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江戸中期の文人、俳人。尾張(おわり)藩(愛知県)重臣横井時衡(ときひら)の長男として生まれ、時般(ときつら)と名のる。26歳で家督相続、以後御用人、大番頭(がしら)、寺社奉行を兼役ののち53歳で致仕、前津(まえづ)(名古屋市中区)知雨亭に隠栖(いんせい)、以後30年風雅三昧(ざんまい)の生活を送る。也有はその号。別号に野有、知雨亭、蘿隠(らいん)など。その俳系は支考(しこう)『続五論』(1699)の説の尊重や、支考門人巴静(はじょう)に教えを請うこと20年という事実から美濃(みの)派と思われる。俗談平話を用いる作風に加えて軽妙洒脱(しゃだつ)な風味があって、その特徴は俳文集『鶉衣(うずらごろも)』(1787前編刊)にいかんなく発揮されている。生来多芸多能で武道、詩歌、狂歌、書画、謡曲にも優れていた。天明(てんめい)3年6月16日没。尾張海部(あま)郡藤ヶ瀬村(現愛西(あいさい)市)西音寺に葬る。