楕円(だえん)軌道を描くことのわかった最初の彗星。18世紀初めイギリスのハリーは、ニュートンが『プリンキピア』に記述した方法によって24個の彗星の軌道を求めた。そのうち1531年、1607年、1682年の大彗星は軌道が一致し、出現間隔もほぼ等しいため、同一天体であり、76年後の1758年にふたたび現れると予言した。ハリーの死後、予想は的中し、太陽系で彗星の占める立場が確定した。これを記念しこの彗星をハリー彗星という。
ハリー彗星の回帰記録は紀元前240年から30回に及び、エンケ彗星に次いで多い。3~4月に近日点を通ると、地球との位置関係がよくなり大きく見える。837年、1066年、1145年、1910年がそれであった。
1910年(明治43)には、5月19日に彗星が地球と太陽との間を通り抜け、尾が地球を包むというので世情不安まで起こった。その前後の明るさは1等星程度、尾の長さ(頭から尾の先までの見かけ角度)は120度に達した。1145年(天養2)の場合は日本の記録が詳しく、藤原頼長(よりなが)の日記『台記(たいき)』には尾の長さ二丈とある。この彗星のため同年7月、久安(きゅうあん)と改元された。1066年には中国『宋(そう)史』に、尾が天を横切り首尾ともに地平に達した、とある。ヨーロッパではノルマンディー公(後のウィリアム1世)のイングランド征服の兆しとされた。東西を問わず、大彗星を災いの兆しとした例は多く、これらもその一つである。837年には彗星は金星ほどに輝いた。『唐書(とうじょ)』天文史に尾は八丈とあり、角度90度に及んだ。ハリー彗星が史上もっとも明るかったのはこのときである。
最近出現の近日点通過は1986年2月15日であった。1985年11月と1986年3月は観測の適期で、世界各地でさまざまな観測が行われたが、低緯度地方や南半球の方が観測に適し、尾の長さも最長で15度近くまで伸び、明るさも2.8等級まで達した。次回出現は2062年である。
1986年の出現は彗星の本質を探る好機として世界各国が協同観測した。ESA(ヨーロッパ宇宙機関)、旧ソ連、日本、アメリカは探査機を送り、ESAの「ジオット」(ジョット)は核に数百キロメートルまで接近してテレビ撮影を行った。探査機の送ってきたデータは、核が約15キロメートル×約8キロメートルの不規則な形をしており、表面は黒く、その割れ目からジェットを噴き出していること、約53時間で1回転していることなどを明らかにした。
[斉藤馨児]