投資家から集めた資金を一つの大きな基金(ファンド)にまとめ、運用の専門家が証券などへ投資し、その成果を投資額に応じて投資家へ分配する金融商品。投信とも略称される。元本の保証はなく、運用結果は利益のみならず損失が発生した場合も、すべて投資家に帰属することとなる。一般に証券などへ投資するためには相応の額の資金が必要とされるが、投資信託は少額の資金保有者に対しても投資機会を提供する。このため、「真の投資信託は、これまでに人類の考案したもっとも妙味ある利殖的貯蓄手段である」ともいわれる。このことばは、アメリカの投資信託の礎(いしずえ)を築いた功労者の一人であるカルビン・バロックCalvin Bullock(1868―1944)の発言と伝えられている。
日本における投資信託は、2000年代以降の「貯蓄から投資へ」の流れに呼応して、確定拠出年金やNISA(ニーサ)(少額投資非課税制度)などの投資対象としても広く受容されている。なお、日本の投資信託は「投資信託及び投資法人に関する法律」(昭和26年法律第198号。略称「投資信託法」)を根拠法とし、「信託業法」(平成16年法律第154号)では「金銭の信託」に位置づけられている。
産業革命を背景に1860年代のイギリスでは、各種投資会社が相次いで設立された。ただしそれらは、証券投資も行うが貸付事業を主たる業務とするなど、今日的な投資会社・投資信託とは懸隔した存在であった。そうしたなかで、1868年に設立された「フォーリン・アンド・コロニアル・ガバメント・トラストForeign and Colonial Government Trust」は、設立目的に(1)海外・植民地政府証券への分散投資を行う、(2)資本家以外の投資家にも投資機会を提供する、と明示されたことから、これを投資信託の嚆矢(こうし)とするのが定説となっている。この制度をさらに発展させたのが1873年設立の「スコティッシュ・アメリカン・インベストメント・トラストScottish American Investment Trust」である。これは、(1)従来の固定的な銘柄保有に対して組入銘柄の入替えを行ったこと、(2)当時は投資家とその代行者との信託契約をベースにした単純な組合形態が一般的であったが、新たに銀行を受託者として社会的信用度を高めたこと、などが画期的であった。
イギリスで産声をあげた投資信託は、アメリカに渡って発展期を迎える。アメリカ初の投資信託は、1921年設立の「ザ・インターナショナル・セキュリティーズ・トラスト・オブ・アメリカThe International Securities Trust of America」で、投資信託の形態としてはクローズド・エンド型の会社型(後述)であった。さらに、1924年に設立された「マサチューセッツ・インベスターズ・トラストMassachusetts Investors Trust」は、ミューチュアル・ファンド(オープン・エンド型の会社型)の先駆け的な存在であった。
その後、投資信託はヨーロッパ諸国、日本などの先進国はもちろんのこと、開発途上国においても普及・定着を果たしているが、アメリカの規模は群を抜いている。国際投資信託協会(IIFA:The International Investment Funds Association)による2024年3月末の国際比較統計では、第1位アメリカの残高が35兆ドルを超え、第2位ルクセンブルグ(5.9兆ドル)の約6倍と、圧倒的な存在感を示している(日本は2.2兆ドルで第8位)。
投資信託の定義については、飛躍的な発展を遂げたアメリカで1920年代中葉から活発に議論が重ねられてきた。アメリカ投資信託協会(ICI:Investment Company Institute)は1962年に、それまでの議論を踏まえたコンセンサスをまとめている。それは、(1)多数の投資家から共同出資を仰ぎ、投資可能な大きな資金に集約する、(2)多数の証券のなかから、種類別、業種別、地域別に分散して資産配分を行う、(3)訓練と経験により詳細な投資専門知識をもつアナリストによる投資選択と管理、(4)支配目的ではなく投資目的での証券取得に徹する(分散投資による集中排除が支配回避を助ける)、の4点である。
一方、日本における投資信託の定義は、投資信託の実務家で研究者の井上義郎(よしろう)(1924―1988)がそれまでの内外の議論を踏まえて、(1)共同投資、(2)専門家による運用・管理、(3)分散投資、の3点に集約している(1982年『投資信託入門』)。共同投資は、一般大衆の少額資金を集約することで、高額な対象や複数の多様な対象への投資(分散投資)を可能にするなど、規模の効果を発揮する。また、専門家による運用・管理は、煩雑な投資関連事務から投資家を解放し、投資知識や投資経験が乏しい人、さらには時間的余裕のない人々にも投資機会を与える。同時に、組入銘柄構成の最適化や分散投資の効率化などには高度な数理的プロセスが求められることもあり、この点でも専門家の手腕が必要とされる。つまり分散投資は、そもそも共同投資と専門家による運用・管理に内在する概念である。ただ、分散投資(銘柄分散、時間分散など)は、リスク低減効果をもたらす重要な理念であるから、前二者から敷衍(ふえん)して定義に加えられているのである。この井上の定義は、投資信託の特徴を簡潔に表現しており、広く受け入れられている。なお、こうした定義は、証券投資信託に限定して議論されてきたが、投資対象が証券以外に拡大してからも、投資信託に関する基本理念として機能している。
