江戸時代に刊行された大名・旗本・幕府役人の名鑑をいう。それぞれ「大名武鑑」、「旗本武鑑」(『国字分名集(こくじぶんめいしゅう)』)、「御役(おやく)武鑑」とも称し、民間の書肆(しょし)によって刊行された。幕府編纂(へんさん)の「分限(ぶんげん)帳」とは類を異にする。体裁は半紙半截(はんせつ)の縦本(たてぼん)4冊(巻1・巻2は「御大名衆」、巻3は「御役人衆」、巻四は「西御丸附(にしおまるづき)」)を典型とし、ほかに折本(おりほん)や懐中(かいちゅう)本などがあった。そこには大名の場合は、本姓、本国、系図、姓名、席次、家督、官位、内室、嫡子(ちゃくし)、参勤、時献上、家紋、槍印(やりじるし)、纏(まとい)、屋敷地、菩提寺(ぼだいじ)、家臣、石高(こくだか)、封地、里程、城主歴代、旗本の場合は本姓、本国、家紋、石高、屋敷地、姓名、役人の場合は役名、支配、役席、役高、本人および父親の姓名、石高、前職、分掌、就任年次、家臣、屋敷地、家紋、槍印などが記載されている。
幕藩体制の確立する寛永(かんえい)・正保(しょうほう)(1624~48)のころから内容の簡単なものがみえ始め、明暦(めいれき)の大火(1657)後まもなく『大名御紋尽(ごもんづくし)』『江戸鑑(かがみ)』が刊行されて、後世武鑑の体裁が整った。『武鑑』の名称も、1685年(貞享2)松会刊行の『本朝武鑑』を初見とするという。この直後の元禄(げんろく)年間(1688~1704)その刊行はにわかに盛んとなるが、享保(きょうほう)(1716~36)以降、大書肆須原(すはら)屋刊行の年号を表題に付した武鑑、幕府御書物師出雲寺(いずもじ)刊行の『大成武鑑』に代表されるようになる。武家社会の情報をてっとり早く得たい庶民、国元への土産(みやげ)にしたい江戸勤番の武士など、買い求める者は多かった。しかし、私版であるうえに人事異動や屋敷替えなどその都度(つど)の訂正には限界もあり、記載内容には正確さを欠くきらいがあった。それでも今日、武家社会の研究にしばしば利用され、活字化されたものもある。
[北原章男]