一般的には硬骨魚綱スズキ目タイ科魚類の総称。狭義にタイといえばマダイをさすが、近縁種のチダイと混称している地域も多く、またキダイやクロダイなどを含めることもある。広義のタイ形魚類はイトヨリダイ科、タイ科、フエフキダイ科の3科からなるが、この項ではタイ科について記述する。なお、タイ類の英名は、赤色のタイはred seabream、暗灰色のタイはporgyである。
[赤崎正人][尼岡邦夫]
タイ科魚類は形態的な特徴によって、キダイDenticinae、ヨーロッパダイPagellinae、マダイPagrinae、アフリカダイBoopsinae、ヘダイSparinaeおよびアフリカチヌDiplodinaeの6亜科に分けられる。前の3亜科の魚は体色が赤く、後の3亜科の魚は多くは暗灰色である。日本、東南アジアとオーストラリアの海域にはキダイ、マダイ、ヘダイの3亜科の魚が分布するが、地中海とアフリカ周辺の海域には6亜科のすべてが分布し、アメリカ新大陸の大西洋岸にマダイ、ヘダイ、アフリカチヌの3亜科の魚が生息する。
タイ科魚類のおもな属名は次のとおりである。キダイ亜科(キダイ属Dentex、セナガキダイ属Cheimerius、オオメレンコ属Polysteganus、ナガレンコ属Argyrozonaなど)、ヨーロッパダイ亜科(ヨーロッパダイ属Pagellusなど)、マダイ亜科(マダイ属Pagrus、チダイ属Evynnis、タイワンダイ属Argyrops、キシマダイ属Pterogymnusなど)、アフリカダイ亜科(アフリカダイ属Boops、ヒラダイ属Sarpa、メジナモドキ属Cantharusなど)、ヘダイ亜科(ヘダイ属Rhabdosargus、クロダイ属Acanthopagrus、アメリカギンダイ属Calamus、スカップ属Stenotomusなど)、アフリカチヌ亜科(シマチヌ属Puntazzo、アフリカチヌ属Diplodus、アメリカチヌ属Archosargus、ピンフィッシュ属Lagodonなど)。
[赤崎正人][尼岡邦夫]
タイ科魚類は楕円(だえん)形で体高が高く、側扁(そくへん)した体に、二叉(にさ)した強い尾をもつ典型的なタイ形が特徴である。魚類学的には、眼前骨と第1眼下骨が同形同大、幽門垂数は4本、副蝶形骨下縁(ふくちょうけいこつかえん)の突起が2個、大部分の魚の顎骨(がくこつ)に円錐歯(えんすいし)、門歯や臼歯(きゅうし)が発達している、などの形質によって定義づけられている。タイ科の魚の全長は25~100センチメートル。一般に吻(ふん)は短いが、眼下幅は広く、強いあごをもつ。前上顎骨の後端は主上顎骨と重なる。主上顎骨は口を閉じたときに眼下骨に隠されて、露出しない。両顎にはキダイ亜科では強大な円錐歯を、アフリカダイ亜科では円錐歯や門歯をもつが、ほかの4亜科の魚はすべて臼歯をもつ。臼歯の列は、マダイ亜科、ヨーロッパダイ亜科で2列、アフリカチヌ亜科で3列、ヘダイ亜科で3~4列である。背びれは1基で10~13棘(きょく)9~17軟条、臀(しり)びれは3棘7~15軟条、腹びれは胸位で1棘5軟条で、基部に腋部鱗(えきぶりん)がある。体は大部分が円鱗または弱い櫛鱗(しつりん)で覆われるが、亜科により鱗(うろこ)の形が異なる。脊椎骨(せきついこつ)は24個(腹椎骨10個+尾椎骨14個)。胃はV字またはY字形でやや大きく、腸は一般に短い。体色は変化に富み、桃色または赤色~黄色または灰色で、しばしば銀色または金色に反射する。また、暗色やそれ以外の色彩のある斑点(はんてん)、縞(しま)模様、または帯状斑がある。
