南太平洋のサモアとタヒチの中間地点に位置するポリネシアの群島国家。国土面積236平方キロメートル(2023国連統計)は、ほぼ鹿児島県徳之島の広さに相当する。人口は1万9000(2022。2023国連統計)で、ニュージーランドとの自由連合国。首都は南クック諸島のラロトンガ島(約67平方キロメートル、太平洋諸島センター)のアバルアで、全人口の約7割がこの島に住む。
国土は六つの環礁からなる北クック諸島(北グループ)と、火山島と環礁島が入り交じる9島の南クック諸島(南グループ)からなる。首都アバルアがある南クック諸島のラロトンガ島は、楕円(だえん)形の島で周囲は32キロメートル。中央にある海抜652メートルのテ・マンガ山を最高峰に400~600メートル級の山々が連なっており、島の周囲は白い砂浜に囲まれている。このように、山と砂浜の調和が広範囲に及ぶ景観を有する島は、太平洋島嶼(とうしょ)といえどもさほど多くはなく、リゾート地としても名高い。これに次ぐ第二のリゾート地として開発されたのは、ラロトンガ島の北に位置する、三角の環礁に囲まれたアイツタキ島(18平方キロメートル)である。
クック諸島は熱帯海洋性気候だが、南部の島々は南緯21度以上に位置するので、冬にあたる6月から8月はかなり涼しい。住民は90%がポリネシア人で、ニュージーランドのマオリはこの島から渡ったと語り継がれている。そのほかに白人との混血やニュージーランド人、周辺諸島人などが住んでいる。諸島外に出る移民も多く、ニュージーランドには国内人口より多い8万0532人(2018年国勢調査)、オーストラリアには2万8000人(2021年推計、国勢調査)のクック人がそれぞれ居住している。自由連合関係により、国民はニュージーランド国籍も所有できるが、その逆はなく、ニュージーランド人が自動的にクック市民になることはできない。そのため、島外への転出傾向は止まらずに人口は年々減少しており、とくに離島では過疎化が進んで空き家が目だつ。ラロトンガ島に暮らす人々の日常も、ほとんどポリネシアの伝統的生活方式が消えて西洋化している。
記録では、1595年にスペインのアルバロ・デ・メンダーニアÁlvaro de Mendaña de Neyra(1541/1542―1595)が北クック諸島のプカプカ島を「発見」。1773年から1779年には、イギリス人ジェームズ・クックが南クック諸島の島々を調査した。1800年代初頭、ロシア海軍は偉大な航海者クックへの敬意から、この地域の島々を「クック諸島」と海図に書き込んだ。
1821年にロンドン伝道協会の宣教師ウィリアムズJohn Williams(1796―1839)がアイツタキ島に上陸して布教を始めてから、キリスト教が諸島一帯に一気に広まった。
1888年にイギリスが属領とし、1901年にニュージーランドが統治を引き継いだ。1965年にはニュージーランドとの自由連合関係の下に自治権を獲得。2001年には、両国首相の共同宣言により、クック諸島が主権を行使して独立した国家として外交を行うことを表明した。
クック諸島とニュージーランドとの自由連合関係とは、クック諸島が軍事、安全保障の実行権と外交権をニュージーランドにゆだね、内政自治は自ら行うというものである。自由連合という名称は、どちらか一方の都合でいつでも解消できる「自由」があることに由来する。そのためクック諸島は自治領として扱われ、国際連合(国連)でも独立国として扱われてこなかった。しかし、主権行為を徐々に拡大させ、1980年代には世界保健機関(WHO)や国連食糧農業機関(FAO)、国連教育科学文化機関(UNESCO)などの国連機関にも正式加盟した。また、太平洋進出を図る中国が、1997年にクック諸島を国家承認して外交関係を樹立したことから、クック諸島の存在を独立国として意識する周辺国が増え始めた。これが2001年のニュージーランド、クック諸島の両首脳による、クック諸島が独自外交を積極的に展開できるとする共同宣言につながるのである。これを機に、クック諸島を独立国として認める国が一気に増えていった。日本は2011年に、アメリカは2023年に国家承認し、2024年時点での外交関係国は63か国に及んでいる。
政体は立憲君主制で、ニュージーランドに連動してイギリス国王を国家元首としている。行政は議院内閣制で、首相が自らを含めて6名の内閣を組織する。議会は一院制で議席数24。2004年9月の総選挙から、それまで5年であった任期を4年に短縮した。
自治政府の発足後、政党は離合集散を繰り返してきたが、近年では政府発足時に結成されたクック諸島党と1971年に結成された民主党の二大政党間で政権を争うことが続いている。国外への人口流出や都市部への人口集中によって、伝統的な社会構造の維持や部族間の対立意識は希薄になっており、政党間の争点は経済問題と対外関係問題である。ほかの多くの先進諸国に先駆けて10番目の国家承認国となった中国との外交も良好で、借款、無償ともに多額の援助を受けている。
国家財政など、基本的にはニュージーランドに依存している。しかし、ラロトンガ島、アイツタキ島を中心にした観光業が発展しているほか、輸出産品としてカツオ、マグロなどの鮮魚や黒真珠、さらには農業生産による商品作物もある。
ラロトンガ島の美しいビーチ景観を利用して、島全体がリゾート開発されており、高級なコテージ型ホテルを主にした宿泊施設が充実している。そのため、オーストラリアやニュージーランドばかりではなくヨーロッパからも客を引き寄せ、2018年には年間観光客数が16万8000人以上となった。その後、新型コロナウイルス感染症(COVID(コビッド)-19)流行の影響を受けて減少した年もあったが、以降は順調に回復している。
国民1人当りの国内総生産(GDP)は1万9680ドル(2022。2023国連統計)で、所得水準からみるとすでに中進国の水準に達している。しかしその分、首都と離島との経済格差が広がり、これが首都への人口集中や国外への転出者が相次ぐ原因になっている。使用通貨はニュージーランド・ドル。
言語はマオリ語と英語がともに公用語として使われている。宗教はキリスト教が大半を占め、プロテスタントがおよそ70%で、そのほかはカトリックである。
暮らしのなかでの伝統文化は薄れたが、打楽器の多重奏による伝統舞踏は引き継がれている。それはタヒチと並び称されるほど魅力的で、クック・ダンスとして太平洋各地で親しまれている。
教育はニュージーランドの制度を取り入れており、初等教育は8年制、中等教育は前期2年、後期3年の5年制になっている。教育言語は初等後期から完全に英語に移行する。ハイスクールの修了後は、国内に看護師や教師の養成コースを備えた短期大学があるが、ニュージーランドの大学に進学する者も少なくない。
日本からは遠く、ニュージーランドかタヒチ経由で行くことになるため、日本人の観光客は少ない。日本との時差は19時間。近年では、鮮魚や黒真珠のほか、パパイヤ、ノニジュース(熱帯植物ノニの果汁)などの農作物が日本へ輸出されており、日本の輸入超過である。
日本政府は、太平洋諸島フォーラム(PIF)の一加盟国としての交流を続けてきたが、2011年(平成23)の国交樹立前は正式な外交対象国としての扱いができなかったため、日本の政府開発援助(ODA)の開始からまだ日が浅く、これまでの累計で18億円(2021)程度の拠出にとどまっている。日本政府の公館はなく、在ニュージーランド日本大使館が兼轄している。