的には、まず中央最低賃金審議会が、厚生労働大臣の求めにより、全国を一定のランクに分け、それぞれの最低額の目安を調査審議する(目安審議)。
このようにしてランク別に最低額を決定する方式は1978年に導入され、当時は四つのランクに区分された。それ以来ずっと4区分でランクが付されてきたが、2023年(令和5)に初めて改正され、同年10月より3区分になった。この改正は、区分が多いと上位のランクと下位のランクで格差が拡大する可能性があることや、そもそも地域間の格差が縮小傾向にあり、細かなランク分けの必要性が減少していることなどを受けて行われたものである。
各都道府県が具体的にどのランクに位置づけられるのかは、それぞれの産業規模や生活費を考慮して決定されている。たとえば2023年度においては、Aランクには東京、千葉、神奈川、埼玉、愛知、大阪が、Bランクには北海道、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、新潟、富山、石川、福井、山梨、長野、岐阜、静岡、三重、滋賀、京都、兵庫、奈良、和歌山、島根、岡山、広島、山口、徳島、香川、愛媛、福岡が、Cランクには青森、岩手、秋田、山形、鳥取、高知、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島、沖縄が位置づけられている。
この目安の提示を受けて、地方最低賃金審議会が、都道府県労働局長の求めにより、都道府県ごとの具体的な最低賃金額を調査審議する(地域別最低賃金審議)。その内容を踏まえて、最終的な最低賃金が決定されることになる。
最低賃金の決定にあたっては、地域における労働者の生計費および賃金ならびに通常の事業の賃金支払能力が考慮要素となる(9条2項)。加えて、最低賃金額が生活保護給付と比べて低水準にあることが問題とされた背景から、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとされている(9条3項)。これは2007年改正によって導入された規定であるが、これによって最低賃金を上昇させる政策が促進され、それまで問題視されていた最低賃金と生活保護給付の逆転現象は徐々に解消されていった。
第二に、特定最低賃金は、一定の事業もしくは職業に係る最低賃金のことをいい(15条1項)、従来の産業別最低賃金を発展的に解消したものである。特定最低賃金は、労働者または使用者からの申し出があり、それが必要と認められる場合に限り、厚生労働大臣または都道府県労働局長は、最低賃金審議会の調査審議を求め、その意見を聴いてこの最低賃金を決定する(15条2項)。特定最低賃金は、地域別最低賃金を前提として、その上乗せ分を認めるものであり(16条)、あくまでも補足的に位置づけられるべきものである。
最低賃金制度については、次のような実効性担保措置が設けられている。使用者は、最低賃金額以上の賃金を支払う義務を負っている(4条1項)。使用者が経済的な優位性を背景にこれを下回る賃金額の合意をしても、それは無効となり、当該無効部分は最低賃金額をもって補充されることとなる(私法上の実効性確保措置。4条2項)。また、最低賃金額以上の支払義務に違反した使用者は50万円以下の罰金に処せられる(40条)。このような罰則規定を設けることによって、最低賃金制度の実効性確保が図られている。ただし、本法上の罰則規定の適用があるのは地域別最低賃金および船員に適用される特定最低賃金についてのみである。その他一般の特定最低賃金については、労働基準法上の罰則規定(30万円以下の罰金。同法120条)が適用されることになる(全額払いの原則違反。同法24条1項)。さらに、これらの実効性確保措置に加え、労働基準監督行政による法の実効性確保が行われている点も重要である(詳細は「労働基準監督署」の項を参照)。
最低賃金額は年々上昇しており、その傾向はリーマン・ショック(2008)などの経済危機の時期も変わらなかった。その上昇ペースは小幅なものであったが、2021年度以降は、政府の賃上げの政策方針もあり、大幅な増額改定が行われてきている。具体的には、地域別最低賃金の加重平均額は、2019年度で時給901円、2020年度で902円であったのが、2021年度は930円、2022年度は961円となり、ついに2023年度には1004円と1000円の大台を超えた。
最低賃金の水準が低く、地域の賃金相場のほうが高かった時代には、労働契約において最低賃金よりも高い賃金額が合意されることが多く、最低賃金の存在感が薄いこともあった。しかし、前記のような急激な水準の向上により、地域の相場を最低賃金が上回るケースが増加し、最低賃金で労働する者が増えてきている。そのため、最低賃金額が賃金決定に直接的に影響するようになり、その改定は企業経営における人件費の増大をもたらしつつある。とりわけ中小企業を中心にこれを懸念する声があるが、他方で、2022年以降の急激な物価上昇への対策として積極的に評価する意見もある。