さまざまな光景、映画や写真など、目に映る事象の形、動き、明暗、色彩などを、エレクトロニクス技術を用いて遠方に伝え再現する仕組み、またはその装置。略してテレビ、またはTVともいう。一般家庭を対象にした放送のほか、産業用、教育用、あるいは防災・防犯用にと幅広い分野で活用されている。
[木村 敏][吉川昭吉郎]
1873年イギリスのスミスWilloughby Smith(1828―1891)らは、窓から入る光によってセレンの光導電現象を発見、セレンの抵抗が光によって変わることをみいだした。明暗を電気の強弱に変えて遠方に伝えるテレビジョンの開発はこのときに始まった。1875年アメリカのケアリーGeorge R. Carey(1851―?)が早速、多数の光電変換素子で画面の各部の明暗を電気の強弱に変え、同数の伝送路を使って送る多線式テレビジョンを考案している。
1884年ドイツのP・G・ニプコーは、周辺に24個の穴をあけた円板を一つの光電変換素子の前で回転し、画面の各部の明るさを次々に順序よく取り出す順次伝送方式のテレビジョンを試みた。受像側では再生画像をのぞき見したことから、この実験を電気望遠鏡とよんだともいわれている。このような機械式走査と光電変換素子を用いる撮像方法は、その後長らくテレビジョンの基本的手法として使われる。
1889年ドイツのJ・エルスターとH・F・ガイテルが、アルカリ金属を陰極とする光電管を発明、また1897年にこれもドイツのK・F・ブラウンがブラウン管を考案して、光電変換素子および表示素子に進歩をもたらした。なおブラウン管がテレビジョンの受像実験に初めて用いられたのは、1907年ロシアのロージングБорис Львович Розинг/Boris L'vovich Rozing(1869―1933)によってであるが、像はかすかなものであったと伝えられている。
テレビジョンの最初の公開実験は、1925年イギリスのJ・L・ベアードによって有線で行われた。1927年にはアメリカのベル研究所がワシントン―ニューヨーク間の長距離有線伝送実験を公開、翌1928年にはベアードがロンドン―ニューヨーク間の大西洋横断送信を行っている。またベアードはこの年世界最初のカラーテレビ実験にも成功している。
電子的な走査方法、撮像管の利用は、1908年イギリスのキャンベル・スウィントンAlan Archibald Campbell-Swinton(1863―1930)が、ルビジウム膜の光電モザイクを用いた撮像用陰極線管を発表したのを嚆矢(こうし)とするが、安定度、感度など性能の面で撮像管が実用化されるようになるのは、1933年アメリカのV・K・ツウォリキンがアイコノスコープを発明するまで待たねばならなかった。
[木村 敏][吉川昭吉郎]
日本におけるテレビジョンの研究は、1925年(大正14)高柳健次郎によって始められた。高柳は、撮像・受像とも電子式のテレビジョンを開発しようと、セレン膜を光電変換に利用する撮像管の試作を進めたが成功に至らず、撮像はニプコーの円板を用いた機械式走査、受像にはブラウン管を用いる方式により、1926年に初めて「イ」の字の伝送に成功した(この実験が行われた浜松市には、「イ」の字を刻んだテレビ発祥の地の記念碑がある)。また1928年(昭和3)には人の顔を写し出した。このときの走査線数は40本であり、現在のテレビジョンに比べてかなり粗い画面だったことがうかがえる。一方、早稲田(わせだ)大学の山本忠興(ただおき)、川原田政太郎(かわはらだまさたろう)は1926年、機械式走査によるテレビジョンの研究を開始、1930年に約1.5メートル四方の大受像画面(走査線数60本、毎秒像数12.5枚。早稲田大学式テレビ、早大式テレビともいう)を公開した。その後、日本電気(NEC)、東京電気(東芝の前身)、日本放送協会(NHK)などテレビジョンを研究する企業も現れ、また各地の展覧会などへのテレビジョンの出品も盛んとなり、一般の関心も高まっていった。
[木村 敏][吉川昭吉郎]
テレビ放送は1928年、アメリカのWGY局が実験放送したのが最初とされている。このときすでにテレビドラマも放送されたという。以後、ドイツ、イギリス、ソ連、フランスなどが機械式走査によるテレビジョンの実験放送を始めている。1935年ドイツが本放送を開始、翌1936年ベルリンで開かれたオリンピック大会の実況中継をテレビ放送した。このとき撮像にアイコノスコープカメラも用いたが、機械式走査基準の走査線数180本で放送した。走査線数が400本を超える全電子的テレビ放送は、1935年イギリスで始まった。機械式走査によるテレビジョンと1日交替の実用化試験だったが、1937年には機械式は取りやめとなり、全電子式が正式放送となっている。これが現在のテレビ放送の始まりといえよう。
