ユーロ圏の金融政策を統括する中央銀行。マーストリヒト条約(1992年2月調印、1993年11月発効)とその付属議定書であるヨーロッパ中央銀行法に基づいて、1998年6月に設立された。略称ECB。本部はドイツのフランクフルト・アム・マインに所在。インフレファイターとして名をはせたドイツ連邦銀行に似せてつくられ、物価の安定維持を第一の使命とし、これに沿った金融政策遂行のために独立性が保障されている。
2018年11月19日
最高意思決定機関は政策理事会Governing Councilで、執行役員会Executive Boardを構成する6名(ECB総裁、副総裁、理事4名)と、ユーロ圏参加中央銀行総裁19名の計25名からなる。総裁任期は8年で、初代の元オランダ銀行総裁ウィム・ドイセンベルクWillem Frederik Duisenberg(1935―2005)、第2代の元フランス中央銀行総裁のジャン・クロード・トリシェJean-Claude Trichet(1942― )を経て、前イタリア中央銀行総裁のマリオ・ドラギが第3代総裁を務める。政策理事会では総裁が議長を務め、総裁および執行役員会メンバーは恒常的な投票権を有するが、ユーロ圏参加国中央銀行総裁に関しては、参加国の増加と重要性の相違にかんがみ、2グループに分かれたローテーションに基づいて投票権が与えられる。
役割としては、ユーロ圏の金融政策の統括に加えて、銀行同盟の創設により、その第一の柱であるSSM(Single Supervisory Mechanism、単一監督メカニズム)を通じて、ユーロ圏の約130行の大手銀行を直接監督する権限を手に入れた。また、第二の柱で破綻(はたん)処理を行うSRM(Single Resolution Mechanism、単一破綻処理メカニズム)においても、ECBはSRB(Single Resolution Board、単一破綻処理委員会)のメンバーとして、破綻のおそれのある銀行の監視や勧告、破綻決定会合への参加など、重要な役割を担う。さらに、ユーロ圏を中心とするEU(ヨーロッパ連合)域内の国際決済システムであるTARGET2の運営でも、重要な役割を演じている。
2018年11月19日
ECBは、危機以前は物価の安定を第一の使命とする保守的な中央銀行であった。しかし、グローバルな金融・経済危機がヨーロッパを直撃し、ソブリン危機から銀行危機、さらにはユーロ危機へと深化するなかで、大胆な変身を遂げ、非伝統的金融政策も駆使して、ユーロ圏の金融システムの安定化に努めている。
グローバルな金融・経済危機発生直後から、矢つぎばやの利下げや緊急の流動性供給を行ったのに続き、2011年末から2012年初頭にかけてヨーロッパの金融システムの危機が深刻化し、ヨーロッパの銀行が軒並み流動性危機にみまわれた際には、LTROs(Long-Term Refinancing Operations、長期資金供給オペレーション)を通じて、総額1兆ユーロにも上る3年物低金利の融資を行った。2012年夏にソブリン危機が再燃したときには、総裁ドラギが「ユーロを救うためならなんでもする」と公言し、国債の買入プログラムであるOMT(Outright Monetary Transactions)の創設とその発動をにおわせることで、金融市場の動揺を一気に鎮めた。その後も、量的緩和の一環として、国債だけでなく社債や抵当債、証券化商品の購入にも努め、デフレ傾向が鮮明となった2014年からはマイナス金利の導入にも踏み切るなど、危機克服の立役者となった。
しかし、ユーロ圏諸国間の経済構造の相違や競争力の格差、景気循環の違い等により、ECBの金融(金利)政策は、ある国にとっては高すぎ、ある国々とっては低すぎるという、ユーロの誕生以来抱えるジレンマは依然解消されてはいない。ユーロ危機の発生以前、すでにスペインやアイルランドでは不動産・信用バブルが顕著であったにもかかわらず、不況に苦しむドイツに配慮して低金利政策を続けてバブルの膨張を放置したと批判された。また危機発生後は、一転して巨額の不良債権や政府債務に苦しむ南欧諸国に配慮して金融緩和を継続することで、ドイツその他の国々における不動産バブルをあおっているという批判を受けている。
ECBは、アメリカの連邦準備制度(FRB)と並ぶ、世界でもっとも有力な中央銀行としてその存在感と影響力を高めているものの、ユーロ圏の経済収斂(しゅうれん)が不十分であるがゆえに、同行による金融政策の運営は依然多くの課題を抱えている。
2018年11月19日