[赤崎正人][尼岡邦夫]
タイ科魚類は熱帯および温帯の沿岸域の底層近くにすむ。そのうち、体が赤色のタイは沿岸や大陸棚の岩礁や泥土と砂礫(されき)の中間地帯を好み、水深50~200メートルの底層にすむ。一方、体が暗灰色のタイは河口域や内湾など水深50メートル以浅の岩礁と砂泥質の所を好む。やや貪食(どんしょく)な肉食性の魚で、底生の多毛類、甲殻類、軟体類、棘皮(きょくひ)類、魚類などを好んで食べる。産卵期は、マダイ、クロダイ、ヘダイなどは春季で、チダイ、キチヌなどは秋季である。卵は油球1個をもつ球形の透明な分離浮性卵で、卵径は0.8~1.2ミリメートルである。20℃では約2日前後で孵化(ふか)する。小形種や大形種の若魚は群集性があるが、大きい個体は単独でより深所にすむ。わずかながら産卵その他による季節的移動を行う。
[赤崎正人][尼岡邦夫]
体が暗灰色の3亜科のタイ類には、すべての魚が雌雄同体の時期を経たのちに雌雄のいずれかに分化する性転換の現象がある。クロダイとキチヌでは、全長10センチメートル以下の魚は原始的性細胞をもつが10~14センチメートルの魚には精原細胞が認められ、14~25センチメートルごろでは典型的な両性巣をもち、外側に精巣が、内側に卵巣がある。20~25センチメートル以上ではほとんど雌に分化する。雌雄同体の個体は精液を出し雄の機能があるが、卵巣はけっして熟さない。すなわち、クロダイ類は小さいときはすべて雄で、大きくなるとほとんど雌になる。なお、体が赤色の亜科にも、キダイの高年魚の約半数に雌雄同体が現れたり、養殖マダイに少数ながら両性巣が出現したりしたとの報告がある。
[赤崎正人][尼岡邦夫]
日本には、キダイ、キビレアカレンコ、ホシレンコ、マダイ、チダイ、ヒレコダイ、タイワンダイ、クロダイ、キチヌ、ミナミクロダイ、ナンヨウチヌ、オキナワキチヌ、ヘダイの13種が知られている。いずれも白身のしまった肉質で美味のため、需要は多いが漁獲量は漸減している。タイ類の漁獲量をみると、マダイがもっとも多く、チダイ+キダイ、クロダイ+ヘダイ(これらの数値は合計値で算出)の順となっている。タイ類としての漁獲量は1973年(昭和48)ごろまでは3万~5万トンほどあったが、それ以後はしだいに減少し2万トン台が続き、2015年度(平成27)は2万5000トンほどであった。一方、日本沿岸のタイ資源の減少に対し、各地でマダイやクロダイの種苗を生産して、沿岸に放流したり養殖の種苗としたりしている。マダイの養殖の生産量は1970年に460トンであったが、それ以後はしだいに増加し、1999年(平成11)に8万7000トンと最多量となった。その後は6万~8万トン台の間で推移し、2015年では6万3000トンほどであった(農林水産省「平成27年漁業・養殖業生産統計」による)。他方、輸入タイ類については1962年ごろからゴウシュウマダイ、アサヒダイ(商品名はサクラダイ)など外国のタイ類が多量に日本の市場に入荷し、利用されている。
[赤崎正人][尼岡邦夫]
各地でさまざまな釣り方、仕掛け、餌(えさ)がくふうされ使われている。仕掛けは、一本鉤(ばり)、この一本鉤に小さい孫鉤をつけたもの、枝鉤を2本または3本つけた胴づき、片天ビンからハリスを伸ばした二本鉤が基本的なものになっている。