日本のテレビ放送は、1939年5月13日の実験電波発射に始まる。ドイツがベルリン・オリンピック大会をテレビ中継したことに刺激を受け、1940年に予定されていた東京オリンピックをテレビ中継しようと、NHK放送技術研究所が高柳健次郎を迎えて本格的に進めていた研究・開発の成果が、実験放送として実ったものである。東京オリンピックは世界情勢の緊迫化により中止されたが、テレビジョンの実験放送は1941年6月まで続けられた。この間、日本最初のテレビドラマ『夕餉前(ゆうげまえ)』(1940)も放送された。
1941年、太平洋戦争の勃発(ぼっぱつ)でテレビジョンの研究は中止、戦後1946年(昭和21)研究は再開されたものの、テレビ放送の再開は1950年2月25日まで待たねばならなかった。東京での実験放送開始に引き続き、1951年には大阪、1952年には名古屋でも実験放送が始まり、この3局を結ぶテレビ中継回線も1953年にNHKの手で完成した。本放送は1953年2月1日にNHKが、同年8月28日に初の民放テレビ局の日本テレビ放送網(NTV)が開始している。
放送開始当初、テレビ受像機は非常に高額であり普及はなかなか進まなかったが、駅や公園、盛り場に設置された街頭テレビには多くの人々が集まり、プロレスをはじめとしたスポーツ中継に熱狂した。1956年に神武(じんむ)景気が始まると、テレビは電気洗濯機、電気冷蔵庫とともに「三種の神器(じんぎ)」として広く普及することになった。
1959年の皇太子御成婚は日本中の関心が集中した一大イベントであり、せめてテレビででも実況を見たい、どうせ買うのならこの機会にという人々が購入し、爆発的に普及していった。しかしながら、全国的に見ればNHK32局、民放27局が放送を行っているのみで、全国の70%程度の世帯にしか電波が届いていなかった。その後、1964年の東京オリンピックの開催を目ざして急速に放送所が建設されることとなる。
[木村 敏][吉川昭吉郎]
日本のカラーテレビ放送は1956年12月20日に実験放送として始まり、1960年9月10日から、アメリカ、キューバに次いで世界で3番目に本放送が開始された。放送方式としてアメリカのテレビジョン方式検討委員会(NTSC)の定める走査線数525本のNTSC方式を採用し、カラーテレビはもちろん、白黒テレビでも放送を受信できることが特長であった。放送開始当初はカラーテレビが自動車並みの価格であったこともあり、期待されたほどの普及はしなかった。その後1965年のいざなぎ景気で国民の所得が増大し、量産効果によるカラーテレビの価格の低下と相まって、自動車(car)、クーラー(cooler)、カラーテレビ(color television)を「三C商品」とよぶ消費ブームが巻き起こった。その結果、1973年にはカラーテレビの普及率が75%を超えて、白黒テレビと逆転することとなった。
1969年12月20日、アメリカの劇映画『ぼくはついている』が東京と大阪で原語の英語と吹き替えの日本語の2か国語で放送された。世界に先駆けたテレビ音声多重放送の実験の始まりであった。翌1970年3月には大阪で万国博覧会が開幕、ニュースや万博だよりを日本語と英語で放送し、またテレビの音楽番組にステレオ音をつけて放送したりもした。音声多重放送は1982年には本放送となり、2001年には民放局を含め全国どこでも受信できるようになった。もう一つのテレビ多重放送である文字多重放送も1983年に実験放送が始まり、1985年には本放送となった。
[木村 敏][吉川昭吉郎]
山地の多い日本の地形でテレビの全国普及を図るため、NHK総合テレビだけでも全国2214局(2015年12月時点)で放送されているが、それでも離島などで難視聴地域が残ってしまう。以前、東京タワーでは50キロワットの出力で放送を行い、関東一円にサービスを行っていたが、赤道上空3万6000キロメートルの軌道にある静止衛星から放送すれば、わずか100ワットの出力で日本全国をカバーすることができる。
このような静止衛星を通信・放送に利用するという発想は、1945年、イギリスのSF作家A・C・クラークが3機の静止衛星で全世界をカバーする通信網を構築するというアイデアを発表したのが最初であった。
1963年(昭和38)11月23日、初めての日米間テレビ衛星中継が行われた。このときテレビの前にいた日本の人々の目には、アメリカ大統領ケネディ暗殺というショッキングなニュースが飛び込んできた。翌1964年には東京オリンピック開会式の模様が衛星を介してアメリカ全土に中継された。これまでフィルムかビデオテープでしかできなかった海を隔てた国との番組交換が、衛星中継によって即時にできることを示した大きなできごとであった。