ところで、証券投資信託は、株式会社が発行する株式への投資とも類似しているが、株式への投資がその発行会社の事業に直接出資する行為であるのに対して、証券投資信託ではその資金提供者である投資家が株主としての権利関係をもたず、複数の会社への投資という分散投資機能を発揮できる点が大きく異なる。また、証券投資信託をはじめとして、投資信託の特性を十分に発揮させるためには、前提として運営上の長期的な視点(長期投資への配慮)が求められる。
投資信託には、信託契約に基づく「契約型投資信託(契約型投信)」と、投資専門の株式会社を設立し、その株式を売り出して資金を集める「会社型投資信託(会社型投信)」とがある。契約型投信は、委託者(運用会社)が多数の受益者(投資家)から集めた資金を受託者(信託銀行)に信託し、受託者は委託者の運用指図により証券などを売買し、信託財産を管理する、という仕組みである。一方、会社型投信は「証券投資法人」が運営機関となる。証券投資法人はそれ自体が一つのファンドとして機能しており、換言すれば法人格を有するファンドということになる。
次に、ファンドの伸縮性、つまり信託財産(契約型)や資本(会社型)の増減という観点から区分すると、「オープン・エンド型」と「クローズド・エンド型」とに分かれる。アメリカでは、買戻し請求権の付帯しているものがオープン・エンド型であり、そうでないものがクローズド・エンド型とされる。投資家からみると、買戻し請求権付きであれば請求権の行使により換金できるが、請求権がない場合は流通市場で売却して資金の流動化を図ることになる。また、ファンドの資金変動という視点からは、オープン・エンド型は買戻しにより資金が減少するが、クローズド・エンド型では原則として資金の減少は発生しない。日本にはクローズド・エンド型の投資信託は存在しない。
一方、運用形態別に区分すると、「追加型(オープン)」と「単位型(ユニット)」とがあり、各々運用対象により「株式投資信託(株式投信)」と「公社債投資信託(公社債投信)」とに分かれる(運用対象別という観点からは「不動産投資信託〈不動産投信、REIT(リート)〉」もここに並列表記される)。追加型はすでに運用されているファンドに新規資金の追加が可能であるのに対して、単位型は設定単位ごとに独立した運用・管理が行われ、資金の追加設定はできない。なお、追加型・単位型という区分は、日本では広く用いられているが、海外では一般的でない。
このほか、募集形態区分としては、「公募投資信託(公募投信)」と「私募投資信託(私募投信)」がある。公募投信は不特定多数を対象に募集され、だれでも購入することができる。これに対して私募投信は、2名以上50名未満の少数投資家、あるいは特定の機関投資家のみを対象に設計される、いわばオーダーメイドの投資信託である。1998年(平成10)の法改正(後述)により解禁された私募投信は著増傾向をたどり、2024年(令和6)5月時点の純資産額は120兆円となっている(全投信純資産に占めるシェアは33.3%)。
日本では1930年(昭和5)以降、共同投資による投資機関の設立が散見されたが、それらは大衆資金の統合とは無縁の存在でしかなかった。その点、1937年に藤本ビルブローカー(大和(だいわ)証券の前身)が設立した「藤本有価証券投資組合」は投資信託の定義に近い存在であった。日本の投資信託の草分け的な存在と評価されるが、制度的に信託関係が明示されていなかったことが問題視され、発足後3年で募集を中止した。
第二次世界大戦後の1951年(昭和26)6月、「証券投資信託法(投資信託法)」が公布・施行されると、まず株式投信がスタートし、1961年1月からは公社債投信も加わった。
その後、時代の変遷に応じて「証券投資信託法」は何度も改正されてきたが、日本版金融ビッグバンに伴い大規模な変更が実施された。すなわち、1998年制定の「金融システム改革法」により、広範な変革が施された。「証券投資信託法」は、この改正により法律名が「証券投資信託及び証券投資法人に関する法律」へと改称され、会社型投信の設立が可能となった。また、投資信託の目的などに関する条文も改変され、投資家層の定義から個人投資家を連想させる記述が削除された。つまり、投資信託にかかわる投資家は、もはや特別に保護を要する存在ではなく、機関投資家を含むより広い投資家層の一部として自己責任原則の貫徹が求められるようになったのである。このほか、販売チャネルの拡大(銀行など金融機関による投資信託の販売開始)、新規参入の促進(投資信託業務を免許制から認可制に改め参入を容易にしたことで競争促進的な環境を整備)、商品設計の弾力化(会社型のほか、私募投信、ファンド・オブ・ファンズ〈複数の投資信託に投資する投資信託〉や、運用の外部委託などの利用が可能に)、などが具体的な変化としてあげられる。
法律の名称は2000年(平成12)にも変更され、「投資信託及び投資法人に関する法律」となった。法律名から証券ということばが消えたことにより、不動産など、証券以外への投資が可能になった。
こうした自由化の進展により、日本においても多様な投資信託商品が組成されている。その結果、投資信託という名称に込められた意味や厳密な定義からみると、かならずしも投資信託とはよべないような形態の商品も出現している。このため、投資信託という名前を法的概念ととらえるのではなく、慣用的な経済用語として緩く把握することが好ましいといえよう。