餌はクルマエビの小形(サイマキ)や、船の網漁でとる赤い色に近いサルエビ、小さくてやや黒っぽいエビ、淡水の池や沼でとれるモエビなどエビ類を主体に、南極産のオキアミが1980年(昭和55)ごろから各地で使われるようになった。多毛類ではイワイソメ(西日本ではマムシという)、タイムシ(一部の地方でアカイソメという)、フクロイソメ(西日本ではイチヨセという)などもタイ餌(え)となり、小さなミミイカやサンマの切り身、生きたイカや小魚のイカナゴも使われる。また、ごく薄いゴムで橙(だいだい)色に近いものを細く短冊に切って鉤にかけて釣る地方もある。このような各種の餌は季節によって多少違ってくるが、一年中効果を発揮するのはやはり生きたエビで、ついでオキアミであろう。
釣り方のポイントは、棚とよばれるタイの泳層を早くつかむこと。とくに春はまだ底潮が冷たいので、暖かい潮を求めて海底から上を棚に求めがちであり、逆に秋は底潮が暖まっているので棚を底に求めがちである。このようなことから「春のタイは宙層を釣り、秋は底を釣れ」ともいわれる。ただし、多人数が乗った乗合船で、寄せ餌を使うタイ釣りでは、潮の流れの緩いときだと、寄せ餌の効果からタイの棚はかなり上層にあがることもある。鉤掛かりしたタイは途中2、3回強く海底に突っ込むような独特の引きをみせるので、このときに強引なやりとりをするとハリスを切られたりする。
[松田年雄]
タイはその骨が貝塚からも多く出土しており、食用歴の古いことがわかる。『万葉集』には、醤酢(ひしおす)に蒜(ひる)を混ぜ、タイにつけて食べるという歌もあるが、タイは古くから日本人には身近な魚として利用されてきた。タイという字は魚偏に周と書くが、周というのはあまねくとか、どこにもかしこにもという意味をもっている。すなわち日本近海はもとより、どこの海にでもいるという意味からつけられた名前と考えられる。タイはおめでたいとひっかけ、祝いに使われることが多く、祝い事にはおもに尾頭付きが使われる。
タイの鱗(うろこ)は堅いので、鱗ひきまたは出刃包丁の刃を使って完全に取り除く。姿焼きの場合はえらと内臓を除いてそのまま用いるが、そのほかの料理では3枚におろして用いる。淡泊な味で臭みがなく、しかもうま味が多いので広く料理に利用できる。タイは、ほとんど捨てるところがない。肉は刺身、焼き物、蒸し物、煮物など、頭や中骨はあらだき、潮汁(うしおじる)など、卵巣の真子(まこ)は煮物、精巣の白子(しらこ)は椀種(わんだね)や鍋物(なべもの)にする。
おもな郷土料理には次のようなものがある。
[河野友美][大滝 緑]
石川県の豪華な料理。大ダイを2尾用意し、鱗と内臓を除いて背開きにする。この中ににんじん、タケノコ、きくらげ、すだれ麩(ふ)、おから、ぎんなんなどをいり煮にしたものを詰めて蒸し上げる。魚は大皿に向かい合わせに2尾並べる。祝いの席には青竹でつくった箸(はし)をえらぶたに刺し、松の小枝を添える。
[河野友美][大滝 緑]
広島県や愛媛県の郷土料理。大きなタイの鱗、えら、内臓をとり、姿のまま酒、みりん、しょうゆ、砂糖などで煮る。そうめんをゆで、大皿に波形に盛り、その上にタイを置く。季節により青ユズをおろしかけたり、木の芽を散らし、タイの煮汁をつけ汁として食べる。
[河野友美][大滝 緑]
とれたての魚を、塩をつくるときの釜(かま)や焼き上げた塩に埋めて蒸し焼きにしたもの。とくに瀬戸内海沿岸のタイの浜焼きは有名。『和訓栞(わくんのしおり)』(1777)に、とれたてのタイなどを塩を焼く釜の下の土に埋めて焼くことが記されており、すでに江戸時代にはつくられていたことがわかる。最近は高熱の釜や赤外線を用いて蒸し焼きにしている。身をむしり、しょうがじょうゆをつけて食べる。