こうした成果を受けてNHKは、1965年に自前の衛星を打ち上げ、各家庭で直接電波を受信する衛星放送を行う構想を発表し、放送衛星の研究を開始した。1968年には政府が宇宙開発委員会を発足させ、日本は自らの技術による純国産宇宙開発を目ざすこととなり、翌1969年、ロケットや衛星の開発を推進する宇宙開発事業団(NASDA(ナスダ)。現、宇宙航空研究開発機構=JAXA(ジャクサ))が設立された。衛星からの電波は容易に世界各国に届いてしまうため、限られた電波や静止軌道位置を各国に割り当てる必要がある。当時の衛星は太陽電池を電源として動作していたが、搭載するバッテリーの能力不足のため、太陽が地球の陰となってしまう「食」の時間帯は放送を中断せざるをえなかった。この「食」の時間帯が日本で深夜となる軌道位置が東経110度であり、1977年に開催された世界無線主管庁会議(WARC-BS)で日本は希望どおり東経110度の衛星軌道と、12ギガヘルツ帯で8チャンネル(チャネル)の周波数割当てを受けた。1978年、実験用中型放送衛星「ゆり」が打ち上げられ、各種の実験が行われた。その結果に基づき1984年5月から放送衛星「BS-2a」によるテレビジョンの試験放送を開始した。その後、1986年には2波(2チャンネル)放送、1987年には24時間放送を開始し、1989年(平成1)から本放送となった。2016年(平成28)3月の時点で、約4045万世帯に普及している。
衛星放送には放送衛星(BS:broadcasting satellite)を使うBS放送と、通信衛星(CS:communications satellite)を使うCS放送がある。初期のCS放送では、地球から見た通信衛星の角度が放送衛星のそれと違っており、別々のパラボラアンテナ(回転放物鏡アンテナ)を設置する必要があり、不便であっただけでなく、制度上もBSとCSは別の扱いを受けていた。2002年に方位が放送衛星と同じ110度CSデジタル放送が開始され、同一のパラボラアンテナでBS、CSが受信できるようになった。制度上も2011年6月に衛星基幹放送として統一された。衛星放送は初めアナログ放送として出発したが、現在はBS、CSともデジタル放送である。
[木村 敏][吉川昭吉郎]
テレビの大型化に伴い、画面のちらつきやにじみが目だつようになり、高層ビルが建ち並ぶことなどによって起こるゴースト障害(テレビの受信画面に同一の画像が二重、三重にずれて現れる電波障害)が課題となってきた。1985年(昭和60)郵政省(現、総務省)が「テレビジョン放送画質改善協議会」を設置し、送信側と受信側の双方の観点から画質の向上を図ることとなった。その結果、1989年(平成1)には技術基準に関する省令が改正され、放送局側では高解像度化、定輝度化信号処理、適応的エンファシス、また、受信側では三次元YC分離、順次走査表示といった高画質化処理を行い、ゴースト除去参照信号(GCR)によるゴースト除去を行うことで画質の向上を図ったEDTV(enhanced definition television。日本での愛称はクリアビジョン)方式が開始された。EDTVは、NTSC、PAL(パル)などの既存方式との両立性を保ちながら、高画質化するTV方式の国際的な総称であり、日本方式であるEDTV(クリアビジョン)、EDTV-(ワイドクリアビジョン)はそのなかの一つ。EDTV放送は、従来のテレビでも受信することが可能であり、その場合でも放送局側で高画質化処理を行っているため、以前よりは若干きれいに映るようになった。
[木村 敏][吉川昭吉郎]
1989年にはEDTV放送が開始されたが、同年さらにNTSC方式との両立性を保ちながら画面のワイド化と高画質化を図る第2世代のEDTVの開発が始まった。これをEDTV-(愛称はワイドクリアビジョン)という。EDTV-では、アスペクト比(縦横比)4対3の画面の中央部にアスペクト比16対9の映像をはめ込んだレターボックス形式で放送されるため、従来の受信機では画面の上下に黒帯が出たが、EDTV-に対応したワイド(アスペクト比16対9)受信機では、垂直時間解像度補強信号(VT)、垂直解像度補強信号(VH)、および映像部に周波数多重された水平解像度補強信号(HH)によって高画質化して表示される。1995年から限られた時間帯で放送が開始された。EDTVおよびEDTV-はNTSC規格内での画質改善で、手間をかけた割には効果が少なく、ほぼ同じ時期の1989年に実験放送が開始されたHDTV(ハイビジョン)が2000年(平成12)に本放送になると、その役目を終えた。
