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江戸後期の戯作(げさく)者。本名平沢常富(つねまさ)、通称平格(へいかく)、平荷(へいか)、俳号月成(つきなり)、狂歌に手柄岡持(てがらのおかもち)を用いる。寄合衆佐藤豊信(とよのぶ)の家士西村久義(ひさよし)の3子で、秋田藩江戸邸平沢氏に養子入り。俳諧(はいかい)を馬場存義(ぞんぎ)、佐藤朝四(ちょうし)に、漢学を関思恭に学ぶ。近習(きんじゅう)役から留守居役に昇進、役職がら遊里戯場で政界の社交を身につけ、若き日宝暦(ほうれき)の色男と称した。1777年(安永6)『親敵打腹鞁(おやのかたきうてやはらつづみ)』などで文壇登場、恋川春町(こいかわはるまち)とともに黄表紙文芸を大成した。豊かな言語遊戯と洒脱(しゃだつ)な風俗描写で40に及ぶ戯作を書き、いわゆる天明(てんめい)ぶり文学を盛り上げる。1788年(天明8)の風刺物『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくとおし)』で弾圧を受け、以降は狂歌、狂文、狂詩に遊ぶ。家集に『我(われ)おもしろ』(蜀山人(しょくさんじん)序)がある。文化10年5月20日、79歳没。墓は深川浄心寺一乗院にある。