日本大百科全書(ニッポニカ)

ゲノム編集
げのむへんしゅう
genome editing 英語

遺伝子を切断できる特殊な人工制限酵素(人工ヌクレアーゼ)を用いて、ゲノム上の特定の部位を削除したり、別の遺伝子配列を挿入したり、遺伝子配列を置換したりすることが、より高い精度でできる遺伝子改変技術。バイオテクノロジー分野の用語。
 遺伝子工学は、1970年代後半から大きく発展してきたが、遺伝子の組換え精度は絶えず課題であり、制限酵素の活用などの研究が精力的に行われてきた。このような流れのなかで、古細菌などの中で発達した免疫防御システムの活用や人工制限酵素の開発を利用して、従来からの遺伝子組換え技術よりも、より効率的かつ自在に遺伝子を操作することが可能になり、この技術をゲノム編集と称するようになった。
 この技術は1990年代後半に発表され、2000年代に入るとさらに活発化した。とくに、2012年に発表されたクリスパー・キャス9(CRISPER/Cas9)技術は、組換え操作を行いたい遺伝子を特異的に改変させることが、他のゲノム編集技術よりも簡便、かつ効率よく進むように設計された人工制限酵素であり、この技術の発表以後、急速に研究開発が拡大した。ノーベル賞候補にもなるような画期的な技術である。現状では、とくに農作物や水産物の品種改良では成果が発表されている。たとえば、海外では、このクリスパー・キャス9技術でマッシュルームのゲノムを改変し、マッシュルームが茶色に変色するのを遅らせて白色を保ったまま市場に届けることが可能な品種が開発されている。このマッシュルームの場合、編集されたゲノムが自然界で起きる突然変異と変わらないことから、遺伝子組換え生物の規制対象外とみなされている。日本国内でも、切った際に涙の出にくいタマネギや、養殖池でおとなしく回遊するマグロの研究等の開発が進んでいる。ゲノム編集技術は、前述の農林水産分野だけではなく、基礎研究や、遺伝子治療、胚(はい)受精を含む医療分野への応用に関する研究も進められている。
 ゲノム編集技術の有用性に対する認識が深まり、活用が進むと、その可能性だけでなく、リスクについて警鐘を鳴らす報告も増えている。リスクは3分類に大別できると考えられる。具体的には、(1)ゲノム編集の技術にかかわるもの、(2)規制・指針のような安全な研究開発を進めるための管理体制、(3)生命倫理にかかわる課題、である。(1)ゲノム編集技術の課題として、たとえば、クリスパー・キャス9技術では、遺伝子を切断する場所(サイト)の判断ミスが他のゲノム編集用人工制限酵素より起こるリスクが高い場合があることが、最近報告されるようになった。また編集する細胞によっては、がんの発生リスクが高まる懸念もある。(2)規制・指針については、遺伝子組換え生物の規制の対象となる遺伝子の改変と同等の規制や、ゲノム編集技術を用いる場合の遺伝子治療についての規制ならびに臨床研究を行う際の指針などの整備が必要である。この場合、日本国内の規制や指針と、諸外国のルールの整合性も求められる。さらに(3)受精卵の研究への応用等には、生命倫理にかかわる課題が含まれている。一方で不妊研究への応用に関しては期待感もあり、慎重な検討が絶えず求められる。
 またゲノム編集は、遺伝子治療に関する研究などに大いに役だつと期待されることから、学界のみならず、企業も研究開発に注力している。たとえば、2015年、ドイツの総合化学・製薬会社であるバイエルは、スイスのベンチャー企業クリスパー・セラピューティクス(CRISPER Therapeutics)社と合弁会社を設立した。また、スイスの大手医薬品メーカーであるノバルティスもアメリカのベンチャー企業2社と提携し、がん分野などでの医薬品の探索や開発、創薬プロセスの効率化に乗り出している。
 最後に、ゲノム編集技術は知的財産権の宝庫であり、数多くの基本特許が関与している。今後、日本で商業化を進めるには、国産のゲノム編集技術の開発も重要になると予測される。
[飯野和美]2018年1月21日