2010年末ころから中東・北アフリカ地域各国で本格化した反体制・反政府運動の総称。1968年にチェコスロバキアで起きた民主化運動「プラハの春」にならって、「アラブの春」とよばれる。2010年12月にチュニジアで発生した反体制デモを発端に、アラブ諸国の多くで、「国民は体制打倒を望む」といったスローガンを掲げる大規模抗議デモが発生し、反体制・反政府集会が次々と開催された。参加者は、長期政権下での強権的な政権運営、汚職の蔓延(まんえん)、若年層の高い失業率、深刻な経済格差などへの怒りを表明した。衛星放送、携帯電話、フェイスブックやツイッター(現、X(エックス))といったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)がデモや抗議行動への動員手段として活用されたほか、SNSによってデモや当局の弾圧のようすなどの情報が国境を越えて急速に伝播(でんぱ)した結果、抗議行動は地域全体へと波及した。このような特徴から、「インターネット革命」と称されることもある。
抗議デモによって、23年続いたチュニジアのベンアリ政権が2011年1月に崩壊し(ジャスミン革命)、同年2月には、29年続いたエジプトのムバラク政権も退陣した(1月25日革命)。このほか、バーレーン、ヨルダン、モロッコでは、内閣の交代や憲法改正といった民主化への政治変動が起こった。
一方、リビア、イエメン、シリアでは、抗議運動が内戦や武力紛争に発展し、諸外国の干渉を招いた。これにより、2011年8月には、反体制派を支援する欧米諸国などの軍事介入も相まって、リビアのカダフィ政権が崩壊、同年11月には、サウジアラビアやアラブ首長国連邦などからなる湾岸協力会議(GCC)の仲介により、イエメンのサレハ‘Alī ‘Abdullāh
āli
(1942―2017)政権が退陣した。シリアでは、ロシアとイランを後ろ盾とするアサドBashshār al-Asad(1965― )政権と、トルコ、カタール、サウジアラビア、欧米諸国が支援する反体制派の間で武力紛争(シリア内戦)が深刻化し、「今世紀最悪の人道危機」ともいわれる状況に陥った。これにより、国土は分断され、膨大な数の犠牲者、難民、国内避難民が発生した。また、イスラミック・ステート(IS、イスラム国)やヌスラ戦線(後のシャーム解放機構、HTS)といったアルカイダ系組織、クルド民族主義勢力が台頭し、これらをテロ組織とみなす欧米諸国やトルコが軍事介入に踏み切り、シリアの国土の一部を実効支配するに至った。また、ロシアや親イラン勢力も各地に部隊を駐留させ、シリアは各国による代理戦争の舞台ともなった。
体制転換を経験した国々のなかで、民主化が一定程度実現したと評価されたのはチュニジアだけで、エジプトではムバラク退陣後に民主選挙で誕生したムルシMu
ammad Mursī(1951―2019)政権が、2013年に大統領の退陣と選挙の早期実施を求める全国規模の民衆デモ(6月30日革命)とこれに続く軍のクーデターで打倒された。また、リビアとイエメンは、体制崩壊後に内戦が激化し、シリアと同様に諸外国が介入を強め、ISやアルカイダ系組織が跋扈(ばっこ)した。
混乱が続いていたシリアでは、2010年代なかば以降、アサド政権が軍事的に優位にたつようになった。だが、2023年にイスラエルと、パレスチナのガザ地区を実効支配するハマス(ハマース)、レバノンのヒズブッラー(ヒズボラ)、そしてイランとの間で軍事的緊張が深刻化すると、シリアもまたイスラエルの攻撃を受けるようになり、アサド政権はしだいに弱体化していった。そして2024年末、「シリアのアルカイダ」として知られてきたシャーム解放機構が主導する反体制派が大規模攻勢をしかけ、アサド政権を崩壊に追い込み、新たに政権を掌握した(シリア革命)。
なお、2018年から2020年ころにかけて、スーダン、イラク、レバノンにおいて、経済の困窮、強権支配、汚職、失業などに対する抗議デモが相次いだ。これによりスーダンでは、長期政権を維持していた大統領のバシール‘Umar al-Bashīr(1944― )が失脚するなどの政治変動が生じた。これら一連の動きを「第二のアラブの春」とよぶこともある。