母語の異なる民族間のコミュニケーションに用いる言語。それぞれの母語を尊重しつつ、あくまでその橋渡しをするものであることが理想である。しかし実際は、有力民族の言語が「国際語」と称され、弱小民族は心ならずもこれに従うのが常である。
どの言語が国際語となるかは、政治、経済、文化の諸条件による。ヘレニズム時代の西アジアからエジプトにかけて、文法の単純化されたギリシア語「コイネー」が使われたが、これは国際語の一つの典型といえる。東アジアでは19世紀中葉まで古代中国語の文語(漢文)が使われ、イスラム圏では現在でもコーランのアラビア語が共通の文語として機能している。ヨーロッパでは18世紀までラテン語、その後外交用語としてフランス語が台頭したが、第一次世界大戦ごろからはその地位を英語に譲るに至った。現在、英語圏の国民は、その母語が通商、学術、報道、さらにはインターネット通信のための国際語として広く用いられることで、結果的に他国民以上の便益を得ている。東欧圏では、冷戦時代にはロシア語が政治上の国際語であったが、冷戦終結後は英語、ドイツ語がこれにとってかわった。
第二次世界大戦後、国家間の平等の原則が確立されるにつれて、単一言語が国際語の地位を占めるという状況は、国際政治の場では減少している。たとえば、2018年時点では、国際連合の公用語は6(国際連盟では英語、フランス語両語が「慣用語」だったにとどまる)、EU(ヨーロッパ連合)の公用語は24であり、通訳・翻訳の費用負担に苦しんでいるが、加盟国の言語の平等が優先された。
2018年9月19日
文法、語彙(ごい)を整理して習いやすくした「計画語」を国際語に用いようという考えは、F・ベーコンやデカルトにさかのぼる。試験的に実用に供された初めての計画語は、シュライヤーJohann Martin Schleyer(1831―1912)が考案し1879年に発表したボラピュクVolapük(ボラピューク語)であった。その後ザメンホフが考案し、1887年に発表したエスペラントが、今日に至るまでもっとも広く使われた計画語である。
従来これらは「人工語(人工言語)」とよばれてきた。しかし、そもそも言語とは、すべて人間がつくり、規範を与えたものである。エスペラントなどは、言語全体が計画的につくられたところに注目して「計画語」とよぶのが正確である。ボラピュク以前に試作された計画語は、既存の言語とはまったく別の語彙体系をつくろうとしたものが多く、実用には適さなかった。
ボラピュクやエスペラントのように実用に耐える計画語が登場したのちも、100を超える国際語試案が発表された。エスペラントに比べて、ラテン系諸言語の色彩を強めたものが多く、イタリア語などに似せるために文法、正書法の不規則を許容したものが目だつ。おもなものをあげてみる。L・クーチュラーが考案したイードIdo(1908年発表。以下同)、デ・バールEdgar de Wahl(1867―1948)が考案したオクシデンタル(オクツィデンタル)Occidental(1922)、O・イェスペルセンが考案したノビアルNovial(1928)、国際補助語協会(IALA:International Auxiliary Language Association)が考案したインテルリングアInterlingua(1951)。日本人のものとしては丘浅次郎(おかあさじろう)が考案したジレンゴZilengo(1889)があった。
2018年9月19日
人類が単一の国際語をもつのは、永遠の夢である。しかし、有力民族語(英語など)を全世界の国際語にしようとすれば、国際社会での不平等を招く。対案として、エスペラントのような計画語も提案されてきた。しかし、言語とは文化の総体であり、国力とナショナリズムの反映でもある。国家をもたぬ言語の限界が、エスペラントの現状にみてとれる。
インターネット上では英語がほとんど「ひとり勝ち」の様相をみせる。華僑(かきょう)社会を含む中国文化圏では、北京(ペキン)語の地位向上が著しい。このような「大言語」の国際語化の動きと同時に、北部スペインのカタルーニャ語復権やフィリピンにおけるフィリピノ語(タガログ語を基礎とする)普及のように、民族アイデンティティを求めて弱小言語の地位確立もまた進んでいる。国際コミュニケーションのための言語は、利便性と大義名分を天秤(てんびん)にかけつつ、時代と状況に応じて選択されていくのであろう。
2018年9月19日