大正年代の初期から昭和40年代にかけて、富山県中央部を流れる神通(じんづう)川の中・下流域、東は熊野川、西は井田川に囲まれた扇状地に限局された地域で、カドミウムの慢性中毒により全身が激しく痛む病気。おもに中高年の女性に多発した。腰痛、背部痛、四肢痛など全身の骨が痛み、しだいに激しく痛むようになり、やがては骨が折れ、衰弱して死に至る悲惨な病気であった。あまりの痛さに耐えきれず、「痛い、痛い」と訴えたことから、「イタイイタイ病」とよばれるようになった。
初めは原因不明の奇病と考えられたため、この病気が世間に知れると、この土地に嫁がこなくなる、農作物が売れなくなるなどの懸念から長期間公にはされてこなかった。同地域の開業医萩野昇(はぎののぼる)(1915―1990)と協力者であった東京の整形外科医河野稔(こうのみのる)(1916―2007)が1955年(昭和30)に日本臨床外科医会で「イタイイタイ病(富山県風土病)」を報告し、初めて広く知られるようになった。初期には、「イタイイタイ病」の原因は「過労」や「栄養失調」とする説が主流であったが、萩野や岡山理科大学の吉岡金市(よしおかきんいち)(1902―1986)、岡山大学の小林純(こばやしじゅん)(1909―2001)の共同研究によって、同地域の河川水、井戸水、土壌、白米、死亡した患者の骨や臓器に多量の亜鉛、銅などの重金属、とりわけカドミウムが含まれていることが明らかにされ、上流の岐阜県吉城(よしき)郡神岡(かみおか)町(現、飛騨(ひだ)市)にある三井金属鉱業神岡鉱業所(現、神岡鉱業)から排出されていた廃滓(はいさい)に含まれていたカドミウムに原因があるとする「鉱毒説」が1961年に発表された。同年に富山県の「地方特殊病対策委員会」が発足していたが、1963年には厚生省(現、厚生労働省)、文部省(現、文部科学省)、それぞれからの研究費・助成金により合同研究班が組織され、イタイイタイ病の本格的疫学調査が始まった。イタイイタイ病患者を対象とした症例分析で、以下の事実が明らかになった。①神通川流域の特定地域に限局される、②40歳以上の経産婦に多発、③神通川の水を飲用水として多用、④地元産米の喫食、⑤尿検査から糖やタンパク陽性者が多い、⑥患者臓器や鉱滓および神通川の水にカドミウムが大量に含まれている、など。また、同地域の住民健康調査で、神通川流域住民は他地域住民と比較して、尿タンパクや尿糖の有所見率は50歳以上では有意に高く、70歳以上では5~6倍であった。このことから研究班は原因物質として重金属、とくにカドミウムの疑いが濃いと結論づけた。これら一連の研究結果を受けて、厚生省は1968年に公害行政の立場から、「イタイイタイ病の本態はカドミウムの慢性中毒によりまず腎臓(じんぞう)障害を生じ、次いで骨軟化症をきたし、これに妊娠、授乳、内分泌の変調、老化及び栄養としてのカルシウム等の不足などが誘因となって、イタイイタイ病という疾患を形成したものである」との見解を発表した。
イタイイタイ病の特徴はカドミウムによる多発性近位尿細管機能異常症と骨軟化症である。腎臓は身体に必要でなくなった老廃物を尿にする器官で、腎臓の糸球体で血液が濾過(ろか)され、尿のもと(原尿)ができる。原尿は尿細管を通り、身体に必要な物質は再吸収される。長年、カドミウムに汚染された水や農作物を摂取していると、近位尿細管に障害を受け、ミネラル(カルシウム、リンなど)やβ(ベータ)2-ミクログロブリンなどの低分子量タンパクは再吸収されず、尿中に排泄(はいせつ)される。このため血液中のミネラルが不足するようになり、濃度を維持するため、骨からカルシウムやリンが補給されることにより骨軟化症に発展すると考えられている。骨軟化症では、カルシウムやリンが不足するために骨を硬くする仕組みに異常が生じ、正常な骨がつくられなくなる。骨の強度が極度に低下し、少し身体を動かすだけで骨折するようになる。
