数字を使った賭(か)け事の一種。参加者は1から80までの数字が書かれた用紙(キノ・チケット)から、適当な数字をいくつか選ぶ。その後、主催者によって1から80までのうち20個の数字が任意に「当り数字」として選ばれ、当たった数字の個数で配当倍率が決まる。アメリカ合衆国、とくにネバダ州のカジノではよく行われているゲームである。
参加者がキノ・チケットから選ぶ数字の個数は、1個から15個までが定番だが、例外的に20個など、その他の選択方式もある。たとえば10個の数字を選んだ場合、もし20個の当り数字のなかに選んだ10個の数字がすべて含まれていると、払い戻しはカジノによっては2万5000倍にもなり、9個の数字の当りでも4000倍くらいになる。配当倍率はすべて事前に主催者によって決められており、10個の数字を選ぶと数字5個以上の的中で一定倍率の払い戻しが与えられる。抽選は、透明の容器に入った数字の書かれたピンポン玉で行われる。容器の取り出し口に吹き上げられたピンポン玉は、順に透明のパイプを通って主催者側の担当者(キノ・ランナー)の手元に送られ、それらが20個になるまで読み上げられる。カジノ内には見やすい場所に抽選結果を知らせる掲示板があり、10~15分間隔で1ゲームが行われるため、ほかのゲームや食事を楽しみながらプレーする人も少なくない。キノ・ガール(キノ・ボーイ)とよばれる売り子に頼めば、代わりにチケットの購入、チェック、払い戻しなどをしてくれる。
キノはビンゴ、ロトlotto、ナンバーズnumbersなどとよく似ているが、形態や原型からみると、これらのなかではキノがもっとも古いと考えられている。一説によると、紀元前3世紀の終わりごろ、前漢の張良(ちょうりょう)が大規模建造物の資金を集めるため、同じ漢字を用いずに書かれた詩のなかの120文字を使用して発行した「白鴿票(ぱっこっぴょう/ぱかぴお)」というくじが起源だという。その後も中国では、各地で白鴿票のバリエーションが、手を変え品を変えプレーされてきたとされる。
19世紀後半になると、アメリカの西海岸で鉄道建設に携わっていた中国人労働者の間でも同様のくじがくふうされ、チケットが売られていた。1枚50セントから1ドル、大当りは3000~5000ドル程度だった。当時の3000ドルの価値はかなりのもので、「故郷に錦を飾る」ことができる金額だと考えてよい。こうして仲間内で成功者を出すシステムでもあったが、のちに東海岸でも広がり、その時点ですでに、いまのキノとほぼ同様の仕組みになっていた。この中国系のくじは、1530年に始まったイタリアの国営ロトが変化したものであるが、イタリアの国営ロト自体が前述の白鴿票か、その類似物をモデルとしていることは明白であると考えられるため、それらもすべて含めて、原型としては、ロトをはじめとした似た形式の同じようなゲームのなかではキノがもっとも古いとされるのである。
アメリカのニューヨーク州やルイジアナ州などに点在していた場外馬券売場は、名目上は違法であっても、多くの時代においては堂々と営業していた。そこでかつて行われていたキノ類似のナンバーズ・ゲームは、当時「レースホース・キノRacehorse Keno」とよばれていた。ただし、法の網をくぐる目的もあって頻繁に名称が変わったため、「レースホース・キノ」という名称が使われた期間は、いまとなっては正確にはわからない。当時はビンゴのようにかならず当選者の出るゲームであったものが、20世紀なかばには一定の配当率が提示される現在の形になり、一般的にキノとよばれるようになった。