[木村 敏][吉川昭吉郎]
1964年(昭和39)の東京オリンピックでは、世界で初めての全時間カラー放送や衛星による中継を行い、日本の技術が世界最高水準にあることを示した。当時採用されていたNTSC方式は、その規格の範囲内で、EDTV、EDTV-などさまざまな改良が行われたが、手間をかけたわりには画質改善の効果が少なく、姑息(こそく)なNTSC方式の改善ではないまったく新しい規格、HDTV(high definition television、高精細度テレビジョン)の研究が世界的に始められた。日本ではNHKが中心となって実用化が行われた。HDTV規格は、人間の視覚・心理特性を研究した結果、アスペクト比16対9、走査線数1125本となっている。NHKが開発したHDTV方式には、ハイビジョンという愛称がつけられたが、一般的にこの愛称が受け入れられ、現在もHDTVはハイビジョンとよばれることが多い。
HDTVはこれまでの放送と比較して、画素数が約5倍あったため当初は対応機器が少なく、そのまま放送することはできなかった。1981年にカメラ、VTR、ディスプレーといったHDTV対応の機材が開発されて番組制作が可能となり、1983年にはHDTV信号を圧縮して衛星放送の一つのチャンネルでの放送を可能とするMUSE(ミューズ)方式(Multiple Sub-Nyquist Sampling Encoding System)が開発され、放送を可能とする環境が整った。ハイビジョンという愛称はこのときにつけられたものである。1985年の茨城県筑波(つくば)で開催された国際科学技術博覧会では、幅8メートル、高さ4.8メートル(約400インチ)の大画面でこのHDTVが公開された。
MUSE方式を用いたアナログハイビジョン放送は、1989年(平成1)から毎日1時間の実験放送として始まり、1991年に1日8時間の試験放送となった。その後も順次放送時間を拡張し、1994年の実用化試験放送開始時点で1日10時間、2000年(平成12)12月にはBSデジタル放送開始に伴ってデジタル放送へ円滑に移行するための放送となり、以降24時間の放送を行った。その後、放送のデジタル化の流れのなかで、伝送路にアナログ技術を採用しているアナログハイビジョン放送は2007年11月に終了したが、BSデジタル放送、110度CSデジタル放送、地上デジタル放送でデジタルHDTVによる放送が行われている。
[木村 敏][吉川昭吉郎]
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4Kテレビおよび8Kテレビは、現行のHDTVに次ぐ次世代UHDTV(ultra high definition television:超高精細度テレビジョン)方式のテレビである。Kとはキロ、すなわち1000を意味し、4Kテレビの名は、この方式が水平(横)画素数約4000(正確には3840)をもつこと、8Kテレビの名は、水平画素数約8000(正確には7680)をもつことに由来する。ちなみに現行のHDTVの主流であるフルハイビジョンの水平画素数は約2000(正確には1920)で、4Kテレビにならえば2Kテレビとなる。4Kテレビ画面の画素数は水平3840×垂直(縦)2160の829万4400で、フルハイビジョン画面の画素数(水平1920×垂直1080の207万3600)の4倍、8Kテレビ画面の画素数は水平7680×垂直4320の3317万7600で、フルハイビジョン画面の画素数の16倍となる。NHKは8Kテレビにスーパーハイビジョンの愛称をつけ、4Kテレビと並行して放送実施に力を入れている。画面のアスペクト比はいずれもハイビジョンの場合と同じ16対9である。4Kテレビ、8Kテレビの特長として、ハイビジョンに比べて画面のきめが細かいことに加え、視野角が広く視聴位置が正面からずれても画品質の劣化が少なくなり、臨場感が向上することがあげられる。UHDTVの国際規格化は、日本の提案をもとに国際電気通信連合(ITU)の無線通信部門(ITU-R:ITU-Radio Communication Sector)で検討が行われ、2012年8月、正式規格として採用された。
日本では、BS17チャンネル(地上デジタル難視聴対策衛星放送として設定されたチャンネルで、運用終了後空きチャンネルとなっているもの)を使って、2016年12月に4Kの試験放送を、また同じBS17チャンネルを時間分割で利用して2016年8月に8Kの試験放送を開始し、2年後の2018年秋にBSデジタル放送および110度CSデジタル放送を使って、4Kと8Kの実用放送を開始する予定となっている。地上デジタル放送での4K・8K放送は2017年3月時点で実施の予定はなく、将来実施の計画も公表されていない。
