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国際補助語エスペラントの考案者。生業は眼科医。当時のロシア帝国領(現、ポーランド)ビャウィストク生まれ。一般に「(ユダヤ系)ポーランド人」とされるが、ザメンホフの生家では父はロシア語、母はイディッシュ語をおもに使い、ザメンホフ自身もポーランド語よりロシア語に親しんだ。エスペラントを1887年に発表後、『旧約聖書』『ハムレット』『アンデルセン童話集』などをエスペラント訳し、その文体、語法は今日でもエスペラントの模範である。目だたず穏やかな人柄であったが、世界エスペラント大会の諸演説(1905~1912)は情熱にあふれる。
ザメンホフは少年時代に、各国に散らばり言語も異なるユダヤ人のための共通語を夢想し、これがエスペラント考案への動機となった。しかしエスペラントを発表した20歳代後半には「ユダヤ人のため」という意識はなくなり、広く各国間で使われる国際語を意図した。また、異なる宗教どうしの不寛容を批判して、各宗教の違いは地域ごとの伝承、慣習が生んだものにすぎないとし、既存の宗教は残しつつも個々の教義を超えた自由信仰共同体の実現を目ざした。この思想はホマラニスモ(人類人主義または地球人主義)とよばれる。
2018年9月19日