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生没年不詳。中国、殷(いん)末周(しゅう)初の武将、政治家。『史記』斉太公世家(せいたいこうせいか)によると、伯夷(はくい)の末裔(まつえい)で、山東省の海岸地方の出身であるが、落ちぶれて渭水(いすい)のほとりで釣りをしていたとき、周の文(ぶん)王(西伯昌(せいはくしょう))に出会い、先君太公(たいこう)が待ち望んだ賢者であることがみいだされ、太公望と号して軍師に迎えられた、としている。しかしこの説話は呂尚についての多くの伝説の一つにすぎず、真偽は不明である。周が殷を滅ぼすとき、周軍の指揮者として、自らの部族の軍を率いて活躍した。その功により斉侯に封ぜられ、春秋戦国時代の斉国の創始者となった。斉の地は現在の山東省であり、多くの異民族が居住していたが、それらをよく周王朝の下に同化して、周王朝の東方を安定させた。また農業以外に、地の利を生かして漁業、製塩業のような産業をおこし、またそれらの生産物を販売する商業を活発化させて、のちの斉国の繁栄の経済的基礎を築き上げるのに大きな功績を残した。