現在、市販されている40型以上の大型テレビ受像機は、4Kテレビが主流となっているが、すべて「4K対応テレビ」で、4K放送受信用のチューナーは搭載されていない。そのため、2018年に4K実用放送が開始されてもそのままでは受信・視聴することはできず、視聴するためには実用放送開始前に発売されると予想される4Kチューナーを購入して併用する必要がある。それまでは、ハイビジョン放送(2K)を受信し、超解像技術で4K相当にアップコンバート(上位変換)した映像を視聴することになる。この場合、ハイビジョン信号に付帯するブロックノイズ(受信条件が悪いとき、映像の一部がモザイク状になる障害)なども軽減される。純正4Kではないため、「擬似4K」あるいは「4Kもどき」などといわれるが、超解像技術の性能が高く、画像はフルハイビジョンのそれに比べて明らかにきめ細かく高品位である。
2017年3月時点では民生用8Kテレビ受像機はまだ発売されておらず、8Kテレビ放送が開始されても、当面の用途として公共の場所でのデモンストレーションなどになることが考えられる。4Kテレビ、8Kテレビの詳細については、別項目「4Kテレビ」を参照されたい。
[吉川昭吉郎]
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放送局から送られてくるテレビジョン電波を受信し、目に見える光学像に変換・表示する装置が受像機である。私たちが日常「テレビを買う」「テレビを見る」などと口にしている「テレビ」は、この受像機または受像機に映った映像のことをさす場合が多い。
受像機には、いくつかの放送局の電波のなかから見たいチャンネルの電波を選び出す機能が欠かせない。この機能を果たすのがチューナー(同調器)とよばれる部分である。音に共鳴現象があるように、あらゆる振動に共振現象がある。電波もその例に漏れない。チューナーにはそれぞれのチャンネル周波数に共振する同調回路がいくつか用意されており、これを選択使用することによって選局を行う。この際、受信電波の増幅もあわせて行う。従来この同調回路の切り替えは、つまみを手で回転する機械的方法がとられていたが、現在はチャンネル選択ボタンに指を触れるだけという電子的方法に変わり、超音波等による遠隔操作も一般的に行われるようになっている。なおチューナーでは、選局した電波の周波数を、以後受像機の中で取り扱いやすいよう一定の周波数(中間周波数)に変換することも行う。日本では中間周波数として57メガヘルツが主として使われている。
チューナーで選局されたテレビ信号は中間周波増幅回路で大幅に増強される。またここには、入ってくる電波の強さが変動しても安定した画面が見られるように、自動的に利得(増幅率)を変える自動利得調節の機能も備わっている。中間周波増幅回路で増強されたテレビ信号は、検波回路によって電波から画像と音声信号とに分離される。画像信号は映像増幅回路を介してディスプレーに導かれる。
[木村 敏][吉川昭吉郎]
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この不便さを解消するために、平坦(へいたん)なパネルのディスプレーを使った薄型テレビflat panel TVが実用化された。プラズマディスプレー・パネル(PDP:plasma display panel)、液晶ディスプレー(LCD:liquid crystal display)・パネル、有機EL(organic electroluminescence)パネルなどを用いるもので、軽量、薄型、大画面化が可能などの長所をもつ。平面テレビともよばれる。
プラズマディスプレー・パネルは微小なプラズマ発光素子を平面状に並べたもので、制御信号によって発光し、明るさ、色彩を表現する。たとえていえば、ごく小さな蛍光灯を並べたようなイメージである。長所としては、応答速度が速く動きが速い動画像にもよく対応できる、コントラスト比が高い(黒の沈みがよい)、視野角の制約が少なく正面から上下左右に外れたところから見ても画品質の劣化がない、40インチ程度以上の大型ディスプレーに向く、などがある。短所としては、パネル面からの発熱が多少多い、長時間同じ画面を出し続けたままにすると「焼き付き」という現象が生じることがある、などがあげられる。
