犯罪の被害を受けた者や親族などに対して支援を行うこと。
犯罪被害者とは、狭義には犯罪による直接的な被害者本人をいうが、広義では、間接的な被害を受けた遺族、親族、証人・目撃者などもさす。近年では、これらの者を含め「犯罪被害者等」などと表現される。また、被害は、犯罪行為自体による生命、身体、財産等などの一次的被害だけではなく、広く精神的ショック、心身の不調、それに伴う医療費の負担、後遺症による失職、経済的貧困などの二次的被害も含む。犯罪対策において犯罪被害者に焦点をあてるようになったのは比較的新しい。その理由として、第一に、19世紀なかばから始まった近代的な国家の犯罪対策は、犯罪者を対象とし、とくに刑務所などで改善・更生を目ざした処遇により犯罪者の再犯防止に特化した施策が実施されてきたからであり、研究者も犯罪者研究に専心してきた。第二に、近代の事件処理手続は民刑分離が理念とされ、刑事裁判においては国家秩序を侵害した犯罪者を処罰することが目的とされ、被害者はそのための証人として関与するにすぎず、被害者を救済することは民事裁判にゆだねられたからである。
しかしながら、被害者の権利が侵害されながら、民事では犯人の資力不足で十分な賠償を受けることができず、刑事裁判においても埒外(らちがい)に置かれる状況は法的正義に反すると考えられるようになった。今日では刑事司法の領域でも犯罪被害者の救済、保護、支援が行われ、単に恩恵的なサービスの供与にとどまらす、種々の権利保障も進んでいる。
[守山 正]
このように歴史的には長らく「犯罪被害者の放置」の時代が続いた。しかし、被害者学の誕生を契機に、しだいに被害者が犯罪後に置かれた悲惨な実態に関心が集まるようになり、世界的には1950年代後半に犯罪被害者の保護や救済の動きがみられた。イギリスの慈善博愛家マージャリー・フライMargery Fry(1874―1958)が、ロンドン・タイムズ紙に被害者への財政的補償の必要性を説いて社会に大きな影響を与え、その主張は1963年に、まずニュージーランドの被害者補償制度に結実し、その後同様の制度がアメリカのカリフォルニア州、日本、カナダ、キューバ、スイスに広がった。他方、1970年代に入ると、民間団体の被害者支援組織としてイギリスにNAVSS(National Association of Victim Support Schemes:全英被害者支援協会。現在のVS:Victim Support)、アメリカにNOVA(National Organization for Victim Assistance:全米被害者援助機構)が誕生し、一気に被害者救済への社会的関心を生み出した。
その後、しだいに被害者の救済や支援という側面から、さらにその権利保障へと議論が展開し、いわゆる法的地位を巡る論争を引き起こした。事実、当時のアメリカ大統領レーガンが1981年に「被害者権利週間」を宣言し、これにより刑事手続における被害者の権利保障が進展した。そして、被害者が犯罪による身体的、精神的、経済的な被害の影響を公判等で述べる権利、いわゆる「被害者影響度声明書victim impact statement」がアメリカなどで導入され、量刑や仮釈放の際に意見を述べることができるようになった。
その後、1985年に国連総会において、「犯罪および権力濫用の被害者のための正義に関する基本原則宣言」が採択され、(1)被害回復のために裁判制度へのアクセスと刑事手続における公正な取扱い、(2)加害者からの公正な被害弁償、(3)加害者が弁償不能な場合における国家による経済的賠償、(4)関係機関からの必要な社会的支援、などを実施することが望ましいとして加盟国に対して関連措置を行うように求めた。
[守山 正]
