国連教育科学文化機関(ユネスコ)が登録する世界遺産の物件のうち、世界遺産としての顕著な普遍的価値が損なわれかねない脅威にさらされているもの、あるいは放置すれば損なわれる可能性のある物件をさす。日本語では「危機にさらされている世界遺産」ともいう。年に一度開かれるユネスコ世界遺産委員会の場で、世界遺産の保全状況が報告されるのにあわせて危機遺産として認めるかどうか審議され、認められた場合には「危機遺産リスト」に記載される。
2024年12月時点で危機遺産の数は56件あり、長期的趨勢(すうせい)では増加する傾向にある。開発途上国にある登録物件の記載が多いが、2017年に開発による景観への懸念によりリスト入りしたオーストリアの「ウィーン歴史地区」のように、ヨーロッパの先進国の事例もある。また、国際紛争や内戦などの影響も大きく、2022年からロシアによる侵攻を受けたウクライナでは、2023年に首都のキーウ(世界遺産名は「キーウ:聖ソフィア大聖堂と関連する修道院建築物群、キーウ・ペチェルスカヤ(ペチェールシク)大修道院」)および「リビウ歴史地区」が危機遺産リストに記載されたほか、新たに「オデーサ歴史地区」が世界遺産に登録されると同時に危機遺産リストにも加えられた。また、情勢が不安定なアフガニスタン、中東地域でも危機遺産となった例は多く、イスラエルと紛争状態にあるパレスチナでも、2024年「テル・ウンム・アメル(聖ヒラリオン修道院)」が新規に世界遺産に登録されると同時に危機遺産となった。
危機遺産となる原因は、自然遺産の場合は、災害や地球温暖化などによる環境の変化、戦争や密猟などによる自然環境の破壊や動植物の減少などがあげられる。文化遺産の場合は、戦争・軍事衝突や開発による建造物や景観の破壊、環境の変化等による建造物への悪影響といったことが典型例である。
危機遺産リストに記載されると、とくに開発途上国では危機からの脱出を図るため、国際的な資金の援助などの支援が受けられるが、これは当該国が危機脱出のための努力を行うことが前提である。こうした支援などで懸念が払拭(ふっしょく)されれば、危機遺産リストから除外される。
しかし、当該国が危機からの脱出に消極的となり危機状態が続けば、世界遺産から抹消される。これまでに「ドレスデン・エルベ渓谷」(ドイツ)が2006年に危機遺産リストに記載され、2009年に登録が抹消、「リバプール:海商都市」(イギリス)が2012年に危機遺産リストに記載され、2021年に登録が抹消されている。なお、もう1件、世界遺産から登録を抹消された物件に「アラビアオリックスの保護区」(オマーン)があるが、こちらは危機遺産を経ず、2007年にいきなり抹消されている。
初めて危機遺産に登録された物件は、1979年の「コトルの自然と文化:歴史地域」(モンテネグロ)である(2003年解除)。また、危機遺産リストへの登録期間が最長の物件は、1982年の「エルサレムの旧市街とその城壁群」(現在も継続して危機遺産)である。世界遺産の制度は、水没の危機にあったエジプトの「アブ・シンベル神殿」の救済がきっかけとなって始まったことからもわかるように、もともと「危機にある遺産」をいかに後世に引き継ぐかに理念が置かれている。エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教の聖地であるとともに、パレスチナ紛争の火種を抱えた地域にあり、初めて世界遺産の物件が誕生した1978年からわずか3年後の1981年にヨルダンからの申請で世界遺産に登録されたが、周辺の情勢が不安定なことから、翌年の1982年には危機遺産リスト入りした。以来、40年以上にわたって危機遺産リストに記載されたままである。
危機遺産リストから除外された物件としては、ユーゴスラビアの内戦により危機遺産となったクロアチアの「ドゥブロブニク旧市街」や「プリトビツェ湖沼群国立公園」、やはり内戦により12年にわたって危機遺産リストに記載されたカンボジアの遺跡群「アンコール」などがある。いずれも内戦の終結で平和が訪れるとともに危機遺産を脱し、現在はともに国を代表する観光地として多くの観光客を迎え入れている。
一方、危機遺産を脱したものの、ふたたび危機遺産に逆戻りしてしまった例もある。アメリカの「エバーグレーズ国立公園」は、1993年に前年のハリケーンによる被害を受けて危機遺産入りし、2007年にいったんリストから外れたものの、2010年には水生生物の生態系の悪化などの理由でふたたび危機遺産リスト入りした。ほかにもホンジュラスの「リオ・プラタノ生物圏保存地域」、コンゴ民主共和国の「ガランバ国立公園」、マリの「トンブクトゥ」が2度目の危機遺産リスト入りをしている。
また、危機遺産は世界遺産リスト入りしたもののなかからリストに記載するかどうかを審議するが、特例として世界遺産の候補のうち、そのままでは価値が損なわれる危険性が高いと判断され、緊急で世界遺産に登録されると同時に危機遺産リストにもあわせて記載された例もある。前述の「オデーサ歴史地区」のほか、「バムとその文化的景観」(2004・イラン。2013年解除)、「イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路」(2012・パレスチナ。2019年解除)などがそれにあたる。
危機遺産は、日本のように1件もない国もあれば、国内のすべての世界遺産が危機遺産となっている国もある。アフガニスタンの2件、シリアの6件、リビアの5件がそれにあたる。
日本は危機遺産のリスト入りの物件はないが、観光客の増加による環境の悪化や周辺のビル・マンション建設による景観の悪化、登山者が捨てるごみなどによる自然環境の破壊など、危機遺産に入ってもおかしくない物件もあり、危機遺産リスト入りしていないから安心だとはいいきれない。危機遺産は、世界遺産を守ることのむずかしさと重要性を改めて警告する仕組みとして、世界遺産制度の根幹にかかわる重要な枠組みとなっている。