液晶ディスプレー・パネルは、液晶素子を並べたフィルター板の背面から蛍光灯または白色発光ダイオード(LED)などのバックライトを当て、液晶フィルター板の光透過率を制御信号で変えて画面の明るさと色調を変化させるものである。液晶フィルター板はそれ自体発光することなく、背後からの光の透過を制御する役目をする。液晶パネルの構造には、ねじれネマチック(TN:twisted nematic)方式、垂直配置(VA:vertically aligned)方式および面内スイッチング(IPS:in-plane switching)方式の3種類があり、後のものになるほど高品質になる。現在の大型液晶テレビのほとんどはVAまたはIPS液晶パネルを使ったものである。液晶の長所としては、発色が鮮明である、パネル面からの発熱が少ない、などがある。短所としては、応答速度が遅くテレビの場合動きの速い動画像で残像が残りやすい、視野角の制約があり視聴位置が正面から外れると画像の質が下がる、40インチ程度以上の大型パネルの製造がむずかしい、などがあげられた。しかしこれらの短所はパネルの改善と製造設備の進歩によって克服され、現在では残像や視野角の制限もほぼ問題なく、60インチを超す大型パネルの製造も行われている。
一時期、大型薄型テレビはプラズマ、中型・小型薄型テレビは液晶、といったすみ分けが行われたこともあるが、メーカーがプラズマ薄型テレビから相次いで撤退し、2013年には最後まで残っていたパナソニック社が撤退したため、現在薄型テレビは、液晶方式が主流となっている。
液晶テレビの新しい動向として、韓国の三星(サムスン)電子が、2015年に量子ドットLED(quantum dot LED)を利用した液晶テレビを開発してSUHD TV(super ultra high definition TV)の名で発売したことがあげられる。その後2017年1月、アメリカのラス・ベガスで開催されたCES(セス) 2017(2017年家電見本市。CES:コンシューマー・エレクトロニクス・ショーConsumer Electronics Show)が開催された時点で、名称をQLED TV(quantum dot LED TV)に変更して現在に至っている。量子ドットはナノメートル(nm。10-9メートル)オーダーの極微小な半導体結晶で、ドットのサイズを変えることで色を変えることができる。これを液晶テレビに応用したのがQLED TVで、高画質がうたわれ、今後の発展が注目される。
一方、韓国のLGエレクトロニクスはCES 2017にナノセルLED(nano cell LED)を利用した液晶テレビを「SUPER UHD TVs」の名で発売した。構造・動作は三星電子のQLED TVと似ている。
これらに対し、コストが高い量子ドットシートを使わなくても、新世代のLEDバックライトシステムを使うことで、同等の色領域を実現することができるとする立場もあり、日本メーカーの多くはこの立場である。
有機ELパネルは、有機化合物のLEDを発光素子として用いたもので、OLED(organic LED)ディスプレーともよばれる。長所として、応答速度が速い、視野角の制約がない、コントラスト比が高い、消費電力が少ない、バックライトが不要で液晶よりも薄型にできる、プラスチック基盤を用いて柔らかく折り曲げ可能なディスプレーがつくれる、などがあげられている。日本ではソニーが2007年に11インチの有機ELテレビを発売したが、高価で販売は伸びず2010年に生産を終了、その後しばらくの間、中型・大型の有機ELテレビへの進展はなかった。
2016年5月になって、LGエレクトロニクスが大型の4K対応有機ELテレビ3機種を発売した。65インチ型、55インチ型および曲面タイプの55インチ型である。さらに10月には最上位機種の77インチ型を発売した。また2017年1月、前述のCES 2017においても、LGエレクトロニクスは多種類のテレビを出展したが、そのなかに新型の有機ELテレビが含まれ、65インチ型と77インチ型が展示された。65インチ型のパネルの厚さはわずか2.57ミリメートルで、壁紙テレビ(wallpaper TV)と位置づけられ、専用の部材を使うことにより、簡単に壁掛けにすることができる。また4K対応で、HDR(high dynamic range imaging、ハイダイナミックレンジ合成)という高画質処理機能も備えており、日本国内でも発売されている。