[河野友美][大滝 緑]
日本では、タイは最初に文献に表れる魚で、『古事記』神代巻に、山幸彦(やまさちひこ)の投げた釣り針をのどにひっかけて登場し、『万葉集』にもタイ釣りの歌がみえる。伊勢(いせ)神宮の神饌(しんせん)では、アワビに次ぐたいせつな魚とされ、「御幣鯛(おんべだい)」という乾鯛が、平安時代から伊勢湾の篠島(しのじま)(愛知県南知多(ちた)町)で調製され、古式のままに塩鯛が供えられている。また七福神の恵比須(えびす)神が釣り上げて持つタイは、「めでたい」に通じる語呂(ごろ)合わせから、祝いの料理や贈答品にされているが、「めでたい」は「めでたし」の口語体で、それほど古いことばではなく、それよりも縁起のよい赤い色彩や姿、味のよさから吉祥魚とされた。江戸時代以前の料理書では、むしろコイのほうが上等とされていた。
2尾の塩鯛を腹合わせにして結び合わせる「掛鯛(かけだい)」(懸鯛)の風習は、江戸時代より関西や四国を中心としてしばしば各地の祭礼や婚礼にみられる。北九州では、婚約が決まると酒1升とタイ1尾を「一升(生)一鯛(代)」の意味で贈り、三重県志摩地方などでも大きなタイ2尾に酒を添えて結納とする。昔は一般の家でも、正月に神棚の前やかまどの上などに掛鯛を年神様に供え、これを6月1日に取り外して食べると邪気が払われるとした。また「にらみ鯛」といって、お膳(ぜん)に置いて飾りとする習慣もあった。
愛知県南知多町豊浜(とよはま)では、7月中旬に「鯛祭り」の行事が行われ、大漁を祈願して張り子の大ダイを海の中で担ぐ。広島県三原(みはら)市能地(のうじ)沖でも、毎年3月に「浮き鯛祭り」といって、張り子のタイの腹を上にして担ぐが、これは、この付近を神功(じんぐう)皇后が船で通ったとき、周りにタイが集まって浮き上がったという故事にあやかっている。タイの郷土玩具(がんぐ)は多く、なかでも鹿児島県霧島市にある鹿児島神宮の海幸(うみさち)・山幸(やまさち)の神話にちなむ鯛車は有名である。
[矢野憲一]
上代から美味な食料とされ、『万葉集』に、「水江(みづのえ)の浦の島子を詠む」長歌の「堅魚(かつを)釣り 鯛釣りほこり」(巻9・高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ))と、「醤酢(ひしほす)に蒜(ひる)つきかてて鯛願ふ我にな見えそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)」(巻26・長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ))の2例があり、記紀の海幸・山幸神話などにも、鯛や赤鯛の名がみえる。『日本書紀』仲哀(ちゅうあい)天皇2年6月条、神功皇后が熊襲(くまそ)征討の途中、豊浦津(とゆらのつ)で船の周りに集まった鯛に酒を飲ませて酔わせた話もよく知られる。平安時代に入って、『神楽(かぐら)歌』の「磯良(いそら)が崎」に「鯛釣る海人(あま)」とあり、『土佐日記』にも、楫取(かじと)りが持ってきた鯛を食べたことが記されている。江戸時代の石川雅望(いしかわまさもち)の『狂文吾嬬那万里(きょうぶんあづまなまり)』には「鯛は魚の王なり」で始まる、鯛の故事来歴を記した「鯛亭記(たいていのき)」と題する戯文が収められている。季題は「桜鯛」が春、「落鯛」が秋。
[小町谷照彦]