具体的な被害者支援の施策としては、三菱重工爆破事件(1974)を契機として、1980年(昭和55)に「犯罪被害者等給付金支給法」(昭和55年法律第36号)が成立し、犯人が不明な場合や十分な賠償が得られない場合に、被害者に対して国家が給付金を支給する財政的支援が開始された。しかし、当時かならずしも被害者支援の機運がみられたわけではなく、被害者自身が声をあげて社会的な関心が高まるのは、1995年(平成7)の地下鉄サリン事件以降であった。実際、1996年には警察庁が「被害者対策要綱」を制定し、1999年には政府内に「犯罪被害者対策関係省庁連絡会議」が設置され、2000年(平成12)、いわゆる犯罪被害者保護二法(刑事訴訟法・検察審査会法の改正法、犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律=犯罪被害者保護法)が成立して、日本の被害者支援策は大きく前進した。その結果、(1)性犯罪の告訴期間の撤廃、(2)ビデオリンク方式による証人尋問、(3)証人尋問の際の証人の遮蔽(しゃへい)、(4)証人尋問の際の付添い、(5)被害者等の傍聴に対する配慮、(6)被害者等の公判記録の閲覧・謄写、(7)公判手続における被害者等の心情その他意見の表明、(8)民事上の和解を記載した公判調書に対する執行力の付与、などが実現した。このほか、少年保護の観点から、被害者が排除されていた少年司法手続においても、少年法改正により被害者に各種の配慮が認められた。
そして、2004年には「犯罪被害者等基本法」(平成16年法律第161号)が制定され、犯罪被害者に関する基本理念を掲げ、国および地方自治体さらには国民一般の責務を明らかにして、犯罪被害者等に対する施策の基本事項を規定するなど、日本の被害者支援の方向性を示した。また、自治体レベルでも被害者支援の輪が広がりつつあり、地域によっては犯罪被害者等支援条例などを制定して、支援金を支給したり、相談窓口を設置したりするなどの動きもみられる。
さらに、2006年の「犯罪被害財産等による被害回復給付金の支給に関する法律」(平成18年法律第87号)の成立および「組織的犯罪処罰・犯罪収益規制法」の改正、2007年の「犯罪利用預金口座等に係る資金による被害回復分配金の支払等に関する法律(振り込め詐欺救済法)」(平成19年法律第133号)の成立が相次ぎ、たとえば振り込め詐欺の被害者など一定の財産が奪われた者に対して被害を救済する手段が与えられた。被害者の権利面では、2007年の「犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事訴訟法等の一部を改正する法律」(平成19年法律第95号)、2008年の「犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律及び総合法律支援法の一部を改正する法律」(平成20年法律第19号)の成立により、2008年に被害者参加制度が始まり、被害者が参加人として刑事裁判に参加し、その際に利用できる国選弁護制度も発足した。
[守山 正]
犯罪被害者等基本法に沿って、2005年に犯罪被害者等基本計画が閣議決定され、内閣府には犯罪被害者等施策推進会議が設置され、損害回復・経済的支援等、精神的身体的被害の回復・防止、刑事手続への関与拡充、支援体制の整備、国民の理解増進と配慮・協力の確保、などの取組みが重点項目とされ、各省庁で250項目以上の施策が明記された。2007年にはこれに基づき刑事訴訟法が改正され、犯罪被害者等の刑事裁判参加、刑事手続における被害者等の個人情報の保護、民事の損害賠償請求に関して刑事裁判の成果の利用、公判記録の閲覧・謄写の範囲拡大、など従前の制度をいっそう前進させる制度が盛り込まれた。また、2011年には第二次犯罪被害者等基本計画が閣議決定され、第一次計画の継続や見直し、新施策の展開を図っており、国の被害者支援施策のあり方を端的に示している。さらに、2016年に閣議決定した第三次犯罪被害者等基本計画では、一次、二次の同基本計画の充実を図るとともに、新たに被害が潜在化しやすい被害者等への支援、兄弟姉妹が被害にあった子供への支援、被害者等への生活全般にわたる支援などの具体策を盛り込んでいる。
もっとも、被害者支援は刑事裁判の当事者主義では依然として副次的機能にすぎず、また無罪推定原則が働く公判段階では、被害者の参加があたかも被告人の有罪を前提とするかのような扱いになるのは公平ではないという議論も存する。これを解決し、さらに発展させるには欧米諸国にみられるように、あらかじめ有罪を認めた被告人と対峙(たいじ)する修復的司法(リストラティブ・ジャスティスrestorative justice)制度を導入するのも一つの方法であるが、日本ではこの動きはみられない。また、被害者支援に傾きすぎると社会の厳罰化が進行し、犯罪者処遇の動きが弱まるおそれもある。被害者支援と犯罪者処遇は犯罪対策の車の両輪とみるべきである。
[守山 正]