CES 2017には、日本のソニー、パナソニックも4K対応の有機ELテレビを出展した。東芝はCES 2017への出展は見送ったが、2017年3月、国内他社に先駆けて有機ELテレビ65インチ型および55インチ型を国内発売した。ソニー、パナソニック両社も同年6月に65インチ型および55インチ型を発売、さらに8月には77インチ型を発売し、国内有力メーカーの有機ELテレビが出そろうことになった。いずれも、4K対応、HDR搭載、倍速駆動などの高画質化技術を採用している。各社の特長として、ソニーはディスプレー・パネルを音声信号入力に応じて振動させて音を出し、絵と音の融合を向上させることができること、パナソニックはオプションの金具を用いて壁掛けとすることができること、などをあげている。なお、2007年にソニーから発売された有機ELテレビでは、パネル(テレビ画面の表示部)は自社製であったが、2017年時点で国内各社から発売されている有機ELテレビでは、パネルはすべて韓国製を使用している。
有機ELテレビの位置づけについては、ただちに液晶テレビに置き換わるものというよりは、当面液晶テレビと並存し、消費者が好みに応じて選択することになるという見方が多い。
[吉川昭吉郎]
大型画面を実現する手段の一つにプロジェクション方式がある。スクリーンに光源の画像を拡大投射する方式で、装置としてリアプロジェクターとフロントプロジェクターがある。リアプロジェクターは光を透過するスクリーンの背部から投射する方式で、40インチ以上の大型ブラウン管が製造できなかった時代に、大型の画面を実現する手段として用いられた。初めに実用化されたのは三管式で、赤・緑・青(RGB)の3色を分担する三つの小型ブラウン管から放出された光をスクリーンの背部から投影し、スクリーン上で合成するものであった。スクリーン合成方式は画像が自然で品質がよい長所がある。奥行寸法が大きくならないために、縦置きのブラウン管を装置の下部に設置し、上向き垂直に放射された光をミラーで反射して水平に変え、レンズで拡大してスクリーンに当てるなどのくふうがなされたが、それでも装置の大きさは小型の箪笥(たんす)ほどもあり、納入先はホールや病院の待合室など準業務用が多く、家庭用にはあまり普及しなかった。その後、光源として三管式にかわってプラズマパネルや液晶パネルが用いられることもあったが、大型の薄型テレビが出現すると、リアプロジェクターは姿を消していった。
フロントプロジェクターはフィルム映画の上映と同様に、スクリーンに前方から光を投射する方式である。60インチから200インチあるいはそれ以上の大型画面を自由に選ぶことができる。初めに使われたのはブラウン管三管式である。RGBの3色ブラウン管を水平に並べ、大型施設ではこれをもう1組縦に配置するスタック構造で、スクリーンに投影する。RGBの3色成分はスクリーン上で合成される。長所は、応答速度が速い、色調がよく色の調整範囲が大きい、コントラスト比が高いなどで、すべてが高品質である。短所として、光源の輝度が高くないので、室内の環境を暗くしなければならない、スクリーン上の合成であるため、定期的にコンバージェンス調整(収束調整ともいう。色ずれの調整)が必要である、装置が大型かつ高価である、などがあげられる。現在は、三管式にかわって液晶プロジェクター、DLP(digital light processing)プロジェクターなどが主流となっている。液晶プロジェクターは液晶パネルの背後から放電光ランプの明るい光を当てて、透過光をレンズで拡大してスクリーンに投射するものである。特長として、明るく、調整不要、設置すればすぐに使える便利さがあげられる。DLPプロジェクターは、半導体基板上にごく微小なミラーを多数敷き詰め、このミラーの動きを制御信号によって変化させ、反射光をレンズで拡大して投射するものである。長所として応答速度が速い、輝度が高い、焼きつきや色あせがないなどがあげられる。
フロントプロジェクターはその大画面の特長を生かして、ホームシアター、ホール、ビジネスなど、各種の用途に使われている。
[吉川昭吉郎]
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世界のテレビジョン方式が同一規格で統一されることは、番組交換の便宜などの観点から理想であるが、国や地域によって開発の歴史や実績などの事情が異なるため方式の統一はむずかしく、かつてのアナログテレビ時代もデジタルテレビの現在も統一は実現していない。
かつての地上アナログ放送の時代には、次の3方式が存在した。
(1)NTSC(National Television System Committee)方式 アメリカ、日本、カナダ、フィリピン、韓国、台湾、ブラジルを除く中南米諸国などで採用された。
