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江戸前期の俳人。斯波(しば)氏。別号に智鏡(ちきょう)。伊勢(いせ)山田(三重県)の神官の娘。同地の俳人医師斯波一有に嫁した。夫の影響で俳諧(はいかい)を覚え、1688年(元禄1)芭蕉(ばしょう)に入門、1692年夫とともに大坂へ移住。1694年には芭蕉を招き、「白菊の目に立てて見る塵(ちり)もなし」という翁の発句(ほっく)による九吟歌仙を興行した。大坂では西鶴(さいかく)などとも交わり、医業のかたわら俳諧および雑俳の点者(てんじゃ)をしていたが、1703年(元禄16)夫に死別、のち江戸に出て眼科医を開業しながら、其角(きかく)ら江戸座の連中と交流していた。しかし、晩年は和歌に専心していたらしい。著書に『菊の塵』(1706?)、『鶴(つる)の杖(つえ)』(1723)など。
竹のこに小坂の土の崩れけり