神通川上流にある神岡鉱山は明治年代の初期に近代的な鉱山事業を開始し、以降2001年(平成13)に採掘を中止するまで、約130年間にわたり、亜鉛・鉛資源の供給を行ってきた。この間の総採掘量は7500万トンに達し、一時は東洋一の鉱山として栄えた。亜鉛鉱石の主要鉱物である閃(せん)亜鉛鉱に含まれるカドミウムを廃滓として神通川に流したことがイタイイタイ病の原因となった。その規模の大きさからイタイイタイ病は日本の四大公害の一つとして知られるようになった。
1968年に患者・遺族らが三井金属鉱業を相手に訴訟を起こした。当時、鉱業法以外に無過失賠償責任を法認する特別立法はなく、この鉱業法をめぐって裁判は争われた。ほかの多くの公害訴訟では、民法709条の過失責任による損害賠償の追及でしか企業責任を問えず、患者側からの立証は困難であった。大気汚染や水質汚濁による健康被害では、企業の過失やその因果関係を原告(被害者)側が立証しなければならないとする過失責任の原則は、その立証が医学的にも、法的にも困難な作業で、企業の責任が問えなかった。その後、被害者救済の立場から、過失、および因果関係に厳格な立証は不要という理論によって、実質的に過失責任主義が緩和された(四日市公害訴訟)。四日市公害訴訟の判決は、公害救済に大きく道を開く画期的なものとなった。一方、原因が鉱業によるものであったイタイイタイ病裁判での争点は、原告側は健康被害の存在、健康被害の疫学的因果関係(カドミウムによる健康被害、カドミウムの神岡鉱業所からの由来)を訴え、被告側はカドミウムによる被害発生の曝露(ばくろ)レベルや腎障害、骨折の発生の科学的経路が不明確なこと、ほかに発生要因がありうることを主張した。
1971年に原告勝訴の判決が下された。その内容は、①水田土壌・河川のカドミウムなどの重金属類による汚染は神岡鉱業所からの廃水が神通川上流の高原(たかはら)川に長期間放流されたためであること、②主因はカドミウムであること、③被告側は損害賠償を行うことであった。三井金属鉱業は判決を不服として即日控訴し、翌1972年の第二審での判決は被告側の控訴を棄却するとともに、原告側の附帯控訴を認め、慰謝料額の倍増を命じるものであった。判決の翌日、患者団体と三井金属鉱業との間で、①イタイイタイ病の賠償に関する誓約書(被害者救済)、②公害防止協定(住民・関係者の立入調査)、③土壌汚染問題に関する誓約書(農地復元)が取り交わされた。
土壌汚染については、1979年から2012年(平成24)の間に土壌復元事業が行われ、土壌中のカドミウムが封じ込められ、稲作が可能となった。さらに発生源対策として、公害防止協定に基づく立入調査が毎年1回行われている。1972年には河川水のカドミウム濃度が9μg/L(1リットル当り9マイクログラム)だったが、1975年以降は1μg/L台にまで減少した。一方、農地復元工事前後で、玄米中のカドミウム濃度は0.99mg/kgから0.08mg/kgに、土壌中の濃度は1.12mg/kgから0.13mg/kgに減少した。また、最近の研究では住民の健康も土壌復元以後はカドミウムの影響はみられないことが報告されている。
イタイイタイ病ではこれまでに201人が患者認定され、認定までに至らない要観察者は345人である。しかし、2024年(令和6)8月に認定患者は1人もいなくなり、翌2025年3月には要観察者もいなくなった。これでイタイイタイ病はもう終わると思われがちであるが、この地域には患者認定にまで至らないが将来イタイイタイ病になる可能性がある人も含めて、尿タンパク・尿糖がみられる腎障害者が2025年9月時点でも多くいる。これら腎障害がみられる人たちの予後は悪いと報告されており、生存している認定患者・要観察者はゼロになったとはいえ、まだイタイイタイ病は終わってはいないのである。