(2)PAL(phase alternation by line)方式 西ドイツ、イギリスをはじめとする西ヨーロッパ諸国、ASEAN(アセアン)(東南アジア諸国連合)諸国、ブラジル、オーストラリアなどで採用された。
(3)SECAM(セカム)(squentiel couleur mmoire)方式 フランスとその旧植民地、東ヨーロッパ諸国、ロシアなどで採用された。
アナログテレビ後の次世代のテレビに関して、日本はHDTV(ハイビジョン)を世界共通の規格とするように働きかけを行ってきた。1986年に国際無線通信諮問委員会(CCIR。現、国際電気通信連合無線通信部門ITU-R)が開催した国際標準化会議では、ヨーロッパ諸国が総走査線数1250本、50フィールド方式を主張するなど紆余曲折(うよきょくせつ)があったが、1997年には有効走査線数1080本、2000年には総走査線数1125本に世界統一された。
現在、世界の主要国のテレビ放送はデジタル化されている。地上デジタル放送の方式として次の4方式がある(採用国数などは2014年5月時点。総務省資料による)。
(1)ISDB-T(Integrated Services Digital Broadcasting-Terrestrial)方式 日本方式である。マルチキャリア方式(複数の搬送波を使う方式)を採用。高画質で、同一のテレビチャンネルでテレビ・携帯端末機のいずれの放送も可能、また緊急警報放送などに対応しているなど、もっとも優れた方式といわれる。日本、中南米諸国、フィリピン、ボツワナなど17か国で採用されている。
(2)DVB-T/T2(Digital Video Broadcasting-Terrestrial/Terrestrial2)方式 ヨーロッパ方式である。DVB-Tは基本型、DVB-T2はその改良型。マルチキャリア方式であるが、携帯端末機用には別のテレビチャンネルが必要である。ヨーロッパ諸国(ロシアを含む)、オーストラリア、ニュージーランド、インド、ミャンマー、アフリカ諸国など72か国で採用されている。
(3)ATSC(Advanced Television Systems Committee)方式 アメリカ方式である。シングルキャリア方式(アナログテレビ方式の改良版)を採用。携帯端末機用には別のテレビチャンネルが必要である。アメリカ、カナダ、メキシコ、韓国の4か国で採用されている。
(4)DTMB(Digital Terrestrial Multimedia Broadcast)方式 中国方式である。ヨーロッパ方式の改良版(マルチキャリア方式)とアメリカ方式の改良版(シングルキャリア方式)を折衷した仕様である。中国、香港(ホンコン)、マカオで採用されている。
地上デジタル放送でも、世界的にはこのように複数の方式が並立しているが、異なる方式間での番組交換は電子式の方式変換装置の開発によって容易になっている。
[吉川昭吉郎]
テレビ放送の世界はデジタル化によってカラーテレビの登場以来の変革期を迎えている。
日本では、1982年(昭和57)より次世代のテレビ放送としてISDB(integrated services digital broadcasting、統合デジタル放送)を提唱しており、映像、音声、データといった放送サービスをデジタル技術で統合することを目ざしてきた。その第一歩が2000年(平成12)12月に始まったBSデジタル放送である。BSデジタル放送では、高画質、高音質のデジタル・ハイビジョン放送とデータ放送を特長としており、いつでも見ることのできるニュース(「いつでもニュース」)や、双方向サービス、EPG(電子番組表)などの新しいサービスが開始されている。また2002年には110度CS放送が開始された。
地上波についても、2003年に地上デジタル放送が開始され、移動体でも放送が受信できる技術方式が採用されている。近い将来、電子ペーパー・ディスプレー(紙のように薄くて軽いディスプレーという意味)の実現などにより、容易に持ち運ぶことが可能なテレビが実用化されると、テレビはこれまで以上に人々の生活に密着したものとなるであろう。
住宅のリビングルームに置かれるテレビについても、大容量の蓄積機能をもったサーバー型受信機についての検討が行われており、つねに最新のニュースが見られたり、視聴者の好みの番組を自動で収録してくれたりするようなエージェント機能が搭載されることになるだろう。また、冷蔵庫や電子レンジといった家電製品がネットワークに対応し始めており(モノのインターネット、IoT)、テレビはこうしたネットワーク機器の情報の窓口としても定着していくことであろう。
見るテレビから使うテレビへ、テレビは今まさに変革のときを迎えている。
[木村 敏][吉川昭吉郎]