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禅僧、煎茶(せんちゃ)人。俗名柴山元昭といい、肥前蓮池(はすのいけ)(佐賀市)に生まれる。11歳のとき同地の黄檗(おうばく)山万福(まんぷく)寺末の龍津(りゅうしん)寺に入り、化霖に師事した。のち山城(やましろ)宇治の万福寺で修行、龍津寺に戻ったが、享保(きょうほう)(1716~36)末年、化霖の死を契機に寺を捨て京都に上った。やがて青製茶法による良質の煎茶を考案した宇治田原の永谷宗円(ながたにそうえん)と会い、その煎茶を売る生活に入り、名を高遊外(こうゆうがい)と改めたが、世に売茶翁と称された。売茶は自活のためだけでなく、それを通じて腐敗した禅僧社会の覚醒(かくせい)を促すことにあり、それを多数の詩にも詠じたが、1755年(宝暦5)9月、老齢のため売茶の生活をやめている。『梅山種茶譜略』を著し、詩は『売茶翁偈語(げご)』に収める。